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2018/05/29

日本は日露戦争で、世界史に登場した。

自転車小
 4~5年前頃から「覚醒」し始めた私が、その頃読んでびっくりした本に、若狭和朋『日露戦争と世界史に登場した日本』があります。ん?世界史に登場??そもそも日本は戦前は好戦的で、日清、日露、日韓併合に満州事変、ついには太平洋戦争で、勝てるわけのないアメリカと戦争を始めてしもて、最後に負けてしもたんとちゃうんか?と思てました。せやから世界史に登場、のタイトルにすごい違和感を持ったのを覚えています。

 まあ今では自信を持って言えますけどね。日露戦争は世界史に残る、ものごっつい意義のある戦争やったんや、と。遠く中東のアラブ世界の人たちにさえ、有色人種が白人と戦争をして勝った、ということで、めっちゃ勇気を与えられたということですね。間違いなく世界の歴史を動かしたわけですね。そして国際連盟、言い出しっぺのアメリカは参加せず、ソ連なんてまだ出来たての国ですから常任理事国は日本、イギリス、フランス、イタリア、後からドイツとソ連が入ったという、文字通り日本は世界の中心におったわけですね。

 まあ昔は良かった、なんていう話をしたいんやなくて、日本は今なんで二流国になってるんや、ということを考えなあかんと思うからです。何が一流、二流かはおくとしても、国内に外国の軍隊がいつもおって、勝手に出入りされてるような国は独立国とさえも言われへんのとちゃいますか、と最近は思います。あ、それはアメリカのことですけどね。今は仲良うしてるからええかも知れんけど、もういつまでこのままでおるんや、ということですね。かと言って、出て行けと言え、という意味でもないですよ。

 つまり、せやからこそ、ホンマに強かった戦前の日本をちゃんと勉強し、なんで戦争に負けたんかをしっかり反省せなあかんと思うわけです。繰り返しますけど私が子供の頃は、日本は戦争で負けてからアメリカからいろいろ教えてもろたんやと。戦前の日本は全てに遅れてて、野蛮で人権もなく、暗い時代やったけど、戦後、明かりがともるように、パッと明るい国になったんや、とホンマに教えられてましたからね。まあそれでもどうも日本の江戸時代って、庶民までめっちゃ豊かやったのになあ、というのは何となくわかってましたけどね。

 話はそれっ放しですけど、こういうことを書き始めたのは、さっき倉山満さんの『学校では教えられない歴史講義 満洲事変』を読み終わったところやからです。私は昔から歴史は普通に好きで、中学、高校時代もそれなりに本とかも読んでましたけど、やっぱり先生にウソを教えられたことは絶対に許されへん、と思て、自分で勉強し始めたんですわ。まあ高校時代に「三光作戦」を教えてくれた先生はとうに亡くなりはったから、今は文句を言う相手もおらへんのですけどね(笑)。明日も書きますわ。
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コメント

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歴史は書かれる

歴史観というのは、たいてい解釈基準の違いに依るのだと思いますが、根本となる歴史事実の記述が違っていたら、解釈に影響します。
歴史教育の記述は、正確性を期して修正も必要になりましょう。その修正が意図的だと困るわけですが。

>常任理事国は日本、イギリス、フランス、イタリア、後からドイツとソ連が入ったという、文字通り日本は世界の中心におったわけですね。

当時は、弱肉強食が常識で世界のルールでした。近代化していない土地・民族は、国家ではありませんからね。それをどう誘導するか料理するかは、世界のリーダーの権利であり義務でもあったでしょう。列強以外の新興国の権利に寄り添ったのは日本だけでした。
国際連盟の常任によく選ばれたものです。当時の日本人もそれなりに主張したのでしょう。交渉もしたのだと思います。黙ってたら選ばれない。

司馬遼太郎の小説に通底する歴史解釈を司馬史観というそうで、明治の戦争は壮挙であり、昭和の戦争は愚挙なんだそうです。わけがわかりません。
日本の姿勢は、欧米列強と伍していく、アジアへの進出、植民地支配の固定化を防ぐという点では一貫していると思います。日露戦争は世界史に特筆される快挙に違いありませんね。
この点を見過ごすと、当時の日本国と日本人が可哀そうです。戦地に没した兵士も多いのだから。

日本は現在も苦労していますね。どこの国も苦労しているのでしょうけど。米国のポチだのと簡単に言う評論家もいますが、そう言いながら現行憲法は護憲だったりするのだから矛盾しています。そして、どうすればいいかは言わない。現在の状況の解釈談義に終始する。
歴史を変えるのは大変なことですね。

司馬史観は、上からの目線だという評もあります。
私は、明治の講談を歴史資料で味付けしてリアリティを膨らませた印象があります。登場人物のイメージを定着させました。

司馬は、自分の戦争体験からか、昭和の戦争には懐疑的なんですね。小説にもしていないみたいで。書いてほしかったですね。むしろ、体験者として書く義務があったのではないか。
この意識がなかったのは、やはり司馬が歴史家ではなく、講談師だったからだと思料するものです。

こうした影響力のある人たちが、躊躇している間に、三光作戦を史実と教える教師たちの跳梁を許してしまいました。

Re: 歴史は書かれる

弓取りさん、コメントありがとうございます。
> 司馬史観は、上からの目線だという評もあります。
> 私は、明治の講談を歴史資料で味付けしてリアリティを膨らませた印象があります。登場人物のイメージを定着させました。
・・・・・司馬遼太郎の小説のテーマは実は講談から取り入れていたという話は私も聞いたことがあります。私はあんまり小説は読まへんし、講談も知らんのですが、、、。

> 司馬は、自分の戦争体験からか、昭和の戦争には懐疑的なんですね。
・・・・・終戦のころ初年兵?とかでとにかく上官によく殴られたので軍隊は大嫌い、というのは読売新聞のナベツネの話やったかな?聞いたことがあります。司馬さんも同じなんかな?