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弓取り
神道は悠久平和の宗教
>『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』
教義、経典がないからでしょうね。身に付けて行うことが重要だからです。何事も、習慣化すると説明しづらいですもん。
キリスト教関係は、聖書が分厚くて、外典やらも多く、経典の多さときたら。信者でも、全部読んでる人は希少でしょう。身につけて行う場所や時間が限られている。
英語圏のホテルの各部屋には、聖書が置いてありますが、その理由はジョークで「それに少しでも目を通せば、寝付けない人でも、すぐ眠くなるから」というのがあります。
仏教も経典類の多さ難解さがすごいけど。
ことほどさように、教義経典と言ってもボリュームで勝負している面があります。そして、内容よりも歴史と組織力で押し切っている面が大きいです。
これを純粋な宗教と見なしていいのか、私には甚だ疑問です。ピュアな信仰心が置き去りではないでしょうか。
海外の人で、日本人のちょっとした挙措に宗教心を感じたりするそうです。私はこれが宗教のあるべき素の姿だと思いますわ。
経典がなくてもね。
それは、自分以外のすべてに感謝する心の準備ができていること。自分以外の存在に畏敬の念を持つ準備ができていること。そこから謙虚になる準備ができていること。
それらが素朴で正しい宗教になっているのだろうと思料いたします。
(ここにつけこむ悪党もいるわけですが・・・)
一神教の外国人に、神道は宗教じゃないとかどうとか、酷評されたとしても、痛くも痒くもないです。
一神教は闘争から生まれ、成立してからも新たな闘争を生み出します。ぜんぜん平和の宗教ではありません。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 神道は悠久平和の宗教
> (ここにつけこむ悪党もいるわけですが・・・)
・・・まさにこれが今の問題ですよね。
> 一神教の外国人に、神道は宗教じゃないとかどうとか、酷評されたとしても、痛くも痒くもないです。
> 一神教は闘争から生まれ、成立してからも新たな闘争を生み出します。ぜんぜん平和の宗教ではありません。
・・・結局中東は永遠に平和にはならないように思いますもんね。