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2018/09/30

忘れたらあかん昭和天皇の「新日本建設の詔書」。日本は天皇がしらす国。

パンチ小
 関西は今夜、台風が通過しそうです。ずっと家にいましたので今日もまた産経新聞からです。日曜には書評がありますね。西岡力さんが、江崎道朗さんの『日本占領と「敗戦革命」の危機』を評してはります。あー、これ、読みたいなあと思てて、まだ読めてないんですけど、良さそうですね。先の大戦で日本軍が降伏した直後は、恐ろしい権力の空白期間が訪れます。

 <大きく分けて終戦時のわが国には(1)右翼全体主義勢力、(2)保守自由主義勢力、(3)共産革命勢力が並存していた。マッカーサーが率いる占領軍は当初、浸透していたソ連の工作員の影響で(3)を一番信頼し、(1)だけでなく(2)をも日本「民主化」の障害とみなしていたが、(2)の努力により(3)を排除する方向に占領政策を転換していった。>

 <日本を愛する保守自由主義の価値観からある時代の全体像を描写しているという意味で、本書はまさに江崎史観と言ってもいい。東京裁判史観を否定しようとする日本の保守派は必ず読むべき名著だ。>なんやそうです。早よ読みたいな。

 で、評者の西岡力さんはこの記事の中で、江崎さんが昭和21(1946)年1月に出された昭和天皇の新日本建設の詔書について触れてることについて書いてはります。この詔書が出される時点では、東京裁判はまだ始まっていません。

 <戦犯として裁かれる危険性があったあの時点で「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、(略)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と断言されて、日本が世界征服を目指していたとするポツダム宣言を否定されていることを知り、強い感動を覚えた。>

 つまり昭和天皇は、我が身のことは捨て置いて、日本が世界征服を目論んで戦争を起こしたと言うのは架空の観念や、とバッサリ言うてくれはったわけですね。この詔書が、この後の日本の運命に多大な影響を与えたことを、もっと評価しよう、というのが西岡さんの考えのようです。天皇は、あの時、今ここで言わなあかんことを、タイミングを逃さず、はっきりと言うてくれはったわけですね。

 前に私は「今こそ読もう昭和天皇の「開戦の詔勅」。世界は腹黒い。」を書きました。昭和天皇は自らの責任において開戦を決断し、終戦を決断し、外国には言うべきことをきっちりと言うてくれはった、そして日本国民には常に労りと励ましの言葉をかけてくれはったということですね。

 よう考えたら、優秀なはずの政治家や官僚や軍人が、ある種のパニック状態になってしもて、どうにも進退窮まってしもたときに、国としての最後の決断ができるのは、天皇だけやんか、という話やと思います。やっぱり日本は天皇がしらす国、ですね。


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2018/09/15

「しらす」と「うしはく」を書こうと思たら。日本に生まれた幸せ。

パンチ小
 私が「覚醒」しながらいろんなことを知る上で、とても役に立ったのが、時々紹介してる「ねずさんのひとりごと」というブログです。そこに何度も出てくる言葉に、「しらす」と「うしはく」があります。まだ人さまに説明できるレベルではないのでご自分で調べてほしいのですが、この言葉は天皇が治める日本を語る時には不可欠な言葉ですね。つまり、日本は天皇が「しらす」国、なんですね。何度も何度も色んな本やらブログやらネットでこの話を聞いて、だんだんとわかってきました。

 私は時々縄文時代のことを書いてますが、日本人は二万年近くこの日本列島で平和に暮らしてきたんですね。勝手な想像ですが、この列島は基本的には「食うに困らへん」かったんとちゃうか、と思います。季節ごとに海の幸、山の幸が獲れる、豊かな国。でもそれを知った、日本列島ではないところの人たちが、それを奪いに来るようになったことから今の天皇家の祖先は、みんながまとまって国という体制を作らなあかんと思うて、国を建てはったんやということですね。

 日本以外の全世界は、国を支配するというのは基本的には他人の物を「奪うこと」ですね。人間でさえも殺すか殺されるかの関係、せやから日本以外の世界中に「奴隷」がおったわけですね。日本には縄文時代でも奴隷なんかいてませんでしたからね。そう考えると今の日本国憲法はちゃんちゃらおかしいですね。何も知らんアメリカ人が作ったもんやから、「第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」なんて書いてしまいましたね。そんなん、二万年前から日本にはありませんわ。

 そもそも、大日本帝国憲法にしたって、欧米列強の侵略を避けるために、欧米風に体裁を整えるために作っただけやんか。伊藤博文は欧米を視察して勉強して、何とか日本の国柄に合う憲法にしようとして色んな工夫をしはったんや。せやから大日本帝国憲法は、形としては、天皇が皇祖皇宗、つまりもともといてはった日本の神さまに申し上げるという「祝詞(のりと)」の形で始めることにしたんやそうです。

 つまり、もともと日本は「憲法」なんかなくても、二万年近くも仲良く暮らしてきてたわけで、「国」という形になってからの「天皇」は、わかってる範囲でも二千数百年の「万世一系」を守って今に続いて来たんですね。

 「しらす」「うしはく」について書こうとしたら全部脱線してしまいました。日本は天皇がしろしめす、つまり「しらす」国、こんな国に生まれた幸せを、これからもしっかり感じて行きたいと思います。

2018/09/14

プーチンさん、まあ言わしとこうや。物事はすぐには動かへんで。

自転車小
 プーチン大統領がいきなり「一切の前提条件を付けずに、年内に平和条約を結ぼう」とウラジオストクでの「東方経済フォーラム」で発言したことで、左の方の人の中には、これで安倍外交は破綻した!なんて嬉しそうに叫んでる人がいますが、「ふうん」で済む話ですよね。まあネットでは「前提条件無しにすんねやったら、日本は千島も樺太も返してもらおか」みたいな話も出ています。まあプーチン君は吹っかけてきただけですね。

 宮崎正弘さんのメルマガ(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」第5830号)では早くも冷静な分析が出ていますね。読者の声に答える形で書いてはります。
 <トランプ戦略はロシアを対中国包囲網の仲間に入れることですが、米国議会とメディアが徹底的に反対し、妨害していて、実現には到らない。トランプのホンネはロシア制裁を解除すること、ロシアをG8のメンバーに復帰させることです。この戦略的流れのなかで、安倍首相のロシア外交が展開されているとみれば、ともかく何回でも会うことが重要、コンタクトを密にとり続けることが外交のイロハであるという認識は変わらず、劇的進展はなくとも現状維持が大切というわけでしょう。>

 もうこれで十分ですね。あと、<ま、ロシアの様子見外交はまだしばらく続くでしょう>とも書いてはります。とにかく安倍ちゃんを非難するためやったらなんでもええからギャーギャーと騒ぐ最近のマスコミはもうレベルが低すぎて、何の参考にもなりませんね。というより、こうやって戦前の朝日新聞、毎日新聞は日本を戦争へ煽り立てていったんやなあ、と思うとぞっとします。その頃よりは少しは日本人は賢くなってるし、ネットという便利な道具もありますね。

 せやけど、私らはもっともっと賢うならんとあきませんな。私は「戦争で獲られたものは戦争でしか獲り返せない」というのにめっちゃナットクしてしまいます。プーチンさんが生きてるうちに返すわけがないやん、と。まあでもこれから先の戦争というのはまさに今、アメリカがチャイナに対して仕掛けているように、ドンパチだけが戦争やないと考えると、将来、経済的にロシアをうまく取り込んで、結果的に領土が帰ってくることもあるんかなあ、と儚い夢のようなことも考えたりします。

 昨日のコメント欄で読者さんが、ベトナムでも終戦後、現地に残って独立のために戦った皇軍兵士がいたことを紹介してくださいました。こういうことはちゃんと教えなあかんのになあと、とても残念に思います。なんで去年の3月に、天皇皇后両陛下がベトナムに行幸啓しはったんか、私を含めてほとんどの日本人は、わかってへんかったんやろなあ。命を懸けて戦ってくれはった兵隊さん、私ら日本人のご先祖さまに、申し訳ないですよね。

2018/08/02

「譲位」によって上皇になられる陛下が日本を救う!ホンマか?

頷く小
 ちょっと前に私がときどき読んでるブログで感動したことがあったので書きます。西村眞悟衆議院議員の「『平成の御代』の最後の夏に」です。今上陛下におかれましては一昨年の八月に「お言葉」をお出しになられ、譲位が決定しました。このとき、マスゴミの報道は一斉に「生前退位」と言い立てて、皇后陛下が「違和感をおぼえる」とまで仰せられましたね。私は最初、ようわからんかったんです。でも確かに退位は現象で譲位は意志ですね。つまりは天皇というものを、憲法の枠内に押し込めようとする意図が働いてるわけですね。

 わたしはこれまでいろいろと勉強してきて感じてることは、日本という国は二千数百年以上も続く皇室の歴史を持っている、それはそう簡単に変えられるものではないし、続いてきたからにはものすごい深いワケがあるんやということです。せやからそのワケというのは、2週間で作った憲法やらではとても覆せるようなものではないはずや、と思うのです。西村さんは書いてはります。

 <この度の御譲位は、この「お言葉」即ち「天皇陛下の御意思」によって行われる。だが、我が国政府つまり安倍内閣は、あくまで、天皇を、「日本国憲法」の枠内に閉じ込めるために、天皇の御意思である譲位ではなく、あくまで単なる「退位」としている。しかし、これは、戦後体制の法匪が得意とするまことに無礼で卑劣で文字通り不敬な、事実の改竄である。>

 あくまで天皇のことは国民が決めた憲法に基づいて、国民が決めるんや、自分で勝手に決めさせへんぞ、という「文字通り不敬」千万な考え方なんですね。私はここで膝を打ちました。あー、そやから「退位」やのうて「譲位」なんか、と。もともと私は、皇室典範というのは、皇室がそれこそ勝手に決めるべきもので、臣民がどうこう言えるもんではないんとちゃうか、と感じてました。天皇が最も大切に思われてるのは「おおみたから」である私ら国民やんか。その私らは、よその家の跡継ぎをどうするかなんて、勝手に決められるわけがないやんか。ホンマ失礼な話やわ。

 で、西村さんはこの「御譲位の意義」を教えてくれはります。

 <この意義の第一は、この御譲位は、譲位と上皇の規定を有しない「日本国憲法」が、想定していないこと、であるということである。即ち、今上陛下は、御譲位によって「上皇」となられ「日本国憲法」を超えられるのだ。天皇が上皇となられ、「日本国憲法」を超えられる、即ち、「戦後体制」を超えられる。この意義は、計り知れない。>

 いやあ、ぞくっとして、ふうーっと息をつきましたわ。これはとんでもなく歴史が変わったということやんか。

 そして西村さんは歴史を繙いて教えてくれはります。第108代の後水尾天皇は、1596年生まれ、1680年崩御。昭和天皇に次いで歴代最長寿の天皇だそうです。在位は1611年から1629年までの18年間だが、譲位された後、崩御まで全てご自分の子である四代の天皇の後見人として、51年間にわたって上皇として院政を敷かれたんやそうです。この後水尾天皇の時代というのは、ちょうど
<1615年の豊臣本家滅亡を経て本格化する、徳川幕府の権力確立期であった>。
<従って、幕府の、朝廷に対する公然また非公然の圧力と統制が強まる時期>
であったそうです。

 そんな時に幕府に知らせることなく、いきなり譲位されたというわけです。つまり、
<後水尾上皇の51年間の院政が、徳川幕府の朝廷の権威を貶め朝廷を幕府の統制下に閉じ込めようとする施策に対抗し、朝廷の存在感を天下に示し続けるものであったことは確かである>。
この後、西村さんの話は、
<楠正成の戦いと赤穂浪士の討ち入りは、日本人が日本人である限り伝えられ甦る民族の叙事詩である>
と続きます。最後の20行は、もう涙が出てきます。ぜひ読んでください。

2018/07/20

何十年ぶりかの伊勢神宮参拝。今の日本、何かが変わって欲しい!

自転車小
 小学校6年の時の修学旅行以来、何十年ぶりかで伊勢神宮にお参りに行ってきました!ちなみに、大阪の公立小学校の当時の修学旅行は一泊二日で伊勢志摩が圧倒的に多かったようです。5年の時の「林間学校」は高野山で二泊三日、6年の時の「臨海学校」は白浜(和歌山)で二泊三日でしたね。今回、思うところあって行ったんですけど、私自身の伊勢神宮の記憶としては外宮と内宮で千木が外向きか上向きかで違う、ということぐらいやったでしょうか。

 当時の残ってる写真では、夫婦岩の前の磯に突き出した岩場の上にクラス全員が固まって立ってる記念写真があるのですが、今回はその岩には立ち入れなくなってましたね。周りに柵もできてましたし。写真があるから記憶も残ってるだけなんでしょうか。そもそも一番大事なはずの内宮、外宮の写真が残ってないわけは、今回ようわかりました。撮影禁止なんですね(笑)。2年ちょっと前の伊勢志摩サミットの時の写真も展示してありましたが、これも当然、撮影禁止エリアのすぐ手前で撮られてました。安倍ちゃんがオバマ、メルケル、オランド達を引き連れて、ここまで来たんやなあと改めて興奮してました。

 自分に記憶がちゃんと残ってなかったこともようわかりました。今回はもちろん、外宮、内宮の順番に参拝したんですが、当時「二拝二拍手一拝」やったのかどうかさえもあやふやです。あ、お賽銭箱はありません。鐘もありません。めっちゃシンプルです。さあ、ここが一番重要な場所やと教わってたとしても、目の前には鳥居があって前に進んで参拝しても、その先には木の扉が閉まったままの簡素な建物があるだけ、その奥に神さまがいてはるんや、と当時感じたのかどうかさえ覚えてません。

 そこに至るまでの参道の空間にも独特の雰囲気がありますね。今風に言うとパワースポットというんでしょうか。なかなか私ら凡俗の身にはピンと感じる、とまではいきませんが、少しでも厳粛な空気に触れられたらええな、と思います。実はめっちゃ暑うて難儀やったんですけどね(笑)。木陰があったので何とか歩けましたけど。そうそう、「式年遷宮」のことは私は覚醒してから知りました。前にここでも書きました。20年に一度、場所も替えて、社殿を新しく建て替えるんですね。最近が5年前の平成25年でした。せやからまだ柱なんかもきれいな感じでした。

 千数百年前からすでに日本では、永遠に続く生命のサイクルというものを意識してたわけですよね。江戸時代には「おかげ参り」が大流行したこともあって、いまでも「おかげ横丁」と呼ばれる一角があります。私もこの猛暑炎天の中、赤福氷と赤福餅を食してきましたよ(笑)。江戸時代に庶民の娯楽が流行ったのは間違いなく庶民が豊かになっていたからで、それは道路などをはじめとしたインフラの整備に負うところが大きかったはずですね。「仕分け」で公共工事を減らしまくった民主党、財務省の役人は、江戸時代がなんで発展したのか知らんかったんですね。残念なことです。