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2017/05/17

マッカーサー

マッカーサーは日本では人気があるみたいやね。東京の首都高速が今整備中で、その中の環状第2号線の、平成26年(2014年)3月に一部完成した区間を「マッカーサー通り」と呼ぶ、みたいなデマ?報道があったらしいです。戦後の日本に圧倒的な軍事力をもって一時的にでも君臨した、絶対的権力者に何となく憧れを感じる、みたいな風潮があったんやろうか。情けないなあ、日本人。
前にネットとか本で読んだことを確認してたら、またいっぱい話が出てきてびっくりです。アットランダムに書きます。
■マッカーサーは失禁していた
厚木飛行場にコーンパイプをくわえて飛行機からタラップを降りてくる写真は有名やね。このシーンは4人のカメラマンが撮っているらしいですが、タラップを降りたところでマッカーサーのズボンの股間に、失禁してるようなシミが見えています。ネットではいくらでも上がっています。つまり、初めて日本に降り立つのが怖くて仕方がなかったということやろうね。
■「アイシャルリターン」て、逃げてきただけやん
大東亜戦争が始まった時はマッカーサーは当時アメリカが植民地にしてたフィリピンにおったんや。日本軍の真珠湾攻撃の知らせが来たときはマッカーサーは呑気で、そのうちアメリカ軍が撃退するもんやろうと思うてたらしい。本間雅晴中将率いる日本軍はマッカーサーをどんどん追い詰めていってたんやけど、マッカーサーはアメリカ本国には勇敢に戦っているというウソの報告をしてて、英雄扱いやったらしい。せやから結局、命からがらフィリピンのコレヒドール島から魚雷艇で脱出してオーストラリアのアデレードに着いたときにゆうた言葉、「I shall return(必ずや私は戻るだろう)」は有名になったけど、実は配下の将兵を残して司令官が敵前逃亡しただけのことやったそうです。
■天皇との会見
敗戦直後の昭和20年(1945年)9月27日、昭和天皇はマッカーサーのいるアメリカ大使公邸を訪れはりました。マッカーサーはぞんざいな態度で出迎えます。天皇は正装で直立不動、マッカーサーは腰に両手を当てたラフな姿で並ぶ有名な写真は、翌々日の29日の新聞に掲載され、日本人は皆ショックを受けたそうです。天皇はマッカーサーに対し、戦争の全責任は私にあります、私のことはすべてあなたに委ね、どんな刑をも受け入れますが、国民は衣食住にも困窮している、どうかこの点にご高配をいただきたい、とお話しになったそうです。どうせ命乞いに来るんやろうと思っていたマッカーサーは「私は大きい感動にゆすぶられた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」と回想録で書いてはります。「天皇とはこういうものでありましたか」と驚く言葉も発した、との記録もあります。今も昔も、天皇陛下は国民(臣民)のことを第一に思うてはるということやね。
■解任後のアメリカ議会証言
もう一つ、ネットでは常識の有名な話としてマッカーサーが朝鮮戦争中にトルーマン大統領に解任された後の昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言があります。日本の戦争は「自衛戦争」やったという主張です。
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです」
お、マッカーサー、ちゃんとわかってたやん、と思いますね。
ネットや本でいっぱいエピソードを読むと、この人、自意識過剰で臆病で、見栄張りで時々ウソもつく、でも教養はあって話がうまい、自分の見せ方もめっちゃうまかった、とまあそんなところでしょうか。

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