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2018/06/22

しんぶん赤旗を配ってる共産党員の皆さん、そろそろ覚醒したら?

走る小
 今日の産経新聞(大阪版)で、共産党の話が出ていますね。「平成30年史 第10部 政界再編」。昔の私は左翼チックやったし、子供の頃なんかいわゆる判官びいきで、いつも強い自民党に対して「革新系」と呼ばれてた社会党や共産党が選挙でちょっとでも増えたら、「よーし」なんて、無邪気に思うてました。マスゴミの思うつぼやったんでしょうね。そんな「革新」側の共産党、いかにえげつない党やったかは最近いっぱい知りました。もっと昔は暴力的なこともやってましたからね。

 で、今日の記事です。
 <「人権抑圧と侵略戦争を推進 天皇が死去」/「新元号『平成』の使用を国民に強制するな」/1989年1月8日、すなわち昭和天皇が崩御された翌日の共産党機関紙「赤旗」(現しんぶん赤旗)の1面には、こんな見出しと記事が並んだ。>
 <非難は連日続き、10日付では議長の宮本顕治がインタビュー形式で登場。「日本歴史上最大の惨禍もたらした人物」と罵り、「民主主義日本のためには、天皇制という合理的でない制度をなくさなければなりません」と明確に訴えた。>

 ほほう、でもこの記事の時、私はもう大人やったけど、赤旗は読んでへんかったから知らんかったわ。今、これ言うたらとんでもないことになってるやろうなあ。最近、共産党は擦り寄ろうとしてるからな。記事にもありますけど、もともと共産党は、天皇陛下がご臨席し、開会の辞を述べられる国会の開会式にはずう~っと出やへんかったのに、平成28年1月の国会の開会式には史上初めて出席したということで話題になりましたね。

 またこれも記事にありますが、平成16(2007)年には党の綱領を改定し、「君主制を廃止」とか「人民革命」という言葉はなくなり、「抑制的な表現になった」そうです。それでもたとえば自衛隊は違憲で、解消すべしと言うてるし、日米安保条約は廃棄すべしと現在の綱領には書いてあります。まだこんなことゆうてるんや、と驚きですね。まあ綱領は上の人が勝手に書いてはるわけやけど、下の人たち(一般?党員)は真面目な人が多い、というのが昔の私のイメージでした。そしたら何と今日、私が毎日読んでる小坪慎也さんのブログに、「狛江市にて、しんぶん赤旗の庁舎内での勧誘、配布、集金が全面的に禁止となりました。」という記事が出ていました。

 そして、そのブログのコメント欄に、自分の身内が共産党員という人の投稿があり、悲惨な党員の新聞配達の実態が暴露されてました。真面目な党員は文句も言わずに?雨の日も風の日も、せっせと新聞を配り続けてるとか。まあそりゃー自業自得やろ、とは思いますけど、もうそろそろ覚醒しはった方がええんとちゃいますか?日本全国の真面目な共産党員さん。有名な不破哲三さんの豪邸の話も知ってはるんでしょ?新聞配ってて、アホらし、て思わへんのかなあ?不思議や。

2018/04/29

昭和の日に思う、天皇を戴く国、日本に生まれた幸せ

指差し小
 今日は昭和の日、昭和天皇がお生まれになった日、当たり前やけど私らの子供の頃は「天皇誕生日」でしたね。その昔は「天長節」。今日はええ天気、皆さん国旗は掲揚しはりましたか?

 私が「何かおかしい」と感じていろいろ勉強し始めた頃、何となくわかったことは、サヨクの人たちはとにかく「天皇制」を将来的にはなくしたい、と思てはるんやな、ということでした。そもそも「天皇制」という言葉自体がサヨク側の言葉みたいです。歴史をちゃんと事実に基づいて勉強してみると、日本という国は、もう二千年近く前から、国の権威と権力は切り離した方がうまくいく、ということがわかってたんや、ということを知りました。

 もともと日本列島には四季があって、海、山の自然の恵みが多く、基本的には食べ物にはそんなに困らへんかった、と。せやけど時々地震、台風、洪水、噴火、などの自然災害が起きて大変なことになる、と。そんな時のためには備えが必要で、その前提が、備蓄のできる稲作やったんや、ということですね。稲作をするにはみんなで協力せなあかんから、だんだんと国という組織ができてきたと。

 それを日本列島全体に広めていくことで、「食うに困らへん」安定した国ができていったんや、ということでしょうか。その過程で権威と権力は切り離したほうがうまくいくことを知ったんやと思います。「大国主の国譲り」の話が象徴的ですね。

 今の時代も天皇陛下御自ら皇居の中で毎年、稲を育ててはるそうです。「瑞穂の国」ですね。最高権威の方が自ら稲を育てはるからこそ、日本はその昔から「職業に貴賎なし」の国やったんでしょうね。日本には奴隷制はなかったんやからね。

 きちんと稲作をしていれば、他人から奪うことなどしなくても自分たちの食べ物は確保できる。稲作に勤しむ民こそが国の力の源で、せやからこそ民は天皇にとっての「おおみたから」ということですね。こんな理想の国が二千年も前に既にして出来上がっていたということですね。

 その調子で稲作を広めていったら世界が平和になるはずやってんけど、大陸は事情が違うたんですね。日本人の不幸はいつも大陸から来てるんですね。白村江の戦い、元寇、ペリー来航、大東亜戦争、、、。今、朝鮮半島の雲行きが怪しいですが、今こそ日本人、しっかり踏ん張らんとあきませんね。

2018/03/04

昭和天皇とマッカーサー

自転車小
 昨日の記事の「御製」は「ぎょせい」です。歴代の天皇がお詠みになった和歌のことをいいます。

 で、天皇の戦争責任。私は責任はあったとかなかったとか、どうでもええと思います。というのは、いつも読んでるねずさんのブログ(大和心を語るねずさんのひとりごと)で、ちょっと前に「昭和天皇行幸とシラス国」という記事を読んで確信したからです。昭和天皇の行幸の話は、ねずさんは時々上げてくれてはります。

 「昭和天皇の行幸は、昭和21年の神奈川県を皮切りに、昭和29年の北海道まで、足かけ8年半にかけて行われました。全行程は3万3000km、総日数は165日です。」
 もうこれは大変なことやんか。天皇陛下は暇とちゃうねんで。年がら年中、行事がある中でのこの数字や。上の記事も、何べん読んでも涙が出ます。戦争で両親を亡くした女の子に陛下がお言葉をかけられる話。シベリアに抑留されて共産主義に「洗脳」されてたはずの帰還兵士が、陛下を前にしていっぺんに洗脳から解けてしもうた話。息子を戦争で亡くした老母に陛下が声をかけられる話。

 こういう話を聞いて読んで、その上で、どうぞ「戦争責任」の話をしてください、と言いたくなりますね。帝国憲法が、統帥権が、とか、そんなことはどうでもええやん、あんたら、天皇陛下を極刑に処したかったんか?あらためて「天皇の戦争責任」などという言葉がもうめっちゃ薄っぺらいものに思われます。まあ言いたくはないけど、この戦後の「行幸」一つとってみても、天皇陛下は全身全霊で昼も夜も日本国民に「責任」を果たされ続けてるんやと思います。せやからそれは、「責任」なんていう軽い言葉やないんとちゃうか、と思いました。

 話戻りますけど、上のシベリア帰還兵の話、マッカーサーの話にも通じますね。
 敗戦直後の昭和20年9月27日、昭和天皇は正装してアメリカ大使館公邸に通訳一人だけを連れてマッカーサーを訪ねられます。このとき、お迎えはありません。マッカーサーは天皇が命乞いに来るのだろうぐらいに思い、あの有名なノーネクタイ、腰に手を当て、天皇陛下は直立不動の姿勢の有名なあの写真が撮られました。

 けれど、天皇は「全責任は自分にある。自分の身はあなたに任せるから、どうか国民を飢えさせないでほしい」と言われたそうです。それを聞いてマッカーサーは感激し、一気に態度を変えて予定していなかったお見送りをしたそうです。(詳しくはもうネットにいっぱい出てますからぜひ見てください)。この後マッカーサーは、昭和天皇の戦争責任を調査するアメリカ政府の要請に対し「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答したそうです。

 改めて私らは、天皇のおられるこの国に生まれたことを、心から幸せに思えますね。
 ※ちなみに、上の行幸の話の元は、しらべかんが(調寛雅)著「天皇さまが泣いてござった」という本だそうです。
2018/03/03

まだ言うか?「天皇の戦争責任」

走る小
 実は私は学生時代はサヨクチックな人間でした。井上清の『天皇の戦争責任』もちゃんと買うて読みましたよ。あ、年がバレるか(笑)。まあその本をどこまで理解できてたんかはわかりませんけど、天皇という権威に対して異を唱える、タブーに挑戦する、というのが何となくカッコええ、という若者にありがちな気分やったんやと思います。まあ何事も疑うて真剣に考える、というのんは若者の特権かも知れんけど、ええ年していつまでも「反権力」ばっかりゆうてる今の「リベラル」の人たちもある意味情けないですね。

 あ、話それた。で、私はこの「戦争責任」は、天皇に限っては、あるとかないとかの話を超越してると思います。言い換えると、「戦争責任」の話は意味がないと思います。

 開戦の詔書を見てみましょう。
<今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ>
(今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。)

<米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ>
(米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。)

 つまり、戦争を始めるのは自分の本意ではないけれども、意図的に経済断交をして脅威を加えてきたから開戦したんや、ということですね。これが全てやんか。

 あと有名な話に、開戦3か月前に戦争を決意した時の御前会議で天皇が明治天皇の御製を全員に披露され、各自に意見を問われたそうです。その歌は本来は
「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
なのですが、この会議では「波風」を「あだ波」とわざと変えて、会議の場でご自分が書かれたメモを見ながら2回も繰り返し朗読されたそうです(ネットでは「荒波」としているのも一部ありますが)。

 これを聞いて、全員が粛然となったということです。「あだ波」とは、思慮の浅い者が立ち騒ぐような軽薄な様を言うそうです。つまりは「今や日本を取り巻く状況は、波風どころか、あだ波になってしまっている、この危機的状況をしっかり認識しなさい」ということなんとちゃうか、と私は解釈しています。つまり、みんな、しっかり覚悟を持って国を護るために決意しよう、ということかと。

 「御製の読み替え」の話は事実やのに、TBSが平成20(2008)年12月24日に放送した「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機」ではまったく伏せられているそうです。戦後の似非保守の人たちや、「リベラル」な人たちは、天皇を徹底的に「平和主義者」にしておきたくて、それに対して「軍部」が暴走した、という話にしたい、という意図がある、ということです。

 ちなみにその人たちと言うのはたとえば半藤一利さんとか、保阪正康さんのことです。「日本は軍部の暴走により、世界制覇の野望を持って領土的拡張を図るため、自ら侵略戦争を仕掛けた」というストーリーにしたい、ということです。
 「戦争責任」の話にまだつながらへんわ。続きはまた明日。
2018/02/11

奉祝 紀元節

旗日紀元節

 今日は「建国記念の日」。国旗は掲揚しましたか?
 日本国の初代天皇、神武天皇が即位された日、ということですね。旧暦の紀元前660年1月1日に 即位しはったということやから、明治になって新暦に換算したらこの2月11日になるということで、明治6(1873)年に「紀元節」と決められた、というのは何となく知ってたけど、何と戦後、昭和23(1948)年にGHQに廃止させられてたというのんは知らんかったわ。復活したのは昭和41(1966)年ということです。

 ついでに書いとくけど、ウィキペディアにはご丁寧に「なお、神武天皇は、古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存したとあるが、現在の歴史学では、考古学上の確証が提示されていないこと、また古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない。」と、書いてあります。

 何としてでも日本を貶めたいという意図がありありですけど、その時代、お米は二期作でお米が穫れるごとに1年と数えてたから辻褄は合うんやて。日本全国にそれと思われる史跡やら伝承、言い伝えがあり、日本書紀にはそれらをいちいち「一書に曰く」として紹介し、色んな説があることをもちゃんと書かれてるんや。まあ日本が嫌いで嫌いでしゃーない人らがこの国の中にまだいっぱいいてはるからね。大学の中にも。アタマ痛いわ。

 あ、話がそれた。で、GHQが廃止させた「紀元節」は、本来なら一応日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約成立と同時に復活させるべきやってんやろうけど、国会では野党がうじゃうじゃと色んな案を出して別の日にしようとしてたみたいですね。まあ「日本は天皇がしらす(領らす)国」という根本が敗戦で抜かれてしもたからそうなってんやろうけど、保守の人たちは苦労しはって、何とかこの日に定めることができた、と。

 でも建国記念「の」日やで。「の」が大事らしい。あっちの人たちにとっては。もうさっさと「紀元節」「天長節」に戻さんかいや、と思いますね。まだあと50年はかかるんかな?