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2018/02/12

『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義

日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか 

 読みましたよ。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義。
 恥ずかしい話やねんけど、私の実家は仏壇も神棚もなかってん。お父ちゃんとお母ちゃんは5男と8女、戦争中は学徒動員と集団疎開、お母ちゃんは戦争が後わってからの授業では教科書に墨を塗ることから始めたという世代やってん。戦後教育どっぷりやから神も仏もあらへんわなあ(笑)。もちろん、おじいちゃん、おばあちゃんの家とかおじさん、おばさんの家には仏壇はありましたよ。まあご気楽な夫婦やったんですわ。で、何が言いたいんかというと、そもそも私らは学校では神道について習うことがないということですね。
 この本を読んで何となくわからんかったことがようわかりました。そもそも神道、神社を一つの宗教として見ることはおかしい。創価学会やら幸福の科学やらと同じ宗教法人なんか?そんなアホな!あ、別にその二つがどうこう言うつもりはありませんけど、いっしょにせんとってほしいですね。山村さんは何度も言わはります。神道は日本人の生活、文化、習慣そのものなんやと。早い話が日本人の習慣、「いただきます」がそうでしょう。日本人は神さまはどこにでもいてはると思える。八百万の神ですね。そういえばちょっと前に「トイレの神様」という歌が流行りましたね。どこにでも、何にでも神様を作りたがる日本人の気持ち、とても自然に理解できますね。
 で、この本の中からちょっと。
 今話題の大相撲、これは神事やとよう言われますけど、その通りですね。「力水」や「四股」にも意味があり、土俵上でガッツポーズはしたらあかんとかもありますね。ただびっくりしたのは、大相撲本場所が始まる前日に行われる「土俵祭」にお招きする神様が、戦前と戦後では替わってしもたということやそうです。戦前の相撲祝詞(のりと)では、「我が国の相撲は神代より始まり、、、」とゆうて、天神七代、地神五代を土俵にお祀りしていたのに、戦後は22代木村庄之助さんが、「相撲三神」に変えはったそうです。当時、GHQが色んなアホなことをしてて、柔道や剣道も禁止されてたから、予防的に、アメリカ人にわかりやすいように説明しやすい神様に変えたんやそうです。ふうん。その頃の日本人はそれこそ文字通り、生き延びることに精一杯やったから簡単に批判はでけへんけど、残念なことやなあと思いました。相撲はスポーツやのうて、神事やと。今の日本人、ナットクできるかな?

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コメント

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神道は悠久平和の宗教

>『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』

教義、経典がないからでしょうね。身に付けて行うことが重要だからです。何事も、習慣化すると説明しづらいですもん。

キリスト教関係は、聖書が分厚くて、外典やらも多く、経典の多さときたら。信者でも、全部読んでる人は希少でしょう。身につけて行う場所や時間が限られている。

英語圏のホテルの各部屋には、聖書が置いてありますが、その理由はジョークで「それに少しでも目を通せば、寝付けない人でも、すぐ眠くなるから」というのがあります。
仏教も経典類の多さ難解さがすごいけど。

ことほどさように、教義経典と言ってもボリュームで勝負している面があります。そして、内容よりも歴史と組織力で押し切っている面が大きいです。
これを純粋な宗教と見なしていいのか、私には甚だ疑問です。ピュアな信仰心が置き去りではないでしょうか。

海外の人で、日本人のちょっとした挙措に宗教心を感じたりするそうです。私はこれが宗教のあるべき素の姿だと思いますわ。
経典がなくてもね。
それは、自分以外のすべてに感謝する心の準備ができていること。自分以外の存在に畏敬の念を持つ準備ができていること。そこから謙虚になる準備ができていること。
それらが素朴で正しい宗教になっているのだろうと思料いたします。
(ここにつけこむ悪党もいるわけですが・・・)

一神教の外国人に、神道は宗教じゃないとかどうとか、酷評されたとしても、痛くも痒くもないです。
一神教は闘争から生まれ、成立してからも新たな闘争を生み出します。ぜんぜん平和の宗教ではありません。

Re: 神道は悠久平和の宗教

> (ここにつけこむ悪党もいるわけですが・・・)
・・・まさにこれが今の問題ですよね。

> 一神教の外国人に、神道は宗教じゃないとかどうとか、酷評されたとしても、痛くも痒くもないです。
> 一神教は闘争から生まれ、成立してからも新たな闘争を生み出します。ぜんぜん平和の宗教ではありません。
・・・結局中東は永遠に平和にはならないように思いますもんね。