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2018/02/01

大川周明「日本二千六百年史」その2『古事記』『日本書紀』

頷く小
 昨日に引き続きこの大川周明「日本二千六百年史」の話です。
 この本は序論で『古事記』『日本書紀』について書いてあります。たしかに私は中学時代に学校で習うたと思いますけど、もしかしたら今の子供は習えへんのんかな?
 当時の朝廷は、日本人が「日本」を意識するようになって、日本というのはどんな国なんや?ということをわからせるために、国家事業としてこれらの本を書かせたということです。
 サヨクの歴史家はとにかく日本を貶めたいもんやから、これらの本はデタラメということにしたいようです。でも『日本書紀』では随所に「一書に曰く(いっしょにいわく)」という記述があり、つまりは当時すでに多くの書物が書かれていて、それらをことごとく取り上げてしっかり検証したうえで、確かな日本の歴史を述べようとしているわけです。大川周明はこの本には「公平無私にして天空海闊(てんくうかいかつ)なる日本精神」が現われている、と書いてはります。
 <国民の父たる天皇は、国民を「大御宝(おおみたから)」と呼んでいる。・・・国民は自ら「天の益人(あまのますひと)」と称(とな)えていた。・・・天の益人とは・・・天意を地上に実現して行く民ということである。天は即ち神・・・神は即ち至高の理想・・・至高の理想の具現者は皇祖皇宗・・・故に天意を奉ずるということは、天皇の大御心を奉ずること・・・かくて天皇の大御心を奉ずる日本国民の数の多くなればなるほど、それだけ至高の理想が地上に実現されて行くというのが、吾らの祖先の自信であった。>
 <古代の戦争は「まつろはぬもの」を「まつろはす」ために戦われた。まつろふというは祭り合う意味にして、同一の神を尊崇すること、換言すれば同一理想を奉ずることである。>
 それが神武東征であり、大国主命の国譲りの話でもあるんやな、とわかりました。まあこんなことを書くと天皇の神格化や、とか、戦前の国家神道や、とか言われるんやろうね。じっさい、この当時ですらB・H・チェンバレンという東京帝国大学名誉教授が、日本人が天皇を崇めることに対して「忠君愛国という二十世紀の日本の新宗教」などと言うてたそうです。それに対し大川周明は、ただ一つの反証を挙げれば済む、と言いはります。その反証とは、何と「正倉院(しょうそういん)」です。確かに私は昔、正倉院には鍵がかかってへん、と聞いたことがあります。1200年前に建てられたこの倉の中には歴代の皇室に納められたとんでもない宝がたくさん入っているのに、幾多の戦乱を経てきても、日本人はただの一度も、この倉を荒らしたりはしてこなかった、ということです。これこそが、日本国民の精神の中に流れている皇室の尊厳という感情ではないのか、と大川周明は言います。
 また、私という一人の人間の生命の根源は父母やと。この父母を敬い愛して順うことは最も根本的な宗教であると、そしてそのまた父母を遡って祖先をたどり、部族をたどり、それらが統一されて国家となったときの部族全体の祖先がまた国祖として国民崇拝の対象となってきたんやと、つまり日本人にとっての神は祖先なんや、ということですね。せやからこそ、日本人はお互いみんなが家族みたいな感情を持つことができるんやと思います。東日本大震災のとき、救援物資を整然と並んで受け取り、ここはもう十分ですから他の被災地を回ってくださいと言った日本人。めっちゃナットクですね。

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