Edit your comment >終戦記念日に慰霊の行事を行う意味 勿論私論ですが、この日がお盆の慰霊を行うに、最も適した日で有ると、故郷を遠く離れて生活している私は殊更に思います。 私が小学生の頃には、未だ周りには戦争経験者でも、戦闘経験者が沢山いましたから、ちょっとした契機で仲良く話をする様になると、外地の色んな話がきけましたね。 然し、戦闘の話になると、中には途中で話すのが辛そうで、訊くのを止めた事もありました、けれど、共通していたのは、皆、自分に与えられた持ち場を護り、使命を果たす為に、極、普通の人が本当に命を捨てて戦い抜いたと言う事を、覚ええといてほしいと言う事でした。 そんな人達が、異口同音に云っていた事が「死んだら、靖国神社で会おうだったが、あえるかなぁ」でしたね。その時は、気持ちが分りませんでしたが、そのおじさん達の歳を超してしまった現在になったら「生き延びた」よりも「死にそびれた」と言う無念さが、胸に迫って来ます。勿論荻さんたちは一人残らず、あの世に逝きましたが。 終戦後の占守島の激戦の話は、読んだ事が有ります。 あのハザール人庇護で有名な、樋口季一郎少将率いる、再武装した日本軍が、圧倒的な数を誇るソ連軍のラーゲリ部隊「=囚人部隊」と、此方側の弾薬・燃料が尽きる迄の約4日間交戦して、相手部隊は、粗、壊滅状態になったお蔭で報復戦は、ごく僅かで済んだそうです。 ソ連側では、満州守備隊と比べて、余りの違いに北海道の占領を諦めたと言う話ですから、「本土を守り切った」と言う意味で、陸軍の面目躍如だと云えましょう、それでも、北方四島は守り切ったのに、ロシアはそれを認めないのです信じる方がバカだと言う他は無い、未来永劫、ロシアとは、信頼関係者は結べないでしょうね。 SECRET SendDelete