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2018/08/15

日本人は、いつまで攻撃され続けるのか?あなたが気づくまで、ずうっと。

今日は終戦記念日。去年の夏に、「意見広告クラウドファンド」のプロジェクトを立ち上げた時の原稿案です。残念ながらプロジェクトは成立しませんでした。再掲させていただきます。

【原稿本文より】
日本人はいつまで攻撃され続けるのか?
あなたが気づくまでずうっと。

72年前の8月15日、あのとき本当に戦争は終わったのでしょうか?
日本を占領したGHQは「東京裁判」で戦勝国が敗戦国を事後法によって裁くという、
およそ文明国にあるまじき茶番によって「戦犯」を作り出し、早々に「処刑」しました。
しかし実は日本は、昭和27年の独立後、国会の全会一致でこの「戦犯」の釈放、赦免を決議しました。
日本にはもう、とうの昔に「戦犯」はいないのです。

GHQは占領中、大急ぎで日本国憲法を制定させました。
日本はこの憲法9条のおかげで守られてきたという人がいます。
本当でしょうか?
GHQが日本の軍備を禁じたのは、あまりに強かった日本軍を二度と立ち上がらせたく
なかったからだったことは明らかです。
ところが今や日本の周辺は、もはや戦争前夜です。
竹島や尖閣諸島で日本の領土領海を公然と侵す国々、核やミサイルの実験を繰り返す国に、
憲法前文で言う「公正と信義」がどこにあると言うのでしょうか。
「戦争反対!」と言うのなら、日本を攻めてくる敵に絶対に負けない軍備を整えるのは当然のことでしょう。
日本国内から白昼堂々と拉致された人たちを、何十年たっても取り返せず、
現行憲法を一字たりとも変えられない私たち日本国民は、
本当にこの国を守ることができるのでしょうか?
GHQは戦後、WGIP(「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」)
を推進しました。
これにより、かつて秦の始皇帝が行ったのと同じ「焚書」が、
20世紀の文明国においても行われたことはぜひ知っておきたいところです。
WGIPには、30項目からなる「プレスコード(報道規制)」がありました。
そこでは、朝鮮人、中国に対する批判、GHQの憲法起草批判、満州での日本人取り扱い、
占領軍兵士と日本女性との交渉、占領軍隊批判、等々が報道禁止項目とされました。
これらは当時のGHQの公職追放と相まって、絶大な効果をもたらしました。
そしてその効果は日本が「独立」してから今に至るも続いていると思われます。
なぜなら「日本は戦争を始めた悪い国」という洗脳から抜けられない日本人がいまだに多くいるからです。
さらにそのことによって利益を得てきた人たちが今もなお日本国内にいるからです。

「南京大虐殺」、「『従軍』慰安婦」が問題にされ始めたのは、戦後しばらくたってからのことでした。
何の証拠もないこれらのプロパガンダは、出現当時は戦争世代の人たちからは相手にもされませんでした。
「従軍」慰安婦という言葉自体が噴飯ものだったからです。
けれどもウソも百回言えば本当になる国の人たちはしつこくこれを繰り返し、
もともと「和」を重んじる日本人は相手がそこまで言うならと妥協を重ね、
ついに抜き差しならぬところまで来てしまいました。

72年間、実は私たち日本人は今もずっと、戦争に負け続けているのではないでしょうか。

平成29年8月15日 「それホンマか?マスコミ!の会」

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2018/08/14

今こそ読もう昭和天皇の「開戦の詔勅」。世界は腹黒い。

走る小
 時節柄(笑)また戦争の話を。
 私らは昔は、日本は侵略戦争をしかけた悪い国、と教えられてきたけど、今ではもう、昨日書いたハル・ノートにしても、歴史的事実が示すように、日本はやむなく戦争に追い込まれてしもたんやということは間違いないですね。で、そこにもう一つ、日本国民やったら知ってなあかん話がこの「開戦の詔勅」やと最近知りました。

 天皇は実は大日本帝国憲法下でも、好き勝手に「詔勅」なんて出せるわけやなかったんですね。それこそ明治大帝の五か条のご誓文よろしく、「万機公論に決」してから始めて詔を出してもらうわけですね。まあサヨクは認めたがれへんやろうけど、事実はそうですから。つまり天皇の恣意によって政治がおこなわれることは、今も昔もない、ということですね。

 そういえば「天皇の戦争責任」という言葉が出て来たのは、私が中学生の頃やったと思います。当時でもやっぱり天皇に批判的な話をするのははばかられる雰囲気があったもんやから、例えば学問として、「戦争責任」について話すことが、いかにもタブーを破って真実を究明する、みたいなカッコ良さみたいなもんを感じてたのはたしかやと思います。

 あ、今の私の考えでは、「責任」なんて安っぽい言葉で言わんとってほしいな、ということですね。昭和天皇はマッカーサーが日本に上陸して約一か月後、単身(通訳を連れて)GHQに赴き、マッカーサーに「自分の命はどうなってもいい、あなたに預けるから、とにかく日本国民を飢えさせないでくれ」と言うてくれはったそうです。ほら、ちゃんと責任取ってはるやんか。日本人にとって天皇とは私ら国民のことを「おおみたから」と呼んでいつも平安を祈ってくれてはるご存在なわけで、そんなお方に対して「責任」などという軽い言葉で断罪するようなことは、そもそも考えられもせえへんことやと思います。まあ、責任があったんや!と言いたいねんやったら勝手にゆうとけ、それで?てな感じでしょうか。

 話が飛びました。そこで、昭和天皇の「開戦の詔勅」です。普通にちゃんと読めば、日本はもともと世界平和を希求していたし、ずっと平和的に解決しようと努力してきたのに、米英及び蒋介石の中華民国は一向に譲り合う気持ちもなく、こちらを屈服させようとしているから、このたびやむなく戦争に打って出ることにしたんや、と読めます。というか、そう書いてあります。これ以上でも以下でもないやんか、と言いたいですね。何の粉飾もあらへんで。

 私ら日本人がホンマに反省せなあかんのは、和平交渉のつもりで頑張ってたとしても、世界は私らが考えるよりはるかに腹黒く、狡猾で、残忍で、卑怯で、、、、これを10回ぐらい言わんとアカンぐらいなんや、ということが、全然わかってへんかった、ということでしょうか。

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2018/08/13

ヴェノナ文書の真実。今も昔も日本は秘密ダダ漏れ。スパイ防止法を。

指差し小
 8月はやっぱり新聞、テレビなどのマスゴミでは、戦争に関する記事、番組が多くなりますね。昨日、12日の深夜に何とあのテレビ朝日が「真珠湾77年目の真実 日米ソ壮絶スパイ戦争」というタイトルで、番組を放送したそうです。私は知らなかったので見てないのですが、私が毎日読んでる宮崎正弘さんのメルマガの「読者の声」のところで、関野通夫さんという人が紹介してくれてはります。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第5790号

 私らが学生時代に習うたんは、「『太平洋戦争』は日本が真珠湾に奇襲攻撃をして始まった」ということでした。アメリカ人は「リメンバーパールハーバー」を合言葉に、この「卑怯な」奇襲に反撃するためにやむなく戦争に応じたんや、ということになってますね。でも今では「ハル・ノート」の存在は広く知られていて、これこそが日本を戦争に追い込んだ挑発的な最後通牒やと言うことはもう歴史的事実ですね。つまり、アメリカは何としてでも日本が先に攻撃をしてくるように仕向けたかったということです。そしてもちろん、ルーズベルトは日本の艦隊が真珠湾に向かっていることも事前に知っていたんですね。

 上の番組では、ルーズベルト政権には200人を越えるソ連のスパイが入り込んでいたことや、真珠湾攻撃の前にアメリカ海軍の駆逐艦が日本の特殊潜航艇を撃沈していたこと、ルーズベルトがそれを知っていたこと、また、当時としてもハル・ノートは日本が到底受け入れられないであろうと、アメリカさえもが理解してたことも、ちゃんと説明していたようです。深夜に放送された番組ではありますが、とにかく戦前の日本は悪かったと、ずっと言い続けてたマスコミ、それも朝日新聞系列の放送局が最新の事実に基づいて番組を放送したことに対し、投稿者の関野通男さんは「朝日の中で何が起ったのでしょう」と書いてはります。

 さらに「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通巻第5789号では、書評欄で宮崎正弘さんが、江崎道朗さんの『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)を取り上げてはりました。こちらではルーズベルト政権内でのコミンテルンの工作員の数は300人になっていますね。この本の中では「ヴェノナ文書」で明らかになった事実がいっぱい書かれているようです。日本がなぜ戦後、ドイツや朝鮮のように分断されずにすんだのか、そして昭和天皇の意外なインテリジェンスについても知ることができるようです。はよ買うて読まなあかんな。

 あ、ヴェノナ文書とは、ソ連が崩壊した後にいっぱい出てきた機密文書の中にあった、アメリカとイギリスの情報機関が協力して行った、ソ連と米国内に多数存在したソ連スパイとの間で交信された多数の暗号電文を解読した文書のことです。こういうものをちゃんと残してたソ連も、それを解読した米英も大したもんやね。

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2018/08/12

いよいよチャイナは危ないな。覚えておこう、軍閥割拠の時代。

頷く小
 日本人の中には今でも「中国」に対しては侵略戦争をしかけて申し訳ないことをした、と思てる人がたくさんいますね。この前、南京大虐殺館にホイホイ行った福田康夫元首相もそうですし。あ、もしかしてホンマのことを知ってて行ってるのかも知れませんが。そしたらそれはそれでやっぱり売国奴やな。清末以降のシナ大陸は、実際には国内のあちこちで政権が乱立してた、ややこしいところやったんですね。

 1900年に北京で義和団事件(義和団の乱)というのが起こります。「扶清滅洋(清を助けて西洋を滅ぼす)」を唱えた「義和団」が、鉄道や電信を破壊し、公使館地区(外国の大使館、公使館のある地区)を包囲しました。清朝政府(西太后)はもともと義和団を弾圧してたのに、この時は義和団の側について、ついに列国に宣戦布告したと。そこで日・露・英・米・仏・独・伊・墺の八カ国は共同出兵し、2万の兵を送り込んで押さえつけた、と。でもこれはもともと各国とも清と結んでいた条約に基づいて出兵したわけですね。

 清国政府には莫大な賠償金が課され、いよいよレイムダック状態になっていくわけですね。で、この時にロシアはドサクサに紛れて満洲を占領したもんやから、ロシアと対立してたイギリスが日本と同盟を結び、日露戦争につながり、日本が勝った、と。1911年には「辛亥革命」が起こり、年が明けてすぐに孫文を臨時大総統として中華民国の成立を宣言し、清朝は滅びたんですね。孫文がなんで「臨時」かというと、清朝最後の内閣総理大臣で、軍の実権を持っていた袁世凱(えんせいがい)に大総統になってもらうことにしてたからですね。

 この袁世凱に日本は翻弄されます。1914年には第一次世界大戦が始まり、日本は連合国側で参戦します。この大戦の真っ最中の1915年に出された「対華21カ条要求」というのは、国際法に基づいてシナ大陸における日本の権益を、シナ政府としてちゃんと認めなさい、という意味で出されたものやったんですが、逆に袁世凱はこれを反日プロパガンダに利用したんですね。今も昔もあいつらは変わらんな。袁世凱はその後、共和制を廃止して「中華大皇帝」になりましたが、ほどなく病死し、北京政府は「北洋軍閥」に支配され、シナ大陸はいよいよ軍閥の割拠状態となっていったんですね。

 1925年に孫文が死んだあとは蒋介石が力を持つようになります。一方では1921年に生まれた中国共産党が力を付け始めていて、国民党とこの後も何べんもその時の情勢に応じてくっついたり離れたりします。大東亜戦争と言うのは真珠湾攻撃からではなくて、昭和12(1937)年のシナ事変から始まる戦争を指すのですが、その頃、チャイナ大陸は、一体誰が責任を持って治めてるんや、というような状況やったんですね。通州事件を始め、残虐な事件もいっぱい起こっています。

 なんでこんな話を書いたのかと言うと、いよいよシナ大陸が危ないんとちゃうか、と思うからですね。歴史は繰り返す、大陸には気をつけましょう。

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2018/08/11

もともと宗教的やった?日本人。八百万の神さんがいてはるで。

パンチ小
 今日からお盆休みに入る人も多いようですね。私の実家は両親とも昭和ひとケタ世代で、終戦を迎えた時はお父ちゃんは学徒動員中、お母ちゃんは学童疎開中でした。せやから文字通り、戦後教育の最初の犠牲者やったかも知れません。その上、お父ちゃんは五男、お母ちゃんは八女ということで、まあ何と言いましょうか、人生は基本的に人任せのご気楽家庭でした。努力せんでも普通に結婚して子供を産んで育てることはできた、と。

 あ、何か親の悪口言うてるみたいになったわ。いや何を言いたかったかというと、私の実家には仏壇も神棚もなかってん。両親のそれぞれの実家には、もちろんどちらもありましたけど、自分らが所帯を持って暮らし始めてからは両親の親(私のおじいちゃん、おばあちゃん)も、若い二人にいちいち仏壇なり神棚のことをあれこれ言うこともなかった、ということやったみたいです。今、私の家には仏壇があり、来週、お盆のお飾りをすることになります。

 普通の日本人に宗教とか信仰を聞くと、「私は無宗教です」と答える人が多いそうですが、そんな人でも家には仏壇があり、頂き物があれば仏壇に「チン」してからいただくとか、お墓参りするとか、お盆にはそれ相当の設えをするとか、お正月には初詣で近所の神社には必ず行くという人がほとんどやと思いますが、それこそが海外では普通に「信仰」というんやそうです。せやから欧米人(キリスト教徒等)に「私は無宗教です」というと、かなり危険な人物なんやと思われるそうです(笑)。

 最近いろいろと勉強してきてわかってきたのは、日本人は縄文の昔から宗教的な感覚は持っていて、基本的には「八百万の神」として、神さんはどこにでもいてはるんや、という感覚があって、仏教が伝わって来たときも排除せずに上手く取り入れて日本人の感覚に合うように仲良く共存させて来たんですね。もちろん、もっと時代が下ると神仏習合やら本地垂迹説と言うてたんが江戸時代末の廃仏毀釈になり、明治になって神仏分離令が出され、ついにはGHQが神道指令を出す、と、いろいろとややこしかったんですね。いまだに神社は私的な一宗教法人になってますしね。ということで、今年も我が家では迎え火、送り火を焚きます。
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