原爆投下や空襲の戦犯はおらへんのに、なんで日本だけに戦犯がおるんや?そんなん、とうにおらへんで。

パンチ小


 コメントを下さる方々、いつも貴重な情報をいただき、ありがとうございます。お返事ができなくて申し訳ありませんが、いつもちゃんと読ませて貰うてます。ただ、一応コメント欄ですので、本文の内容に少しでもけっこうですから、関わりのあるコメントがほしいです。URLを貼り付けるだけのご投稿は削除させて貰うてますので、悪しからずご了承ください。

 さてそのコメント欄で、8月17日の記事「橋下徹さん、まだ言うてはるわ靖国神社の件。分祀?返納?興亜観音??一体何がしたいんや?」に今朝ご投稿いただいたtさんに、こちらの本文でお答えしたいと思います。
 ご投稿コメントは、
「熱心な愛国者の間ではA級戦犯はいなかったことになってるの?」
ですね。私のお答えは、
「日本にはもう、とうに戦犯なんかいませんよ」
です。ちゃんと勉強してくださいね、tさん。

 あ、別に熱心な愛国者でなくても、それは事実ですね。サンフランシスコ講和条約で独立を果たした後の昭和28(1953)年5月、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が、国会の全会一致で可決されたんですね。そらそうや。そもそもあのインチキ東京裁判、極東国際軍事裁判は、明らかに国際法に違反して、いわゆる遡及法によって戦勝国が敗戦国を裁いた見せしめ裁判やったわけですから。GHQの占領中はしゃあないけど、そらあ独立したらさっさと汚名を雪ぐのは当たり前やんか。

 そのインチキ裁判で「A級戦犯」と判決を出されて絞首刑にされてしもた人はたしかにいましたよ。日本はその「判決」を受け入れて独立を果たしたわけですね。東京裁判で絞首刑に処された7人の日本人や、「中国」大陸やら南方で、現地のインチキ裁判で処刑された人たちについても日本人はちゃんと名誉回復をしたわけです。国民から4千万人もの著名が集まり、国会では全会一致で決めたんですね。

 何を言いたいんでしょうかね、tさんは。日本人は今も、あのインチキ東京裁判を受け入れろ、ということですか?とても日本人とは思えませんね。まあ戦争に負けてしもたからインチキ裁判を起こされてしもただけの話ですね。日本がもし勝ってたら、原爆投下も空襲も、非戦闘員の虐殺という明らかな国際法違反やから、それこそ当時の国際法で戦犯を裁くことができたはずですね。

 せやけど日本人はアメリカ人に対して、原爆投下や空襲を謝罪しろ!とか、損害を賠償しろ、とかは言いませんね。武士の国やからですよ、それは。潔すぎるところもあるかも知れませんが、日本人て、みんなそうなんですよ。

 私も今はこうしてエラそうに書いてますけど子供の頃は、「東条英機はヒットラー、ムッソリーニと並ぶ独裁者、極悪人」みたいに思うてましたからね。教育て、恐ろしいですね。

 そしたら、もう10年ぐらい前の話ですが、私が仕事の場で、たまたま東条さんという人と名刺交換をしたときに同僚が、「東条さんですか、お名前で苦労しはりませんでしたか?大阪の人やから、きっともう関係ないんですよね?」と真顔で言うてはって、卒倒しそうになりましたわ。すみません、全国の東条さん。

 何べんでも言いましょう。日本にはもう「戦犯」はいません。あ、これも言うときますけど、戦争に負けたことはちゃんと反省せなあきませんよ。戦争には絶対負けたらあかん。当たり前や。せやけど、今、この瞬間も、韓国や北朝鮮や、「中国」とは実は戦争中なんや、ということは、まだまだわからんねんやろなあ、私ら日本人は。

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ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 10

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たまみ  

日本の歴史をちゃんと知らず
靖国神社問題もきちんと理解できてなくて恥ずかしいです。
国のために戦ってくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

最近こちらのブログを知って読ませていただいてます。
関西弁のおかげで、読みやすいです(^-^)

ずっとモヤモヤしていた韓国への思いが
この数ヶ月で爆発して
リアルではヤバイ人と言われました(笑)
なんでそんなに熱くなってるの?って。
でも。無関心な方がヤバイと思うんですけどね…。

日本人として凛と生きたいです。

更新楽しみにしています。

2019/08/20 (Tue) 23:50

ちちんぷい  

ウソとは戦わねばなりません

今時、A級戦犯はA,B,Cのランキングではありませんね。記事にあるとおり、連合国(米国)の日本叩きの国際法違反行為の私刑であって、その後、賞味期限切れで雲散霧消しました。米国は、あとは知らんという素振りです。ときどき顔を覗かせますけど。
だけど、このレッテルで最も得をしているのは、韓国や中凶シナですね。なんせ、韓国は日本軍の一因、シナ共産党はまともに日本とは戦っていません。

遡及法で、S級がないだけの上位ランキングのように勘違いさせようとするマスゴミ言論人がいますね。悪質なウソ吐きです。反日です。
そんな評論家や解説者や作家、それから役人にごろごろいるのだから、日本人はたまったものではありませんね。

このままでは、将来の日本人の子供たちが可哀そうです。
変えていきましょう。

2019/08/21 (Wed) 00:17

Bell  

>原爆投下や空襲の戦犯はおらへんのに、なんで日本だけに戦犯がおるんや?

正論です。
先の第二次世界大戦は共産主義の勝利だとも言われていますが、戦勝国というのは基本的に、世界中、アジア中を植民地支配してきた欧米、大国ですし。
日本に原爆を落とした米国大統領もGHQも共産主義者でした。
日本はそれに逆らって、アジアの国々を植民地支配から解放してしまいました。
だから勝った戦勝国としては日本が憎いのです。日本が悪者、戦勝国が世界平和を守ったというウソの歴史を作ってきました。

日本への原子爆弾投下 - Wikipedia
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/日本への原子爆弾投下

戦時中、日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結んでいましたから、ナチスドイツから『お前たちもユダヤ人を迫害しろ、国内のユダヤ人を追い出せ』みたいなことを言ってきたそうですが、我が国のリーダーたちは『我々は民族差別はしない』と要求をつっぱねていたそうです。
その我が国のリーダーたちが(戦勝国に逆らった)戦犯として処刑されたのです。

日本人に謝りたい~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~
──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe803.html
■■■第3章:日本人の知らない東京裁判の本質
■■「大東亜戦争」と「太平洋戦争」
--------
ここで一つ是非注意しておきたいことは、「太平洋戦争」という言葉である。日本には本来この「太平洋戦争」という言葉は存在しない。これは勿論、戦後占領軍がそれこそ押し付けたものである。
戦後、いろいろな方面から大東亜戦争に関する歴史書が出ているが、その中に「太平洋戦争」という言葉で語っているものが如何に多いことか。これではその歴史書はアメリカ側の立場に立って全て書かれたものと考えられて致し方ないのであるが、著者達はそれで満足なのであろうか。
問題はそれだけではすまない。日本の歴史には「太平洋戦争」という戦争はないのである。あったのは「大東亜戦争」である。よく考えてみる必要がありはしないか。これは明らかに歴史の偽造に他ならない。「日中戦争」然りである。あるのは「支那事変」である。
--------

2019/08/21 (Wed) 00:17

八目山人  

日本だけで赦免してもダメ

日本の国会だけで赦免しても、それは敗戦国が勝手にやったことですと言われます。
有期刑の戦争犯罪人の釈放は、東京裁判の判事を務めた国すべてに許可をとっています。これ重要。調べてみてください。
東京裁判で日本を裁いた国(すべて日本の敵国及びその植民地国)すべてに許可を申請して、そのすべての国がいいよと言ったなんて、これ驚きじゃないですか。結局 朝鮮戦争が始まり、どの国が本当の悪い奴かわかったってことでしょう。

2019/08/21 (Wed) 05:58

ナポレオン・ソロ  

戦前日本の再評価が日本人には必要

 いやあ、終戦の日辺りから論調や中身が一段上がった様に
感じて居ます。 特に、この極東裁判をインチキ裁判だと、
論拠を挙げて、反論してるのは、絶賛、拍手ものです。ww

 是は、昭和6年の柳条湖事件に始まる、大東亜戦争と言う
⒖年間に及んだ戦争を一括りにして、真珠湾攻撃に始まる日
米戦争を恣意的に切り離して評価して居た、従来の戦争史の
視点をあるべき姿に戻したたからではないかと思います。

 つまり、最初の10年の相手は、シナ(昭和⒓年 日華事変)
で有り、ソ連【昭和15年 ノモンハン事変)で有ったわけで
すが、何れも「戦争」として居ないのには「作為」が感じら
れますね。

 私が思うには、この作為こそ、日本の歴史学者がGHQの要請
を入れて、考案した詭弁だと思います。 と言うのは、如何に
して、戦前日本が「不意打ちを行う卑怯な国家だった」と、歴
史上で演出する為には、12年の日華事変の後、数十機に及ぶ、
当時の最新鋭戦闘機であった、P40ウオーホークと、搭乗戦闘
員と飛行機の整備部隊で成るで成る、明らかに、正規軍を自称
「義勇軍」として、元米陸軍の士官だった、シェンノートに率い
させて、日本軍の97戦や一式戦隼と戦って居ましたが、日本が
新型のゼロ戦を投入すると、一方的な展開になり終息しました。

 要は、この一連のシナの国民党に対する支援が、咋な軍事支援
であった事を「宣戦布告無き戦争」と見做すべきか否かが、本当
の戦争裁判の主旨で有る筈だったのですが、英米の戦争関与は明
らかですカラ、この戦争原因の中核的な議題を恣意的に避けた上
で、近代法理では、禁じられて居る筈の、遡及法を使って日本を
裁いたのですから、厚顔にも程があると言うものです。

 ですから、私は、大東亜戦争は、日本の初志である「民族差別の
無い世界を造ろう」と言う正義は、終始貫徹出来たが、もう一つの
具体的な目標であった「大東亜共栄圏」の建設は、シナの裏切りに
よって、潰えたと言うべきでしょう。

 然し、その結果、戦後にあちこちで、独立戦争が始まり、日本人の
元兵士も帰国せず、現地で共に共に戦い、独立を勝ち取ったのです。

 結果として、戦争は悪魔が勝ったと言う事ですが、この日本兵士の
初志貫徹の敢闘精神が、現実には、植民地が独立して、大東亜共栄圏
の原型を、創り上げたと言えましょう。。 

 然し、一方の連合軍各国には、従来の「戦争の利得」は齎され無か
った為に、欧州は大きく衰退しました。 

 そして、利得を得た2国、米ソは、大戦争が終わったのに、次の戦
争「=朝鮮戦争」が始めたのは、戦争遂行者「=共産主義者=国連」
の間の内輪揉めでしかありません。 そして、ベトナム戦争も米国
にとっては、米ソの世界覇権争いを引き継いだモノでしかないが、ベ
トナム人に取っては、対仏、対米の祖国の独立運動であったと、言う
事です。

 日本人は、このベトナム戦争の対仏戦には、民間人として、参加して
ベトナム人に銃器の扱いを始めとして、日本陸軍伝来の戦法の詳細迄、
伝授して居た様です。 そうした日本人の中には、日本陸軍の真骨頂を
ベトナム人が発揮して、米軍に一泡吹かせてやろうと考えて居た人も居
た筈です。

 私たち子孫が、戦前日本人のスピリッツを歴史の裏側を知る事で知り、
その正義の行いを、日本人が顕彰する事でしか、英霊は浮かばれ無いと、
私は、思います。

2019/08/21 (Wed) 06:44

ドンゴロスの松  

いわゆる東京裁判

東京裁判を受諾と答弁したのが小和田答弁であり、必然的に東京裁判史観に縛られることになります。渡部昇一氏も国賊と呼んで批判しています。受諾したのは判決です。これは周知のことだと思うので詳細は割愛します。
その東京裁判が行われた市ヶ谷記念館ですが、防衛省の見学コースです。そこで東京裁判に至るビデオを見るのですが(数年前のこと今はやっているかわかりません)、いわゆる裁判、いわゆる被告、とにかくいわゆるを連発するのです。要するに東京裁判を認めていないということです。そこにはパール判事の反対の判決書(撮影不可のはず)も置いてあります。支那、満洲の地図もあります。

国会で、全会一致で日本に戦犯はいないとなったのですが、今よりずっとまともな時代だったのです。現状の日本は、GHQの洗脳を引き継ぐユダヤ思想のエピゴーネンが作り出したものと言えます。
戦後レジーム、これは日本だけのものじゃなく、YP体制が世界を覆っています。
タッチャンの散歩さんで書かれていましたが、アメリカの左派〔ディープ・ステート(ユダヤ系国際金融資本など)〕は、ヤルタ体制を維持するために、第二次世界大戦の連合国側の正当性を宣伝する必要があると言うことです。

ロシア革命を起こした者の系譜になりますが、メディアも握っており、世界のメディアを使って日本を犯罪国家にしたて続けるということです。それを打破する為には、まず日本人から変わらないと変えることはできないのだと思います。左翼の人は、洗脳された騙されている人と言えるのかもしれません。教科書やほとんどの歴史書、日本のメディアも全部洗脳史観なのですから。先の戦争がなぜ起こったのか、本当の真実にたどり着くことが、日本だけが悪かったという自虐史観を解くカギなのだと思います。

2019/08/21 (Wed) 07:35

彩希  

四千万人の署名を集められたって凄いことですよね。終戦後の人口を調べて見ました。1953年辺りなら8千万人台ですね。実に国民の半分が署名嘆願をしたのです。あの頃はボールペンも無かったし沢山の方が街頭に立って、鉛筆を削りながらなさったかと思うと涙が出ます。

”日本の総人口は終戦から1980年代にかけて急速に増加した。 終戦の1945年、日本の人口は約7215万人でしかなかった。 しかしこの後人口は拡大し始め、1955年には9008万人、東京オリンピックの翌年1965年には9921万人、1970年に人口1億人を突破した。”

日本は日本人が気概を持てば、日本人であるとの気概を取り戻せば、日本はいつでも甦ります。

>戦争には絶対負けたらあかん。

皇室を戴く我々の國體を破壊しようとする勢力、アカい奴ら、日本国を覆して日本の伝統、日本人の誇りを無きものにしようとしてるパヨクに、日本の富を食い物にしようとする侵略民族に日本人は絶対に負けたらあかん。


2019/08/21 (Wed) 09:22

みかん  

この決議についてお聞きしたいことがあります

おばちゃんさま 正論ありがとうございます。

私が小中学生だった70年代、私の学校は文科省政策にバッチシ従って、
生徒を矯正しまくっていましたが、まだしも「東条英機は極悪人」という教えは、
聞いたことがありませんでした。

でも国歌や日本の神話に否定的で「日本は戦後に民主主義の国になれた」と言っていましたから、
東京裁判史観だったと思います。

「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が成立した1953年当時、
私の先生方は10代ですから、決議自体知らなかったのでしょうか。
それとも決議の記憶はあって、なんとなく戦犯批判はしなかったのでしょうか。


本来は古代から続いている日本の歴史の糸が、切れてるというか絡まってしまってるというか…。


歴史の糸を正しく戻したくてお聞きしたいのですが、
この決議は、いわゆるA級戦犯とされた方々も赦免し、名誉回復を成し遂げているのでしょうか? 
そうであったら嬉しいと思い、以前ウィキペディアで決議書を読んでみましたが、
当時生きておられる受刑者のみへの赦免と思われ…。
A級戦犯の赦免を連合国が承認するはずが無いので、そこまでは踏み込めなかったのだなと
思っていたのですが。本当の決議文は違うのでしょうか?









2019/08/21 (Wed) 10:27

showacho  

靖国神社について

 激おこおばちゃん様、おひさしぶりです。(といっても、1,2回おじゃましただけですので、ご記憶にないとも存じます)
 数日前、中国人と思しき不埒者による大変残念な事件がありましたね。なぜ、残念かといえば、日本が中韓に対して、散々譲歩し、忖度して、大臣らは参拝を控えているにもかかわらず、彼らは、そのことをあざ笑うかのようにわが祖国を辱め続け、その度合いを強めるような行いを繰り返し続けてきているからです。(中国のそれと、韓国のそれとでは、政治利用と民族感情の吐露という点で、微妙な違いはあるようでもありますが)
 そこで思い出されるのが、安部さんが総理に返り咲かれて程なくした頃(確か年末だったかと)靖国参拝をなさったことです。あの時も、中韓の反発そして時のオバマ政権当時の米国からの非難は強かった。
 私はいろいろもの知らずのただの庶民ですが、物事を考えるとき、「一番大切なことは何か?」ということを、自身の心の物差しにするようにしています。靖国神社の参拝に関して言えば、それは、やはり、「国にささげたこの身は、死んだら靖国に赴き、そこに迎えられる」と信じて祖国のために散って行かれた英霊の皆様を、生き残った日本人はいつまでも敬い、お慰めし、平和への祈りを心に誓うことだと思っております。中韓が何と言おうと、国益に反する部分があろうと、その第一義はゆるがないと思っています。むしろ、その第一義を粘り強く国際社会に訴えかけながら、英霊の皆様への慰霊にいそしむことが何より大事と思うのです。
 安倍総理が靖国を参拝くださったとき、ヤフー掲示板に投稿した一文がありました。拙文ではありますが、もしよろしければお読みくださいませ。(以下)

「カパチ(朝鮮で昔使ったお椀状の入れ物)をもって、『ヘイタイサン、ヘイタイサン』と残飯をねだる朝鮮の子どもたち。引率の上官の許可が得られず、我々は、食べ残しを川で洗って流した。朝鮮の子らは、白魚のようにはかなく流れゆく飯粒を追って、川に飛び込んでいった。内地に残してきたわが子を思い、できることならば、朝鮮の子らの手を取り『ごめんね、ごめんね』とあやまりたい気持ちで胸がいっぱいになった。」(昭和44年理論社刊「泥まみれの戦線」内収録の「朝鮮の子供」堀尾青史著より)
 少年時代、こうした戦時経験者の皆様の手記にふれ、心より過去を省み、平和を希求する心を育みつつ、大人へと歩んでまいりました。だからこそですが、昨今の「下げ続ける頭を踏みつけ、さらには、地に押さえつけるかのごとき中韓の姿」に、悲しさと無念さが抑えきれません。
 今次大戦に対する反省を、我らの祖国は十分にしてきているのではないでしょうか。戦後68年、平和を守り通し、中韓をはじめとする世界への貢献を繰り返してきたという日本の歩みは、それを証明しているのではないでしょうか。
 今次大戦で落命なさった兵士の皆様の多くは、上述のように、「人の心」を持っておられたことでしょう。そうした同胞への鎮魂も認めず、ただ、謝罪のみを執拗に求め続ける中韓らの主張に、無念の思いは募るばかりです。
 過日地元紙夕刊に「日本傷痍軍人会高齢化のため解散式行う」の記事がありました。

「護国の思いを胸に身をなげうって尽くしてくださった皆様方、本当にありがとうございました。」

日本は、これからも、世界平和を希求し、誇りを持って進む。その一人として、自分も努力する一人でありたい。そう、改めて思っております。
安倍首相、我々国民に勇気と希望を与えてくださり、心より感謝申し上げます。護国の鬼となられた皆様の喜びも如何ばかりかと・・・涙。
            
平成25年12月 首相 靖国神社 参拝によせて (以上)

長文となりました。お許しください。


 

2019/08/21 (Wed) 11:17

(名前不明)  

「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書・答弁書

「いわゆる戦犯」の名誉は回復されている、 あの野田佳彦が首相就任前に提起していた‼‼http://tokyoexpress.info/2018/08/16/「いわゆる戦犯」の名誉は回復されている、-あの/

2018-08-16(平成30年) 元文部科学大臣秘書官 鳥居徹夫
 ~
サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づいて関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に、「BC級戦犯」は昭和33年までに赦免され釈放された。
刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。

この東京裁判で、禁固7年の有罪判決を受けた重光葵(開戦時の外相)は、釈放後に再び外務大臣(副総理兼任)になり、昭和31(1956)年、日本の国連加盟式典に代表として出席、国際社会復帰の声明文を読み上げ、万雷の拍手で迎えられた。

戦勝国に「A級戦犯」とされた者が、戦勝国が作った「国際連合」の場で大歓迎されたのである。
この「A級戦犯」を副総理兼外務大臣に起用した総理大臣は鳩山一郎。あの「A級戦犯を合祀した靖国神社の首相参拝」に大反対した鳩山由紀夫の祖父である。
死んだ後まで「戦争責任」を問われ、靖国神社から分祀せよと言われた「旧軍人」も、外務大臣として国際舞台に復帰して、握手攻めにあった重光葵も「東京裁判ではA級戦犯」であった。
これこそ「A級戦犯」という概念がデタラメだったと言うことにほかならず、まさに「東京裁判」なるものの本質を如実に表している。

処刑された7人は「裁判」の名を騙った報復に斃れた戦死者であり、他の戦死者と同様に、靖国神社に祀られるのは当然である。
「A級戦犯」という言葉のイメージも一人歩きしている。
自民党の政治家までが、A級戦犯を靖国神社に祀ってあるから公式参拝反対などと言っている。全くの無知である。
東京裁判は、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかった。これこそ弱肉強食の国際社会を肯定する「軍国主義」にほかならない。

極東軍事裁判は、占領政策として行われ、かつ国際法に反するものであった。
日本と連合国との終戦は、サンフランシスコ講和条約が締結された昭和27(1952)年4月28日であり、この日が日本独立回復の日である。

いわゆる戦犯や極東軍事裁判、靖国神社参拝などに関して、政府の公式見解が質問趣意書に対する答弁書という形で示されている。
 ~
「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm

衆議院議員野田佳彦君提出「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b163021.htm

2019/08/21 (Wed) 14:48

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