FC2ブログ
2018/08/02

「譲位」によって上皇になられる陛下が日本を救う!ホンマか?

頷く小
 ちょっと前に私がときどき読んでるブログで感動したことがあったので書きます。西村眞悟衆議院議員の「『平成の御代』の最後の夏に」です。今上陛下におかれましては一昨年の八月に「お言葉」をお出しになられ、譲位が決定しました。このとき、マスゴミの報道は一斉に「生前退位」と言い立てて、皇后陛下が「違和感をおぼえる」とまで仰せられましたね。私は最初、ようわからんかったんです。でも確かに退位は現象で譲位は意志ですね。つまりは天皇というものを、憲法の枠内に押し込めようとする意図が働いてるわけですね。

 わたしはこれまでいろいろと勉強してきて感じてることは、日本という国は二千数百年以上も続く皇室の歴史を持っている、それはそう簡単に変えられるものではないし、続いてきたからにはものすごい深いワケがあるんやということです。せやからそのワケというのは、2週間で作った憲法やらではとても覆せるようなものではないはずや、と思うのです。西村さんは書いてはります。
 <この度の御譲位は、この「お言葉」即ち「天皇陛下の御意思」によって行われる。だが、我が国政府つまり安倍内閣は、あくまで、天皇を、「日本国憲法」の枠内に閉じ込めるために、天皇の御意思である譲位ではなく、あくまで単なる「退位」としている。しかし、これは、戦後体制の法匪が得意とするまことに無礼で卑劣で文字通り不敬な、事実の改竄である。>

 あくまで天皇のことは国民が決めた憲法に基づいて、国民が決めるんや、自分で勝手に決めさせへんぞ、という「文字通り不敬」千万な考え方なんですね。私はここで膝を打ちました。あー、そやから「退位」やのうて「譲位」なんか、と。もともと私は、皇室典範というのは、皇室がそれこそ勝手に決めるべきもので、臣民がどうこう言えるもんではないんとちゃうか、と感じてました。天皇が最も大切に思われてるのは「おおみたから」である私ら国民やんか。その私らは、よその家の跡継ぎをどうするかなんて、勝手に決められるわけがないやんか。ホンマ失礼な話やわ。

 で、西村さんはこの「御譲位の意義」を教えてくれはります。
 <この意義の第一は、この御譲位は、譲位と上皇の規定を有しない「日本国憲法」が、想定していないこと、であるということである。即ち、今上陛下は、御譲位によって「上皇」となられ「日本国憲法」を超えられるのだ。天皇が上皇となられ、「日本国憲法」を超えられる、即ち、「戦後体制」を超えられる。この意義は、計り知れない。>
 いやあ、ぞくっとして、ふうーっと息をつきましたわ。これはとんでもなく歴史が変わったということやんか。

 そして西村さんは歴史を繙いて教えてくれはります。第108代の後水尾天皇は、1596年生まれ、1680年崩御。昭和天皇に次いで歴代最長寿の天皇だそうです。在位は1611年から1629年までの18年間だが、譲位された後、崩御まで全てご自分の子である四代の天皇の後見人として、51年間にわたって上皇として院政を敷かれたんやそうです。この後水尾天皇の時代というのは、ちょうど<1615年の豊臣本家滅亡を経て本格化する、徳川幕府の権力確立期であった>。<従って、幕府の、朝廷に対する公然また非公然の圧力と統制が強まる時期>であったそうです。

 そんな時に幕府に知らせることなく、いきなり譲位されたというわけです。つまり、<後水尾上皇の51年間の院政が、徳川幕府の朝廷の権威を貶め朝廷を幕府の統制下に閉じ込めようとする施策に対抗し、朝廷の存在感を天下に示し続けるものであったことは確かである>。
この後、西村さんの話は、<楠正成の戦いと赤穂浪士の討ち入りは、日本人が日本人である限り伝えられ甦る民族の叙事詩である>と続きます。最後の20行は、もう涙が出てきます。ぜひ読んでください。
「上皇」となられる陛下が日本を取り戻す!と思う人は(思わなくてもww)クリック!⇒
人気ブログランキング
2018/07/20

何十年ぶりかの伊勢神宮参拝。今の日本、何かが変わって欲しい!

自転車小
 小学校6年の時の修学旅行以来、何十年ぶりかで伊勢神宮にお参りに行ってきました!ちなみに、大阪の公立小学校の当時の修学旅行は一泊二日で伊勢志摩が圧倒的に多かったようです。5年の時の「林間学校」は高野山で二泊三日、6年の時の「臨海学校」は白浜(和歌山)で二泊三日でしたね。今回、思うところあって行ったんですけど、私自身の伊勢神宮の記憶としては外宮と内宮で千木が外向きか上向きかで違う、ということぐらいやったでしょうか。

 当時の残ってる写真では、夫婦岩の前の磯に突き出した岩場の上にクラス全員が固まって立ってる記念写真があるのですが、今回はその岩には立ち入れなくなってましたね。周りに柵もできてましたし。写真があるから記憶も残ってるだけなんでしょうか。そもそも一番大事なはずの内宮、外宮の写真が残ってないわけは、今回ようわかりました。撮影禁止なんですね(笑)。2年ちょっと前の伊勢志摩サミットの時の写真も展示してありましたが、これも当然、撮影禁止エリアのすぐ手前で撮られてました。安倍ちゃんがオバマ、メルケル、オランド達を引き連れて、ここまで来たんやなあと改めて興奮してました。

 自分に記憶がちゃんと残ってなかったこともようわかりました。今回はもちろん、外宮、内宮の順番に参拝したんですが、当時「二拝二拍手一拝」やったのかどうかさえもあやふやです。あ、お賽銭箱はありません。鐘もありません。めっちゃシンプルです。さあ、ここが一番重要な場所やと教わってたとしても、目の前には鳥居があって前に進んで参拝しても、その先には木の扉が閉まったままの簡素な建物があるだけ、その奥に神さまがいてはるんや、と当時感じたのかどうかさえ覚えてません。

 そこに至るまでの参道の空間にも独特の雰囲気がありますね。今風に言うとパワースポットというんでしょうか。なかなか私ら凡俗の身にはピンと感じる、とまではいきませんが、少しでも厳粛な空気に触れられたらええな、と思います。実はめっちゃ暑うて難儀やったんですけどね(笑)。木陰があったので何とか歩けましたけど。そうそう、「式年遷宮」のことは私は覚醒してから知りました。前にここでも書きました。20年に一度、場所も替えて、社殿を新しく建て替えるんですね。最近が5年前の平成25年でした。せやからまだ柱なんかもきれいな感じでした。

 千数百年前からすでに日本では、永遠に続く生命のサイクルというものを意識してたわけですよね。江戸時代には「おかげ参り」が大流行したこともあって、いまでも「おかげ横丁」と呼ばれる一角があります。私もこの猛暑炎天の中、赤福氷と赤福餅を食してきましたよ(笑)。江戸時代に庶民の娯楽が流行ったのは間違いなく庶民が豊かになっていたからで、それは道路などをはじめとしたインフラの整備に負うところが大きかったはずですね。「仕分け」で公共工事を減らしまくった民主党、財務省の役人は、江戸時代がなんで発展したのか知らんかったんですね。残念なことです。
天照大神(あまてらすおおみかみ)、弥栄(いやさか)!と思う人は(思わなくてもww)クリック⇒
人気ブログランキング
2018/06/22

しんぶん赤旗を配ってる共産党員の皆さん、そろそろ覚醒したら?

走る小
 今日の産経新聞(大阪版)で、共産党の話が出ていますね。「平成30年史 第10部 政界再編」。昔の私は左翼チックやったし、子供の頃なんかいわゆる判官びいきで、いつも強い自民党に対して「革新系」と呼ばれてた社会党や共産党が選挙でちょっとでも増えたら、「よーし」なんて、無邪気に思うてました。マスゴミの思うつぼやったんでしょうね。そんな「革新」側の共産党、いかにえげつない党やったかは最近いっぱい知りました。もっと昔は暴力的なこともやってましたからね。

 で、今日の記事です。
 <「人権抑圧と侵略戦争を推進 天皇が死去」/「新元号『平成』の使用を国民に強制するな」/1989年1月8日、すなわち昭和天皇が崩御された翌日の共産党機関紙「赤旗」(現しんぶん赤旗)の1面には、こんな見出しと記事が並んだ。>
 <非難は連日続き、10日付では議長の宮本顕治がインタビュー形式で登場。「日本歴史上最大の惨禍もたらした人物」と罵り、「民主主義日本のためには、天皇制という合理的でない制度をなくさなければなりません」と明確に訴えた。>

 ほほう、でもこの記事の時、私はもう大人やったけど、赤旗は読んでへんかったから知らんかったわ。今、これ言うたらとんでもないことになってるやろうなあ。最近、共産党は擦り寄ろうとしてるからな。記事にもありますけど、もともと共産党は、天皇陛下がご臨席し、開会の辞を述べられる国会の開会式にはずう~っと出やへんかったのに、平成28年1月の国会の開会式には史上初めて出席したということで話題になりましたね。

 またこれも記事にありますが、平成16(2007)年には党の綱領を改定し、「君主制を廃止」とか「人民革命」という言葉はなくなり、「抑制的な表現になった」そうです。それでもたとえば自衛隊は違憲で、解消すべしと言うてるし、日米安保条約は廃棄すべしと現在の綱領には書いてあります。まだこんなことゆうてるんや、と驚きですね。まあ綱領は上の人が勝手に書いてはるわけやけど、下の人たち(一般?党員)は真面目な人が多い、というのが昔の私のイメージでした。そしたら何と今日、私が毎日読んでる小坪慎也さんのブログに、「狛江市にて、しんぶん赤旗の庁舎内での勧誘、配布、集金が全面的に禁止となりました。」という記事が出ていました。

 そして、そのブログのコメント欄に、自分の身内が共産党員という人の投稿があり、悲惨な党員の新聞配達の実態が暴露されてました。真面目な党員は文句も言わずに?雨の日も風の日も、せっせと新聞を配り続けてるとか。まあそりゃー自業自得やろ、とは思いますけど、もうそろそろ覚醒しはった方がええんとちゃいますか?日本全国の真面目な共産党員さん。有名な不破哲三さんの豪邸の話も知ってはるんでしょ?新聞配ってて、アホらし、て思わへんのかなあ?不思議や。
共産党員さん、はよ気い付いたほうがええよ、と思う人は(思わなくてもww)クリック!⇒
人気ブログランキング
2018/04/29

昭和の日に思う、天皇を戴く国、日本に生まれた幸せ

指差し小
 今日は昭和の日、昭和天皇がお生まれになった日、当たり前やけど私らの子供の頃は「天皇誕生日」でしたね。その昔は「天長節」。今日はええ天気、皆さん国旗は掲揚しはりましたか?

 私が「何かおかしい」と感じていろいろ勉強し始めた頃、何となくわかったことは、サヨクの人たちはとにかく「天皇制」を将来的にはなくしたい、と思てはるんやな、ということでした。そもそも「天皇制」という言葉自体がサヨク側の言葉みたいです。歴史をちゃんと事実に基づいて勉強してみると、日本という国は、もう二千年近く前から、国の権威と権力は切り離した方がうまくいく、ということがわかってたんや、ということを知りました。

 もともと日本列島には四季があって、海、山の自然の恵みが多く、基本的には食べ物にはそんなに困らへんかった、と。せやけど時々地震、台風、洪水、噴火、などの自然災害が起きて大変なことになる、と。そんな時のためには備えが必要で、その前提が、備蓄のできる稲作やったんや、ということですね。稲作をするにはみんなで協力せなあかんから、だんだんと国という組織ができてきたと。それを日本列島全体に広めていくことで、「食うに困らへん」安定した国ができていったんや、ということでしょうか。その過程で権威と権力は切り離したほうがうまくいくことを知ったんやと思います。「大国主の国譲り」の話が象徴的ですね。

 今の時代も天皇陛下御自ら皇居の中で毎年、稲を育ててはるそうです。「瑞穂の国」ですね。最高権威の方が自ら稲を育てはるからこそ、日本はその昔から「職業に貴賎なし」の国やったんでしょうね。日本には奴隷制はなかったんやからね。きちんと稲作をしていれば、他人から奪うことなどしなくても自分たちの食べ物は確保できる。稲作に勤しむ民こそが国の力の源で、せやからこそ民は天皇にとっての「おおみたから」ということですね。こんな理想の国が二千年も前に既にして出来上がっていたということですね。

 その調子で稲作を広めていったら世界が平和になるはずやってんけど、大陸は事情が違うたんですね。日本人の不幸はいつも大陸から来てるんですね。白村江の戦い、元寇、ペリー来航、大東亜戦争、、、。今、朝鮮半島の雲行きが怪しいですが、今こそ日本人、しっかり踏ん張らんとあきませんね。
天皇を戴く日本人は幸せや!と思う人はクリック!⇒
人気ブログランキング
2018/03/04

昭和天皇とマッカーサー

自転車小
 昨日の記事の「御製」は「ぎょせい」です。歴代の天皇がお詠みになった和歌のことをいいます。
 で、天皇の戦争責任。私は責任はあったとかなかったとか、どうでもええと思います。というのは、いつも読んでるねずさんのブログ(大和心を語るねずさんのひとりごと)で、ちょっと前に「昭和天皇行幸とシラス国」という記事を読んで確信したからです。昭和天皇の行幸の話は、ねずさんは時々上げてくれてはります。
 「昭和天皇の行幸は、昭和21年の神奈川県を皮切りに、昭和29年の北海道まで、足かけ8年半にかけて行われました。全行程は3万3000km、総日数は165日です。」
 もうこれは大変なことやんか。天皇陛下は暇とちゃうねんで。年がら年中、行事がある中でのこの数字や。上の記事も、何べん読んでも涙が出ます。戦争で両親を亡くした女の子に陛下がお言葉をかけられる話。シベリアに抑留されて共産主義に「洗脳」されてたはずの帰還兵士が、陛下を前にしていっぺんに洗脳から解けてしもうた話。息子を戦争で亡くした老母に陛下が声をかけられる話。こういう話を聞いて読んで、その上で、どうぞ「戦争責任」の話をしてください、と言いたくなりますね。帝国憲法が、統帥権が、とか、そんなことはどうでもええやん、あんたら、天皇陛下を極刑に処したかったんか?あらためて「天皇の戦争責任」などという言葉がもうめっちゃ薄っぺらいものに思われます。まあ言いたくはないけど、この戦後の「行幸」一つとってみても、天皇陛下は全身全霊で昼も夜も日本国民に「責任」を果たされ続けてるんやと思います。せやからそれは、「責任」なんていう軽い言葉やないんとちゃうか、と思いました。
 話戻りますけど、上のシベリア帰還兵の話、マッカーサーの話にも通じますね。
 敗戦直後の昭和20年9月27日、昭和天皇は正装してアメリカ大使館公邸に通訳一人だけを連れてマッカーサーを訪ねられます。このとき、お迎えはありません。マッカーサーは天皇が命乞いに来るのだろうぐらいに思い、あの有名なノーネクタイ、腰に手を当て、天皇陛下は直立不動の姿勢の有名なあの写真が撮られました。けれど、天皇は「全責任は自分にある。自分の身はあなたに任せるから、どうか国民を飢えさせないでほしい」と言われたそうです。それを聞いてマッカーサーは感激し、一気に態度を変えて予定していなかったお見送りをしたそうです。(詳しくはもうネットにいっぱい出てますからぜひ見てください)。この後マッカーサーは、昭和天皇の戦争責任を調査するアメリカ政府の要請に対し「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答したそうです。
 改めて私らは、天皇のおられるこの国に生まれたことを、心から幸せに思えますね。
 ※ちなみに、上の行幸の話の元は、しらべかんが(調寛雅)著「天皇さまが泣いてござった」という本だそうです。