Edit your comment 原発のヘリコプターに拠る冷却水投下は、正に、決死の覚悟が必要 ですね。志願者を募ったら、全員の手が挙がったと言う話には、私も 涙が出ました。 「皆の為になるのなら、或いは、使命の為なら命を賭して当然だ」 と言う大和魂は、特攻兵士ならず共一般商船でも、機関室の水密扉を、 外から閉めるのが、慣習に成って居た事を考えれば、戦前日本人の 常識だったと、言えましょう。そうして亡くなった方々は、恐らく 軽く10万を超えるでしょう。 裡の学校が軍隊みたいなのは、当たり 前だなぁ、とその頃、納得しましたね。 戦争は確かに非人間的でですが、その危機に敢然と立ち向かうもの が居なければ皆殺しに遭うのなら、敢えて、自分が命を捨ててでも 非人間的な事でもしようではないか、と言う覚悟が、死んで護国の鬼 となる、と言う事でしょう。 私が商船学校の1年生の時に、元日本郵船の客船だった改装空母の 「冲鷹」の運用長として座乗されて、敵の潜水艦に撃沈され、4日3晩 漂流して、運よく味方の駆逐艦に助けられて、戦後母校である学校で、 法規の教官を為さって居た方が、江田島の元海軍兵学校、現自衛隊の 術科学校に、学校の船でオリエンテーリングに行った時に、話して くれた事ですが、真珠湾攻撃に参加したけれど、戦果を挙げらないママ、 真珠湾で亡くなった、甲標的という名の、3人乗りの小型の潜水艦の 搭乗員9人の方々の顕彰碑の前で「皆、自分の使命を全うしようと、只管、 頑張った結果だ、同じ日本人として冥福を祈ってくれ」と、云い乍ら居た 涙を拭いて居た事を思い出します。 仄聞するに、亡くなった方の中に、 同級生がいらしたそうです。 斯うした、体を張って日本の藩屏となる事が、名誉な死に肩であると、 考えられていたのは、オソラク、「海ゆかば」の歌詞を思い浮かべれば、 万葉以前の時代の防人の心に発していると思います。 つまり、自分の 為だけでなく、公「=皆」の為に生き、そして死ぬ事を、自分の意志を 以て行った時に自分の人生を生きたと言えると言う考えだとおもいます。 今の自衛隊員には、このスピリッツが、脈々と受け継がれているんだ なぁと知って、物凄くうれしかったですね。 SECRET SendDelete