Edit your comment 台湾を語る時、どうしても避けて通れないのが、蒋介石の存在 ですね。 この代表的なシナ人は、三枚舌で一生他人を誑かせた 全く信用の置けない人だと思いますね。 極東軍事法廷で、死刑宣告された、広田弘毅元外相は無二の親友 松井石根陸軍大将は。日本での親代わりを務めた、彼にとっては、 掛け替えの無い人達だった筈、それを、何の弁護もせずに、見殺し にしたのですが、その契機となった、日中戦争は、半年も前から 周到に用意して、ナチス・ドイツの軍事顧問団を招聘して、兵士を 塹壕を使ったゼークチ・ラインという、フランスの要塞マジノ線 を陥落させた戦法を訓練して精兵に鍛え上げていました、 昭和12年8月14日、日本軍が2万5千の守備兵で守っていた上海 を、ランチェスターの絶滅公式の「相手の倍の兵力なら必勝」を、 3倍に上げた7万5千人で、不意討ちにかけたのですから、必勝を 期していたはずです。 然し、日本軍は多くの戦死者を出し乍もこの猛攻にみっか月以上 耐えて援軍を待ちました。 援軍は続々と、戦地に乗り込み、 結果、25万人に膨れ上がりましたが、蒋介石の国府軍も、周辺の農 家から農民を徴用して、数だけは75万人とこちらも当初の10倍に 膨れ上がりましたが、その多くは鉄砲の打ち方も知らなければ、 軍服も支給されない俄か仕立ての兵士だったので、却って軍隊の 指揮系が混乱して、守っていた大上鎮も10月に陥落、蒋介石は、 ナチス・ドイツの外交官トラウトマンと友人の広田弘毅の力を借りて 恥ずかしくもなく、和平工作を企みましたが、陸軍上層部の逆鱗に 触れ、逆に、蒋介石を何としても取り押さえて、日本に送還せよと の命令を下します。 これを知った蒋介石は、まだ50万人以上残っている兵士を置き去り にして、飛行機で漢口に逃亡、残された司令官唐智生も、その夜に 逃亡、完全に国府軍は「喪家の狗」状態となって、大混乱に陥って、 南京城に向かって逃避行を始め、途中で相当の脱走兵が出ましたが、 南京城には30万人前後が到着したモノと推定されます。 後世に言う、南京大虐殺は、この30万人の兵士の殺戮を指すモノと すが、殺害された兵士は銃も撃てない農民兵ばかりで、城を抜け出して、 民家に押し入って強盗殺人を犯したのは、国府軍の正規兵が殆どだった のは、そう言う行は、国府軍の兵士の普段の行動であったから云える事 だったのです。 この行為の責任は当然、総指揮の蒋介石に有ります。 是を戦後、「仇を返すに徳を持ってす」とは、良く言えたもので、 日本人から言わせれば、恥を知って居るとは到底思えません、シナ人 の恥晒しだとしか言いようが有りませんが、所詮、公に対する心の 無い人です。 シナ人は、どんなに教化しても何處まで行ってもシナ人 であった、と言う良い例だと思います。 米国は、蒋介石に正体を見破って居たと私は思います。ダカラ、戦後に 米英は、蒋介石への援助を打ち切ったのだし、台湾の持向かせて、「赤狩り」 と称して、2・28事件を起こして、台湾でWGIPをおこなって、2万人以上の 知識人を殺害して、台湾人に、「米国は日本に、原爆を2発も落としたが、 台湾には、蒋介石を落とした」と言われるワケで、米国人は、殊に、他民族 や異教徒の扱いに関しては、シナ人の異宗族に対する姿勢と余り変わらない と言う事ですね。 何処が人権大国なのか、厚顔無恥にも程が有る。 SECRET SendDelete