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2018/08/31

神道は宗教というよりも、日本人の生活態度、人生哲学。

パンチ小
 もちろん私はまだまだ勉強中なんですけど、「洗脳」から解けて「覚醒」してびっくりしたことの一つに、「神道」があります。そもそも学校では教えてくれませんよね。そして日本人にとっての宗教というのは、大陸からの仏教伝来であって、それまでの日本には、アニミズム、原始的な信仰、シャーマニズムにつながるような、呪術的な宗教しかなかった、みたいな話です。「八百万(やおよろず)の神」というのはたしかにアニミズムにつながる要素があるのかも知れませんが、そういう欧米的な感覚では説明しきれませんね。

 と思てたら、私が毎日読んでる宮崎正弘さんのメルマガで、マンリオ・カデロ、加瀬英明『神道が世界を救う』(勉誠出版)の紹介がありました。
 <神道は「宗教ではない」「信徒がいない」「教典がない」。したがって経文もない。「天国」も「地獄」もない>
 <神道は自然崇拝であって、合理・主知の近代の智恵とは無縁の、自然な姿から発生し、争い事は好まず、また寡黙である>
 <日本人の特性を形づくってきたのは、やはり神道が基軸だったのだ>
 なるほど、深いですねー。

 宮崎さんは対談の次の部分がこの本の神髄やと教えてくれてはります。
 カデロ:「神道は宗教というよりも、人々の日常を律している『ライフスタイル』――生活態度か、『フィロソフィー』ーー人生哲学だといったほうが、よいのでしょう」
 加瀬:「宗教が理性にもとづいている信仰であるのに対して、神道は心の働きです。こころの信仰です」
 カデロ:「(伊勢神宮の式年遷宮に外交団長として招かれた折)、暗闇のなかで篝火が勢いよく燃えさかる、漆黒の静まりかえった境内で式典が行われ、神々しい時間がすぎてゆきました。深く感動しました。時間がたつのを忘れて心が揺さぶられました。じつに神秘的な体験でしたね」
 加瀬:「深い自然がそのまま神威となっており、古代から変わることがない社殿によって、心が休まり洗われます」

 コピペばっかりですみません、とても私が追いつける話やないですけど、何とかわかるような気がします。この前、伊勢神宮に何十年ぶりかでお参りした話を書きました(何十年ぶりかの伊勢神宮参拝。今の日本、何かが変わって欲しい!)。日本人はごく自然にお正月には初詣に行きますけど、それこそが日本人の習慣で、何にも難しい話やないと思いますね。そして家の中にも、それこそトイレの中にも神さんがいてはる、と自然に思えるのが私ら日本人やと思います。


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コメント

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No title

幼き頃より、自然と身についていること。
①信号が赤を示していたら、車の通行がなくとも信号が青に変わるまで、ジッと待つ。
②道順を聞かれたら、時間が許せば目的地まで同行する。
③落し物は、必ず交番に届ける。
④倒れている自転車、観葉植物などは、起すなどして元に戻す。
⑤自販機下に落ちている空き缶を拾い、ゴミ箱に入れる。

通常の日本人なら当たり前のこととして日常的に行動している事と思います。
素の状態で身についていることでしょう。
『神道』という詞を知らずとも、行いはこの神道に繋がっている。
これが日本人。
イスラム系の方がよく口にする、「日本人はイスラム教徒でもないのに、教えの通りに行動している」は、なかなか興味深い発言です。神を知らず、あがめずとも、教え通りの行動をする民族だそうです。
魂に浸み込んででもいるのでしょうか。
話は少々飛躍しますが、某霊能力者の方が、日本人はもっとも霊性が高い、と記述していたのを思い起こします。そういう事なのかもしれませんね。

「神道」が世界を救うとよいのですが、果たして全世界の人々の素養にどれだけ浸透するのかいささか疑問にもかんじます。

豚は犬にはなれません。

台湾統治時代の台湾女子学生の書籍「日本人はとても素敵だった」の一文を思い出しました。“犬が去って、豚が来た。”
さぁ、犬が誰で、豚が誰か、分かりますよ、ね。

「日本人は、これからもずっと素敵でいましょうよ。」

Re: No title

日本国民 さん、コメントありがとうございます。
私も最近は日本人が世界で一番徳性が高いんとちゃうかと思い始めています。
べつにうぬぼれやなくて。
サッカーのスタジアムで試合後ゴミ拾いなんて、別に普通にできることやし、、、。

> 「日本人は、これからもずっと素敵でいましょうよ。」
・・・・・この気持ちを失わんように自戒していきましょう。