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2018/02/13

国家神道?

指差し小
  昨日の話の続きです。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義。

 私らの年代は、もともとの日本の宗教は未熟で、仏教が伝来するまでは日本は八百万の神を信じてたわけやから、これは「アニミズム」、遅れた原始宗教なんや、というニュアンスで教えられたように思います。で、じっさいこれは何も戦後の自虐史観とかではのうて、幕末、明治維新の頃に日本にやってきた欧米の文化人類学者が「日本の神道は遅れている」というレッテル貼りをしてキリスト教を広めようとしてたそうです。でも結局よく調べてみると、神道には精緻な祭祀と組織があったため、日本の神道は未開な宗教ではないと認めていたそうです。

 あとよく言われるのが、戦前は軍部が「国家神道」として国民を教化したんや、せやから神道は国民を戦争に駆り立てるものやったんや、という話。これもウソですね。実は明治政府は慶応4年に天皇の権威を国民に広めるために「神祇官」再興の布告を出し、神仏分離令を出して、これまでずっと行われていた神仏習合を否定したんやそうです。

 ところが結局国民の大反発に遭って、わずか4年後に神祇官は廃止されたそうです。つまり、国家神道なんて、そもそも最初から日本人は受け入れてはいなかったということですね。あーあ、また私らがウソを教えられてきてたことが一つ増えたわ。

 で、ここから山村さんの話は続きます。そもそも国家神道というなら、国から全国の神社にお金が渡ってたはずやけど、それはなかった、と。また欧米なんかを見ると、国教となった場合は神様は一つにせなあかんはずやけど、そもそも日本全国にある神社の神様は多すぎて、一つにまとめられるわけがない、と。そしたら実はこの神道というのは「宗教」とは違うものなんとちゃうか、ということです。大いにナットクですね。

 さらに、神道的な考え方を紹介して、自分の身辺をいつもきれいにしておくこと、それは人間関係のコミュニケーションも日ごろからちゃんと取っておくことも意味していて、それが「禊ぎ」。そしてトラブルが起こった時にはきちんとトラブルの原因を割り出して、トラブルそのものをリセットするという「祓え」。この「禊ぎ」「祓え」の精神は現代でも通用するのではないか?と言うてはります。

 まあ、ある意味人間が生きていく上で当たり前のことを言うてるように思います。つまり、神道とは、日本人の生き方、考え方そのものなんや、ということやそうです。うん、たしかに日本的やわ。そこに後から来た仏教も、良いところはしっかり取り入れて自分らのものにしてきた、ということやね。

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