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2017/04/24

シベリア抑留と義父

シベリア抑留の話は、昔から知ってました。GHQのプレスコードではソ連への批判は禁止されてたけど、少なくとも60万人が連れ去られ、5万人が亡くなった、しかも全員が帰国するまでに何年もかかったということやから、この抑留のこと自体は、事実として隠すことはでけへんかったんやろね。

私の父は戦争中は学徒動員、母は学童疎開やから、じっさいの戦場は知らんかったわけや。
でも義父はもう少し年上やから、シベリア方面に戦争に行ってたらしい。義父は数年前に亡くなってんけど、一ぺんだけ、話を聞いたことがあってん。

戦地で終戦を迎え、ソ連に抑留されて戦後何年もたってから日本に帰って来たけれど、国?政府?からはスパイの疑いをかけられて、何年間かは警察に見張られてたらしい。実は息子(私のだんな)には一度も話したことがなかったみたいやねん。その理由は何となく後でわかってん。

ほとんどのシベリア抑留者はとんでもなく悲惨な目に遭ったというのに、義父はけっこう待遇が良かったみたいやねんや。それは、もちろん義父の名誉のためにもゆうとくけど、たまたま抑留地が良かったんやろうし、義父が真面目で素直で何事にも一生懸命な性格やったからや、とは思うねんけど、義父は自動車整備の技術を持っててん。

ソ連の自動車はよく壊れたけど、そのたびに義父は一生懸命に直したから、とても重宝されたらしい。世間では悲惨な抑留やったのに、自分はそうでもなかったのが言いにくかったのかも知れんなあ、と勝手に推測してるねん。

だんながたまたま家族旅行でモスクワ空港にいたときに、空港の店員に「スパシーバ」なんてしゃべってて、義母もびっくりしてたらしい。真面目な人やったから、ロシア語もしっかり勉強してたんかも知れんなあ。

それにしても義父の戦地がシベリア方面のどのへんやったとか、実はそれさえもちゃんと聞いてへんかったことが今となってはめっちゃ後悔やわ。そういえば百田尚樹さんの「永遠の0」は、戦争の話を語れる人がどんどん亡くなってはることに危機感を持って、今のうちに戦争を体験した人に話を聞きに行く、という動機があったそうやね。ホンマ後悔するわ。

私のおじさんも戦争中は中国におったけど、詳しい話は聞いたことがなく、もう数年前に亡くなりはったからなあ。残念。もうちょっと早ういろんなことを知ってたら、聞きたいことはいっぱいあったのになあ、と後悔の毎日です。

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