FC2ブログ
2018/06/13

もう教科書から邪馬台国、卑弥呼の話は消そう。あれは単なるフィクション。

自転車小
 私が中学校に入って歴史を勉強し始めた最初の頃に、邪馬台国のことは教科書に出てましたね。卑弥呼という女王が治めてたということが三国志の中の魏志倭人伝に書いてある、とか。あと、漢委奴国王印という、純金のハンコが出土したとか。でも実は最近の考古学研究やら最新の遺跡発掘の結果、そもそもこの邪馬台国や、その女王と言われる卑弥呼は、単なるフィクションと考えるのが正しそうです。そのことをもう何年も前から田中英道さんが指摘してはります。

 邪馬台国論争というのがあって、九州にあった説、畿内説とかいくつかあるようです。たしかに本屋さんに行くと、大変な数の本が売れてるみたいです。ようわからん話を創造でふくらまして、面白おかしく書いたら売れるからそうなってるだけで、逆に言うと、魏志倭人伝の記述があまりにもええかげんやからこんなことになってるだけの話です。そもそも日本には卑弥呼神社がどこにもない、ということが、これが単なる伝聞の推測から書かれただけのものやということを、雄弁に物語ってるということやそうです。

 魏志倭人伝に書かれている邪馬台国というのは、2~3世紀ごろのことですが、それよりはるか前、紀元前3世紀ごろに支那の徐福という人が日本に渡って来たという伝説があり、それに基づく神社や史跡は実際に日本国内に今でもいっぱい残っているそうです。また、卑弥呼がいたとされる同時代に、百済や新羅や高麗など、朝鮮から来た人々を祀る神社も日本のあちこちにあります。

 卑弥呼がホンマにその当時、日本の統一王朝の女王やったとしたら、何で日本のどこにもその神社やら史跡が残ってへんのか、ということです。この話はめっちゃ説得力がありますね。あ、実は卑弥呼神社は1社だけ鹿児島県にありました。何と創建は昭和4757(1982)年、勝手に作っただけの神社でした。あー笑えるわ。

 また、女王ということで、卑弥呼は神功皇后のこととちゃうか、という説もあるそうですが、もしそうやったら、近接する他の史跡などの年代を全部百年単位でずらさんと成立せえへん話らしくて、それはそれでめっちゃ無理がある、ということなんやそうです。結局、そもそも魏志倭人伝の卑弥呼の話は、これを書いた陳寿が自分で、これは聞いた話やけど、と断りもちゃんと入れてるそうです。

 せやから、位置もええかげんなら、当時の日本人ではとても有り得ないような変な習俗なんかの記述もあるそうです。田中英道さんのホームページには、そういう話を、あらゆる角度から考察して、完膚なきまでに卑弥呼、邪馬台国を否定した論考が載っています。

 なんでこうなるんやと言うたら、基本的にチャイナの古典、魏志倭人伝だけを正しいとして、それを前提にしてるからですね。で、しかも邪馬台国つまりは日本は、支那に朝貢してたということにしたい人が歴史学者の中に、今でもいっぱいおる、ということですね。そんなん、学者とちゃうやんか。日本を貶めたい人たち、なかなかいなくなりませんね。

2018/05/05

秀吉はなんでキリスト教を禁止したんか、知ってましたか?

自転車小
 私はわりと歴史は好きやったから、普通に天草四郎の乱やらキリシタン大名やら、踏み絵なんかの話は知ってました。せやけど、この4年ほどいろいろ勉強するうちに、ちょっと違うな、ということがわかってきました。そして昨日、ニュースに出てましたが、「長崎・天草、世界文化遺産に登録へ 潜伏キリシタン遺産」やそうです。まあ最近は、国連はかなりええかげんで、サヨクの巣窟で、ユネスコもおかしいことがわかってきてるのでさもありなん、ですけど、気持ち悪いですね。

 ちょっと違うなというのは、日本でのキリスト教の歴史に関する教育についてです。私らが教えられたイメージは、秀吉のキリスト教の禁止は残虐な弾圧やったと、いうことやったと思います。まあ実際のところはいろいろあったにしても、何で秀吉がキリスト教を禁止したのかの理由についてはきちんと習わんかったように思います。

 当時、キリスト教の宣教師は、日本人の女性をそれこそ何十万人もヨーロッパに売り飛ばしていたそうですね。あの有名な天正少年使節団が、ローマで日本人女性がたくさん奴隷にされて繋がれているのを見てショックを受けたということが、ちゃんと記録に残っているそうです。何や、それ、ですね。あるいはキリシタン大名たちが神社仏閣、仏像を破壊しまくったこともきちんと教わってはいませんよね。さらに、キリシタン大名は武器、大砲も持ち、軍事組織まで作っていたということです。

 つまりはキリスト教を隠れ蓑にした立派な国家破壊、侵略行為ですね。それに気づいてきちんと先手を打った秀吉は、褒められこそすれ、非難されるものではないでしょう。ところが私らの学生時代は、キリシタン大名は苛烈な弾圧に殉じた悲劇の大名と、むしろ美化さえされてたんとちゃいますか?実は戦前はそういうことも正しく教えられていたそうですが、戦後はそれこそGHQへの「忖度」で、キリスト教の邪悪な面は教えなくなっていたそうです。

 ここで話がはじめに戻りますが、そんなキリシタンの「かわいそうな」長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連の遺産が、ユネスコの世界遺産に登録される方向になったそうです。ホンマあっちの人たちはしぶといなあ。潜伏キリシタンて、単に日本を九州地方から破壊して独立させようとして、結局は滅ぼされた勢力やったんやで。あー、まだまだ日本がホンマの独立国にはなってへんことが、また一つわかってしまいました。今からでも正しい歴史をきちんと勉強し直さなあかんな。

2018/03/12

「日中15年戦争」、「三光作戦」

指差し小
 前にも書きましたけど、私がこのブログを始めようと思うたきっかけは、自分がウソを教えられてたことを知って怒りを覚えたことです。高校時代の社会科の先生が熱心な人で、私も文科系で歴史が好きやったから、一生懸命授業を聞きましたわ。教科書にない副教材を自分で毎回作ってはって、そらあ真面目やったで。教科書にはこう書いてありますけど、実はね、なんて高校生が言われたら、へえ~、てなるやんか、その当時やったら。で、その中にウソがあったというわけです。

 「日中15年戦争」。昭和6(1931)年の満州事変から昭和20(1945)年の終戦の時までの15年間の、日本とチャイナとの間の戦争を言うそうです。まあ突っ込みどころ満載やねんけど、まず「戦争」の定義からしておかしいですね。大東亜戦争は宣戦布告して始まったものやから「戦争」、満州事変はあくまで「事変」です。

 また、本格的な戦闘は昭和12(1937)年の盧溝橋事件に始まる上海事変のときに起こっていますが、それでもこの15年間のほとんどの間は大陸は、割とのんびりしてて、「ずっと戦争中」などという認識は、当時でもなかったんや。少なくとも満州事変は塘沽協定(とうこきょうてい)で終結してるし、盧溝橋事件にしてもその後の第二次上海事変にしても、その都度収拾しようとして協定を結ぶけども、チャイナがあちこちで今で言うゲリラみたいなことをしてきてた、ということなんや。

 チャイナは日本軍が15年間ずっと暴虐の限りを尽くした、ということにしたいから、そういう言い方をしてるわけやね。ちょうど私の高校時代の先生が教えてたんは昭和40年代の後半、ちょうど反日が出てきた頃やんね。

 それと、前にも書いた「三光作戦」。「焼光」「殺光」「略光」。焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす、と。でも私は当時もけっこう本は読んでたから、先生から「光」は「○○しつくす」という意味なんです、と教えられたときは、すごく違和感を感じたものでした。いやあ、私らが使う日本語やったらそんな意味には使えへんけどなあ、と。

 何のことはない、それはもとはと言えばチャイナ軍がいっつもやる作戦のしかたの名前やったんですね。まあウソ話を作るのもヘタクソですね。でもそれを得々として教えてたその先生が許せません。と言いながらその先生、もう10年ちょっと前に亡くなりはってんけどね。

 本人は共産党シンパやと自分でゆうてはったし、真面目やってんけど、自分ではそういうウソ歴史もホンマやと信じてはったんやと思いたいですけどね。
2018/02/23

「経済で読み解く明治維新」上念司

経済で読み解く明治維新  

 読みましたよ。『経済で読み解く明治維新』上念司。

 初版が2016年4月と書いてあるから、ちょっと前の本やねんけど、どうしても読みたかってん。いやあ、面白い!上念さんの本は読みやすいし、経済の事でもノリのええ文章やから頭に入りやすいです。辛口なところも本音ズバリで気持ちええんです。

 で、中味やけど、上念さん自身があとがきで書いてはるんですけど、タイトルに明治維新とあるのに書いてる中味はほとんどが江戸時代の話やと。「こんなにすごいぞ、江戸時代」でもよかったぐらいやと言うてはります。実は日本という国は、江戸時代にものすごい発展してて、恐らく世界で一番進んでたんやないか、ということです。たしかに当時の大阪には堂島米会所というのんがあって、それはウィキペディアによると「現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界初の整備された先物取引市場であった」そうや。

 ところが私らが歴史で習うたんは、江戸時代は鎖国をして世界から遅れてしまい、百姓一揆もたくさんあって、悲惨な時代やった、みたいなことでしたね。上念さんも言うてはります。白戸三平のマンガ「カムイ伝」がそのイメージを作るのに役立った、と。でもよう考えたら、悲惨な時代なはずやのに何で豪華な元禄文化が栄えたんや?一般庶民が全国からお伊勢参りもしてたんやろ?「東海道中膝栗毛」なんか、庶民の旅行ガイドやんか、と。デフレに悩む今の日本人よりよっぽど楽しみがいっぱいあって、幸福度は高かったんとちゃうか、と思えますね。

 まあでもこの本の中でも江戸時代を通じて経済はずっと良かったわけではなくて、災害があったりその時々の為政者である将軍、老中、勘定奉行たちによって、良くも悪くもなったことが書かれてます。今と変わらへんやんか。

 江戸幕府では国内各地に石高制のもとに藩が置かれ、各藩はかなり独立していて百姓からの年貢は米を現物で納めさせ、藩の武士は現物の米で給料(禄)をもろうてた、つまりは米が経済の基本やったそうです。ちなみに徳川家は最大で400万石で、日本全国では3000万石あったそうです。あ、石高とは米の収穫量のことですね。

 せやから江戸の幕藩体制というのは徳川家をトップにした連邦国家制みたいなもんやと。なるほど。でも国家的な大事業、江戸城やらその城下町、彦根城、篠山城、亀山城の築城とか、各地の河川の治水事業には「手伝普請(てつだいふしん)」という名で諸大名に金も人も出させたらしい。

 あとみんなが知っている「参勤交代」も、私らの思うてたんとちょっと違うようです。諸大名が反乱せえへんように妻子を江戸に人質において、かつ毎年行き来する費用で大名を疲弊させるためみたいに習うたんやけど、実際には諸大名が進んで申し出たんやそうです。

 いずれにしろこの制度のおかげで全国の道路網が整備され、お金が全国に落ちていくシステムになってたことは確かですね。江戸時代はよかったんやなあ。
2017/12/10

「正定事件」、第二第三の「南京事件」「従軍慰安婦」を許すな

走る小
 最初に「従軍慰安婦」の話が出てきたときは、ほとんどの日本人が、「『従軍看護婦』や『従軍記者』『従軍カメラマン』はおったけど、『従軍慰安婦』なんておるわけないいやん、アホらし」と思うてたはずです。戦後29年経ってルバング島から帰還した小野田寛郎さんが、いろんなところで証言もしてはります。

 せやのに、朝日新聞の捏造報道で何も知らんアホな日本人(あ、少し前の私も含まれます)が、日本人は悪いことしたんやなあ、と思うてすぐに謝ってしまい、延々と世界中に日本の悪い評判をまき散らすことになってしもたわけですね。

 で、この「正定事件」、ちょっとややこしいけどまさにこの「従軍慰安婦」の手口が使われそうになっているということで、宮崎正弘さんのブログ(メルマガ)に連載途中ですけど紹介します。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」

 まず何があったかと言うと、昭和12(1937)年10月9日、現在のシナの河北省正定で、キリスト教・カトリックのオランダ人の司教ら9人が誘拐・殺害された事件がありましたと。当時はシナ事変が勃発したばかりで正定も混乱のさ中やったので、当時でも犯人がようわからんかったらしい。

 当時の新聞の一つには、9人のオランダ人司教達が、中国の山賊に誘拐され、その後、殺害されて発見された、とある。
 また別の新聞では、一部の中国人が日本兵の死体から制服を剥ぎ取り、日本兵に成りすまして犯罪を犯した可能が大きい、と書いている。
 さらに別の新聞では、夜陰に乗じて朝鮮人又は満洲人の武装集団が威嚇しながら突然出現し、目隠しをして連れ去った。とある。
 要は、いまだにこれは未解決事件なんや、ということやそうです。

 ところが大事なんはここからで、今、オランダと中共が、この亡くなった9人の「列福(れっぷく)」を、バチカン教皇庁に訴える運動をしているそうです。列福というのはキリスト教、カトリック教会において、「聖人」に次ぐ「福者」の地位に上げられることやそうです。で、この2国は、この殺された9人の人たちは、日本軍が、女子修道院に逃げ込んだ中国人女性の中から200人を慰安婦として差し出すよう求めたのを拒んだから焼き殺されたのだ、ということにしているそうです。

 たしかに悲惨な事件やったから、事件から1ヶ月後に「カトリック信徒」の横山少佐率いる日本軍が追悼のミサを行った、だから当時の日本軍も謝ってたんや、ということになってるとか。でもよく調べると、そもそも横山少佐はカトリック信徒ではなかったそうです。

 2012年10月にオランダでこの亡くなった人たちの殉教75周年を記念する式典が行われ、ここで日本カトリック司教協議会会長の池長潤大司教の書簡を代読されたが、その書簡に「中国人女性200人を慰安婦として差し出すのを拒んだので焼き殺された」という内容が記載されているそうです。

 実際にあったむごたらしい事件を、何の証拠もなく日本軍のせいにしてでっち上げられて謝らされる日本人、という構図が、南京、慰安婦と同じですね。