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2018/06/06

江戸時代の方が今よりずっと豊かやった?今こそ地方に投資せんかいや。

指差し小
 昨日は縄文時代の話でしたが、今日は江戸時代の話です。
 私らが教わった江戸時代は、飢饉がしょっちゅうあって、百姓一揆が頻繁に起こり、地震や水害もあり、江戸の大火もあって、もう大変な時代やったように教わってました。まあ一方で元禄文化が花開いたとか、東海道中膝栗毛が大ヒットしておかげ参りが始まったとか、町人文化が栄えた、とかも習いましたね。

 享保・寛政・天保の三大改革は、受験勉強したからいまだに覚えてますね。でも基本的には江戸時代は暗く貧しい時代、日本は戦後やっと、アメリカのおかげで明るく正しくなったんや、みたいに一貫して教えてこられたように思います。

 話は飛びますが、私は読売テレビ(東京、全国では日本テレビ系列)の「秘密のケンミンSHOW」は好きで毎週見てるんです。何がええかというと、ほぼ毎回、家族、親族、ご近所?一同が大きな部屋で長~い食卓を囲んで自慢の食べ物を食べるシーンが出てきます。まあマスゴミのことやから、ある程度の仕込みはあるにしても、まったくウソではないと思います。

 日本の田舎にはまだまだ大家族が残ってるんやなあ、といつもうらやましく見てます。でもそのお宅の周りの風景を見ると、やっぱり過疎化や「シャッター街」化の流れはいよいよヤバそうです。よう考えたら、地方は江戸時代の方がはるかに豊かやったんやないかと思えます。

 江戸時代の地方の発展は、実は参勤交代のおかげやったとよく言われますね。毎年全国から大名が江戸へ行ったり来たりする、それは各大名の力を削ぐためやったというけれど、結果的には各大名の富を沿道の各地に再配分することになって、街道はよう儲かる、と。儲かったら税金も取られるけど結局みんなが潤うわけですね。潤うたら少しは贅沢もしたくなるし、楽しいこともしたくなるから、いろんな文化も発展する、と。まあ町人が一番儲かってたからこそ「町人文化」が生まれたんでしょうね。

 じっさい、明治維新を担う薩長土肥は今の基準でゆうたらもろ地方やんか。そんな地方がものごっつい力、つまりはお金も持ってた、と。「薩英戦争」なんて、負けはしたけれどたかが一藩が外国と堂々と戦うたるぞ、ぐらいの軍事力さえ持ってたんですね。日本というのは全土に軍隊を持つ独立国があって、幕府というのは連合政府みたいなもんやったわけですね。それぐらいに今でいう「地方」の力が強かった、と。

 今日の三橋貴明さんのブログでは、<「土着の政治」の復活を>のタイトルで、東京一極集中に警鐘を鳴らしてはります。たしかに将来的に、地方におった方が豊かに暮らせると思う人が増えてきたら、少子化なんてすぐに解決しそうですね。せやからこそ、今こそ、政府はどんとお金を出して、全国のインフラ整備を始めとした公共投資をせなあかんのですわ。はよ目え醒ましや、財務省!(東大法学部出のエリートにはわからんかも)。

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コメント

非公開コメント

No title

「江戸時代は豊かだった」
これは正解だと思います。
それではその一例を書いてみます。

我が家は現在もド田舎の百姓。
起源は平安後期の八幡太郎義家の時代まで遡ることが出来き、元武士で蝦夷征伐の折り、土着して百姓になったと言われています。
して、江戸時代のことですが、最近一番古い墓石の建立年月を調べたら、風化寸前だったが何とか読みとれましたよ。
「寛文」の文字が。1660年台の墓石なんですね。それから正徳、享保の墓石も。
幕末期は更に更に。
そして、明治、大正期までは墓石がある。
でも、昭和期になると墓石は無い。
このころから土饅頭の墓になったらしい。

で、これは何を物語るか。
江戸から明治大正までは墓石を建てられたってことはそれだけ生活に余裕が証拠と言っていいでしょう。
そうそう日露戦争で戦死したため国からお金が出て、立派な墓石が建てられ、それが今も残っているのですよ。
でも、昭和になると不景気や戦争やらで生活に困窮し墓石を建てられなくなり土饅頭になったと推測されるのです。

それから墓石の側面には建立した御先祖の姓名が必ず彫ってある。
百姓に苗字はなかったと一般的に言われるが、正式に使えなかっただけで皆持っていたのです。
更なる証拠に幕末に建立した集落の神社の石灯籠にはお金を寄進した集落全戸の戸主の姓名がずらりと彫ってあるんですよ。

まあ~、こんなところですが。

Re: No title

( ? )さん、コメントありがとうございます。
> 我が家は現在もド田舎の百姓。
> 起源は平安後期の八幡太郎義家の時代まで遡ることが出来き、元武士で蝦夷征伐の折り、土着して百姓になったと言われています。
・・・・へえー、古いお家柄なんですね。墓石の変遷のお話も面白いです。たまたまブログでお知り合いになれた方がこんなに古い歴史をサラッと持ってはるなんて、やっぱり日本は奥深いなあ、と思います。

No title

>私らが教わった江戸時代は、飢饉がしょっちゅうあって、百姓一揆が頻繁に起こり、地震や水害もあり、江戸の大火もあって、もう大変な時代やったように教わってました。

そうですね。私もそう習いました。
カムイ伝などは凄まじくネガティブを集約して拡大したような「江戸時代」です。創作ですが。

江戸に大火があったのも、多くの庶民のかまどに火が使われ、照明に行燈が使われ、鍛冶の専門職人がいたこと、銭湯や夜の社交場があったことの証明と言えましょう。墨田川なんかには打ち上げ花火もあったし。
リスク管理が追い付いていなかったとも言えるけれど、貧しいとは言えないし生活に困窮していたとは言えませんね。
教師たちは、どう理解し考えていたのか。マニュアルどおりに教えていただけか。

薩長土肥も、一枚岩ではなく、薩長は最初は攘夷でした。エゲレスに支援してもらって、関ケ原のかたきば討とうかい、今度はわしらが権力を握る番じゃとなったのかも。
肥前には鍋島直正という明晰な英君がいたんですね。

永代蔵だったかに、豊かな街として「西の堺、東の酒田」と書かれた酒田市の庄内藩は、最後まで新政府軍に抵抗しましたが、人材も近代兵器も豊富でした。こちらはドイツに支援を求めたらしい。北前船で経済力があったらしいです。
各藩が地場産業を育成し、人材育成にもちからを注ぎ、海運も発達していたのが江戸時代ですね。

公武合体論が全国で支配的になれば、多くの人材が死なずに済んだのではないかと悔やまれます。
武士道も海外と渡り合う駆け引きにも長けた人材ももっと残ったのではなかろうか。そうなれば、日本の直近150年の歴史は変わっていたに違いないと思います。

Re: No title

コメントありがとうございます。
> カムイ伝などは凄まじくネガティブを集約して拡大したような「江戸時代」です。創作ですが。
・・・・そうそう、カムイ伝は夢中で読んだ記憶がありますね。

> 公武合体論が全国で支配的になれば、多くの人材が死なずに済んだのではないかと悔やまれます。
・・・・それでも維新をやり遂げた日本はスゴいですね。

> 武士道も海外と渡り合う駆け引きにも長けた人材ももっと残ったのではなかろうか。そうなれば、日本の直近150年の歴史は変わっていたに違いないと思います。
・・・・スパイ防止法がある、ない、の話どころか、江戸から明治にかけては忍者、隠密、諜報、なんて、当然のことやったんですよね。あー残念。