Edit your comment >ブログ主様 初めまして、ソロと名乗って居るものです。 私は歴史が殊の外好きなもので、田中英道先生や岡田正弘先生の、戦後史観からすれば、異端な歴史観を持たれる方々のファンです。ww 古墳時代と言えば、AC2~5世紀位で、資料が少なく日本史の謎の多い時代ですが、天皇の系譜では、仲哀帝~武烈帝の前迄が是に相当し、所謂、和泉・河内地方に巨大な古墳群を築いて、シナ王朝から「倭の五王」とよ呼ばれた時代に当たりますね。 この時の日本の国力は、相当なモノでありったのは、福岡県の博多湾に有る島から「漢の奴の倭の王」と言う金印が出て居ますが、その時代は未だ日本がまとまって居なかった時代、つまり、「倭国大乱」の前の時代だと認識して居ますので、その大乱の勝者なんですから、その武力は大きかったと思いますし、和泉・河内平野が元々、葦の原であったと考えて、この時代に、大規模な干拓事業を行い、大水田地帯を築き、食糧の大増産した結果、強大な国に成ったと言う仮説を持って居ます。 加えて私は、紀元前2,3世紀の頃に、半島に逃げ込んだ長江民の遺民が、慶州の山から鉄を掘り出して、折しもシナでは戦火か絶えなかったので、鉄は金より高い値で売れ群れましたから、是をシナに売る裁く事くぉ海運力の有る倭族に頼み、いつしか、質婆が逆転して、倭国が、鉄貿易を仕切る様になって、半島に新羅を見張る意味で任那を置いた、と言う仮説を建てています。ww AC199年には、王朝の故地である九州の倭族「=海人族」の熊族が半島勢力と通じて、背いたので、是を征伐に帝自らが、身重の后と岳父の武内の宿祢とその軍を伴って出陣しましたが、熊襲の流れ矢に当たって落命、然し、后は、帝の遺志を継いで軍を率いて、半島に渡り、乱を平定し、戦の最中の生まれた後の応神帝を伴って凱旋した(三韓征伐) その頃のローマでは、ユダヤ教がディアスポラの原因となった、エルサレム攻城戦を戦い、フラビウス・ヨセフスという士師に裏切られて、ユダヤ族10万人が集団自殺して終ったのが、AC1世紀(70年)ですから、未だキリスト教は、ローマの国教(AC395年)になっていませんから、弾圧されて居た筈ですよね。 是は私見ですが、大体、キリスト教と言うのはイエスがゲッセネ派ユダヤ教の士師であったワケですから、存命中二は、キリスト教なんて無かったわけですよね。 イエスを磔の刑に架けに、等しい、敵対するユダヤ教ファリサイ派の士師、パウロの「処刑された筈のイエスに遭って後を託された」と言う証言一つで、イエスは復活した事に成りますが、その後、元の使徒たちの処には姿を見せて居ませんので、一体何の為に生き返ったのか分りませんよねww 其れより、12使徒を始めとするイエスの支持者たちの集団を手に入れたパウロは、キリスト教を建てて、その集団を率いて、イエスのみ言葉を纏めたモノを新約聖書と言う形で、ユダヤの教典に加えました。ですから、キリスト教を「パウロ神学」と揶揄する向きもあったりします。 世人に全く認識されて居ないキリスト教が、ユダヤ教徒と纏めて迫害されて居る中で、遠く日本迄、伝来したと言うのは、ちょっと無理があると思います。 ですから、渡って来たのは、ゲッセネ派のユダヤ教なのではないかと言う推論が出て来るのです。 で、キリスト教だと言って居る人は、その辺りの事情を良く知って居る人では無いのかと、思うのです。 然し、日本は、日本で発見された新石器と思しき石器から3万年前、人が棲んだ形跡で遡ると、12万年前と言う古い歴史が有るし、4種類いる「=ホモ・ハビリス、ホモ・エレクツㇲ、ホモ・サピエンス」同じ、人科のネアンデルタール人「=ホモ・ネアンデルタールシス」と同じDNAが50%以上ある日本列島原人は、明らかに、西洋の神とは異なる実存の神を崇敬して居たので、ユダヤ化する事は無かったし、逆にユダヤ人の方が、日本化して吸収されたと言う事の方がずっと蓋然性が高いと思いますね。 つまり、日本文明の消化力の強さの原点は、ネアンデルタール人から受け継いだ高い民度に有ると言う考えです。 以上が、私の古墳時代にキリスト教渡来説の解析でした。 解析とは名ばかりで、殆ど、あちこちの風説を繋げたものですので、真偽の程は責任を持てません、私見で有る事を強調して置きます。www SECRET SendDelete