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2018/11/05

昔から天皇は日本国の「象徴」やったんや。その本質は「利他心」で祈ること。

頷く小
 今の日本国憲法はたしかに、わずか1週間かそこらで大急ぎで作られたもので、もちろん原案はGHQが作ってそれをいかにも日本の手続きを経て正式に制定されたように思わされてたけれど、今やこれは明白な国際法違反、ということになっていますね。つまり、占領中にその国の法規を変えることは違反です。

 アメリカのある高官などは、日本は独立したらさっさとこの憲法を廃止して、自分らで新憲法を作るもんやと思てたらしくて、何十年も経った後に実はそうでないことを知って「え?まだそのまま使うてるんか?」と驚愕したそうです(大阪弁風ですみませんww)。

 私もいろいろ勉強してきて、こんなコピペだらけの恥ずかしい憲法はさっさと捨ててしもて、日本人の手で作り直さなあかん、と思てます。せやけど、いざ「改正」するだけでも今、グダグダやっていて、「改正案」さえも出て来やへんのを見て、暗澹たる気持ちになります。

 十七条憲法は聖徳太子が作りはった、と。 五箇条の御誓文は明治天皇が出しはった、と。大日本帝国憲法は明治天皇が先祖代々の神様に申し上げる祝詞という形で制定された、と。やっぱり日本の憲法はみんなでわいわい、ではでけへんのとちゃうか、とも思います。今の「民主主義」で、全く新しい憲法を一から作り直す、というのがホンマにできるんか、絶望的にも思えてきます。

 そこで今日、また面白い話を見つけました。一昨日に書いたMLでの伊勢雅臣さんの「国際派日本人養成講座」の続編です。「公民教科書読み比べ(10): 国民統合の象徴とは何か?」からです。さっき、憲法の話を書きましたが、わたしはまだ勉強中で、たとえば私らの世代は、新憲法によって天皇は象徴になりました、と習いました。これが今考えてみて、ええことなんか、悪いことなんか、どうもしっくり来やへんかったんです。

 コピペだらけの憲法なんか捨ててしまえ、というのは簡単なんですが、実際に戦後、この憲法制定に日本人として関わった人たちは、それなりにとても苦労しながら何とか「国体」を維持し、整合性を持たせようと苦労しはった部分もたしかにあるんですね。

 この「象徴(symbol)」は、マッカーサーが指示したメモにもあったと言われています。
 「日本国憲法 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 私は何となくこれは、「天皇の地位は国民が決めるんや」、「天皇には権限はないんや」みたいに捉えられるんやな、と考えていました。

 自由社版の教科書では次のように説明しているそうです。
 <天皇は、国家の平穏と国民の幸福を祈ることにより、長い歴史を通じて国民の信頼と敬愛を集めてきました。日本の歴史において、権威と権力が分離するようになったのちは、天皇は自ら権力をふるうことなく、幕府などそのときどきの政治権力に正統性をあたえる権威としての役割を果たしてきました。日本国憲法のもとでの天皇も、日本の政治的伝統にならった役割を果たしています。>

 そしてさらに自由社版の教科書では、「天皇の御製(ぎょせい:天皇の詠まれた歌)」というコラムを設け、その中で歴代天皇の御製を紹介している、と。そして次のコラム「古来から続く天皇のおつとめ」では、
 <古代から伝わる天皇の大切な仕事は、神々に祈りを捧げることである。その祈りの内容は、「国民の幸せ」と「平和な世の中」である。天皇がとり行う祈りを宮中祭祀という。>
と書き、元日の「四方拝」、そしてそれに続く宮中祭祀のかなり事細かな説明があるんやそうです。

 伊勢さんは常々<「国民の幸せ」と「平和な世の中」を神々に祈る事は、今上陛下に限らず、長い歴史を通じて、歴代天皇がなされてきた事>と書いてはります。そうすると、百地章(日本大学名誉教授)さんが「明治憲法下でも、理論的に考えれば天皇は象徴であったというのが、今日の通説である」と言うてはるのも納得できる、というわけです。つまり、<明治憲法下の「天皇主権」が、日本国憲法下で「象徴」に変わったという指摘は史実に反している>と明言できるわけです。

 これを読んで、私はちょっと嬉しくなりました。たしかに日本人は今、「象徴天皇」と言うのを受け入れています。でもそれは占領軍(GHQ)に強制されて受け入れたんやなくて、もともとそういうものやったんや、ということや。

 そして伊勢雅臣さんは提案をされています。「象徴とは何か」について、中学生にも分かるレベルで説明しよう、ということです。
 天皇のおつとめは「国民の幸せ」と「平和な世の中」を神々に祈る事である、と。そしてその祈りは、ご自身のための「利己心」ではなく、他者のための「利他心」によって行われている、と。昔から「大御心」と言われてきたのは、天皇のひたすらなる利他心だと言えよう、という説明です。

 「利他心」というキーワードはこの後もいっぱい出てきますが、「天皇の国事行為」の説明にもしっかり対応できます。私は日本国憲法のことをしょっちゅうボロクソに書いたりしてますけど、この第一条については、しっかり理解できました。成り立ちとかをけなすよりも、それを超えたところで考えんとあかんな、と反省しましたね。


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教育勅語

https://pbs.twimg.com/media/CuGuOXwVMAAfyrZ.png

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ
以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
 御名御璽

●12の徳目
父母ニ孝ニ
 (親に孝養を尽くしましょう)

兄弟ニ友ニ
 (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)

夫婦相和シ
 (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)

朋友相信シ
 (友だちはお互いに信じ合いましょう)

恭儉己レヲ持シ
 (自分の言動を慎みましょう)

博愛衆ニ及ホシ
 (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)

學ヲ修メ業ヲ習ヒ
 (勉学に励み職業を身につけましょう)

以テ智能ヲ啓發シ
 (知識を養い才能を伸ばしましょう)

德器ヲ成就シ
 (人格の向上に努めましょう)

進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
 (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)

常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
 (法令を守り国の秩序に遵いましょう)

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 
 (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えま  しょう)


>今の日本国憲法はたしかに、わずか1週
>間かそこらで大急ぎで作られたもの

此奴ですね・・・

  日本国憲法の原案作成者
https://pbs.twimg.com/media/DYxdTUhUMAAto2D.jpg

憲法とは呼べぬ代物

今晩は。愚生はニフォン国健保=占領基本法、の立場から、ニフォン(以下省略)が憲法としては完全に無効であり、成立時から有効であった瞬間は無かったと考えています。占領基本法としては、ヨンフランシスコ講和条約発効と共に無効となっているのは明らかです。

よって、我が国には大日本帝國憲法が未だ現存している訳ですから、自称・保守論客が耳タコでのたまう所の『自主健保』はもうとっくに存在しているのです。その存在を必死にかき消そうとするのもまた自称・保守論客というのも情けない我が国の現状です。

憲法に関しては、イギリス式不文憲法的にに立憲君主国として天皇・ご皇室が国民に受け入れられており、成文憲法にこだわる必要は無い、という説も有りますが、明治維新以来、我が国は成文憲法でスタートしたのですから、その成文憲法の存在を無視し、湧いたコバエの如く、にわかに不文憲法が~以下省略、の議論が出て来るのがおかしいのです。

故に、愚生は安倍殿が政治生命を掛けて?取り組んでいるとする憲法改正、その実体は唯の死んだ占領基本法改正、であることを強調したいのです。改正は何度やっても欺瞞に満ちた占領基本法『改』でしか有り得ません、永久に。

凄く乱暴な例えですが

神社の神主さんは、家内安全等を祈ってくれますが、地域のことに口出しなどしませんね。そして、お賽銭を出したり、御守りを買ったりして神社を支えています。
翻って天皇陛下も国民のことを思い、祈り捧げていますが、政治とは一線を引かれています。
無理やり政治に関わらせようとしたのが、昭和恐慌以降に台頭してきた、右翼全体主義者だそうです。ちょうどその頃に生まれ育った70~80歳代のご老人に、左翼的な人がいるのも、そこにあるのかもしれませんね。
右翼全体主義者の裏で暗躍していたのが、ご存知コミンテルンのようで。戦争となったときに、天皇陛下に戦争責任を負わせるために、政治に関わらせようとしたそうです。

さて、今の憲法ですが、ようやく改正の機運が高まってきたとはいえ、今まで「弄るな❗」と言う風潮が強かったためか、保守層でも一枚岩となっていないのが残念です。9条2項の削除、大日本帝國憲法の復活など100点満点の形に出来れば確かに喜ばしいことですが、戦後70年間もさわることが出来なかった憲法(厳密には憲法典)を、先ずは改正できると言う既成事実を作ることが第一だと思います。
アメリカ大統領程の権限のない日本の首相は、その辺りが大変ですね。

大日本帝国憲法の欠陥

ナニワの激オコおばちゃんさんのこのブログ、平易な文体ですが内容は高尚ですね。毎回、深く考えさせられる内容です。

>つまり、<明治憲法下の「天皇主権」が、日本国憲法下で「象徴」に変わったという指摘は史実に反している>と明言できるわけです。

今年は皇紀2678年です。この長く続く伝統の中で、天皇が主権を持って政治を行ったのは極限られた期間だけですね。古代と近代だけでしょうか?基本的には、天皇は国体そのもの、日本国の象徴だったと思います。

昭和の一時の天皇の方が異例で、戦後の象徴天皇の方が本来の天皇の姿なんだと思います。

日本国憲法は、9条2項のような重大な欠陥がある憲法ですが、だからと言って、大日本帝国憲法を復活させるというのも問題があるように思います。

実は、大日本帝国憲法にも重大な欠陥があるそうです。それは、「内閣」「内閣総理大臣」の規定がないことです。大日本帝国憲法は、プロイセン憲法(ビスマルク憲法、1871年)を下敷きにして作られており、「イギリスのような責任内閣制度を採用すべきではない。なぜなら、いつでも大臣の首を切れるような首相を作ると国王の権力が低下するからである。あくまでも行政権は国王や皇帝の権利であって、それを首相に譲ってはいけない」という考えが基になっているそうです。

そして戦前の日本は憲法上「内閣も首相も存在しない国」になりましたが、のちにこの欠陥に気づいた軍部が「陸海軍は天皇に直属する」という規定を盾に政府を無視して暴走するようになってしまったのです。
これが、大日本帝国憲法の一番の欠陥です。

昭和に入るまでは明治維新の功労者である元勲がいたため、この「責任内閣」不在の状態でも問題は起きませんでしたが、元勲が相次いで死去するとこの問題が表面化してきたのです。そしてさらに悪いことに、大日本帝国憲法を「不磨の大典」として条文の改正を不可能にする考え方があり、これによって昭和の悲劇が確定してしまったのですね。(以上、wikipediaより転載)

それなら、大日本帝国憲法を復活させてから、改めて憲法改正すれば良いではないか?との意見が出ると思いますが、そうすると、大日本帝国憲法と現在運用中の全法律、条令などを照合して、矛盾点をひとつひとつ見つけ、憲法改正、法律改正を行っていく必要があります。ちょっと考えただけでその作業量は膨大で、おいそれと触れないですねw

そして、最初の話に戻りますが、大日本帝国憲法下の天皇像と、欠陥はありますが、日本国憲法下の天皇像とどちらがより本来の天皇に近いかと考えれば、答えは出ているように思います。

天皇は日本国の国体そのもので、日本国民を統一するための象徴だと思います。しかし、皇国史観の書かれているような神聖不可侵な存在まで行くと、行き過ぎのように感じますね。不敬に当たるかもしれませんが、私の天皇像は「国民の安寧を祈る神主さん」というものですね。

Re: 教育勅語

日本国民 さん、コメントありがとうございます。
教育勅語は「私(明治天皇)が思うに、、、」で始まるところがいいですね。
法律とか指示とか指令とかでなく「勅語」というものを持っていた日本人の知恵ですよね。

Re: 憲法とは呼べぬ代物

素浪人 さん、コメントありがとうございます。
そうですね、「占領基本法」とも言われるんですよね。
日本人だけで生きていくにはそもそも必要なかったんですが、対外的に飾る必要があった、ぐらいのものなんですよね。

Re: 凄く乱暴な例えですが

田中一郎 さん、コメントありがとうございます。
とにかくまず一度でも改正、というのは私も賛成です。
改正したら認めたことになるやんか、というのはその通りですが、そしたら逆に70年ほったらかしてたんも、認めてたことになるわけですからね。

Re: 大日本帝国憲法の欠陥

吹雪 さん、コメントありがとうございます。
> 不敬に当たるかもしれませんが、私の天皇像は「国民の安寧を祈る神主さん」というものですね。
・・・・・あはは、面白いですね。「神主さん」の前に「一番偉い」ぐらいつけときましょか?(笑)。