神武天皇実在論。賢いエリート層には、人知を超える物事に対する畏敬の念があらへんのかな。

神武天皇実在論



 私は小説をあんまり読まへんので、文学のことについてはまるで素人です。せやけどこの林房雄さんが書きはった『神武天皇実在論』の復刻版は、宮崎正弘さんが解説を書いてはるというので、読んでみました。ははあなるほど、とようわかりました。

 林房雄さんは本業?は小説家で、戦前は「プロレタリア文学」を標榜する左翼やったけれど、戦後は転向したので逆にGHQから公職追放に遭った、と。それでもペンネームを変えてしっかり文筆活動は続けてはったそうです。三島由紀夫との交流もあった、と。

 昭和38(1963)年、『中央公論』に『大東亜戦争肯定論』を発表し、物議を醸したんやそうです。当時は左翼の全盛時代ですから、ボロクソに叩かれたことでしょうね。そしてその後の昭和46(1971)にこの『神武天皇実在論』が出されたというわけです。

 「覚醒」した私としては、日教組教育とか戦後の歴史教育というのは、『古事記』『日本書紀』に書いてある神武天皇の話は、まるで神話の世界の話やから意味がない、日本は太古の昔からずっと「中国」や朝鮮から学んできたんや、という、めっちゃ歪んだ歴史を教えられてきたことは、もうわかってしもてます。せやけど、林房雄さんがこの昭和46年当時にこの本の内容を書きはったということは、今こそ光を当てなあかんことやと思います。

 タイトルの「神武天皇実在論」は今、いよいよ最新の研究によって証明されることは、もう時間の問題になってきそうですね。文字通りの先見の明ですね、林房雄さん。この昭和46年から既に50年近く経ち、ものごっつい多くの発掘が進んで、林さんの予想が見事に当たって来ているということです。

 そしてそれは、大学や研究所に籠って解釈ばっかりしてるような学者ではなくて、文学者やからこそ、その洞察や推察が、生きた予想、一言で言うたら直感、みたいなもんを働かせることができて、その結果、当時としてはめっちゃユニークな説を出すことができた、ということでしょうか。そしてまたそれは、この本が今でも読むに値するものやということの証明でもありますね。

 私が内容を紹介するのはおこがましすぎるので、当時の林房雄さんの「まえがき」の一部をコピペさしてもらいます。
 くり返すが、『古事記』も『日本書紀』も歴史の書である。すべての民族の古代史が神々と切りはなせないのと同じく、日本古代史でも多くの神々が活躍する。日本の神々の人間くささは、ギリシャ神話や北欧神話以上とさえ言える。この意味で、日本古代史もまた神々の物語であると同時に、人間の歴史である。
 実は私は「覚醒」前は、恥ずかしいことに、元号を否定していました。この科学の時代に、特定の一人の生死によって年号を決めるやなんて、こんな不合理なことはあらへん。世界共通の年号に合わせといたらええんや、てなもんでしょうか。

 今は、こんな素敵なもんはあらへんな、と思います。時代時代に共に生きた証としての元号は、全ての日本人が共有できる体験として、文字通り、万民平等に使うことができる道具になってるわけですね。そして人間の生き死には、それこそ科学万能の現代においてもまだまだ、人知の及ばぬところなわけですね。人知の及ばぬものに対する畏怖の念は、人間として永遠に忘れたらあかんのとちゃうか、と思い始めています。

 そしたら何とこの本の中で、林房雄さんより少し年下の、保守の評論家の田中忠雄さんが天皇について書いた文章を引用してはりました(昭和46年4月『天皇・日本のいのち』(日本教文社)に収められた田中忠雄『生命の論理と天皇』)。林房雄さんは、田中忠雄さんの「驚くべきといってもいい自己告白」という言い方で紹介してはります。
「私は高校や大学で、主としてヨーロッパ系近代風の学問を学んだので、日本の普通の庶民が持っている天皇への心情が、久しいあいだわからなかった。天皇の存在ほど『非合理』なものはない。それは近代合理主義の精神にとっては、全く理解できない謎である。理解できない私の目には、その非合理が『不合理』と映ずる。・・・・・・生まれながらにして天皇たるべき地位が決まっていること、人間の人格的価値とは無関係に天皇の地位が世襲されていること、これらの『不合理』を不合理と思わず、単純にそのまま受け取って天皇を崇敬する一般国民は、若い日の私には無知としか思われなかった」
 そして田中忠雄さんは、こういう意識を持った人たちが戦後、国や社会の指導者の仲間入りをした、と書いてはるそうです。そして林房雄さんはこれを受けて、
たしかに、そのとおりであった。敗戦後の天皇否定の風潮の主流は必ずしも若年層ではない。明治末期から大正期に生まれたいわゆる指導層の中に戦後の「天皇否定論者」が多いのを知っておどろいたのは、私一人ではなかろう。
 ふうん、その時代、かしこいエリート層の人たちの中には一部、ぽっかりと、あっさりと天皇否定論に走る人がけっこうおった、ということやな。教育ってコワいですね。人間、素直にならなあかんな(笑)。林房雄さんは田中忠雄さんと同じくある時、あれ?と素直に感じて、「天皇」のスゴさを理解できた、ということでしょうか。

 いやあ、日本の「天皇」、まだまだ深いわあ(笑)。当たり前やけど私ら日本人は、永遠にこの伝統を、大切に守っていきましょうね。

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Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 7

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Nori  

選挙に出馬を

いつも楽しく記事を拝見してます。今回の天皇に関する記事は秀逸でした。是非、オバチャンには選挙に出馬を頂いて、愚かな維新を排除するか、媚中派及び消極財政派の自民党国会議員を駆逐して欲しいです。
青山議員が力を貸してくれるはず(^^)

2020/07/23 (Thu) 06:45

彩希  

左翼から保守に転向された方って天皇陛下の存在を見出して皇室に敬意を払うようになられますね。もうブログをやめてしまわれましたが「依存症の独り言」の坂眞さんが、そうでした。いわゆる団塊の世代でマルクス主義ドップリの過激な学生運動をしていた反体制派だった方が壮絶な葛藤の日々を経てからの保守への転向をされた過程は胸に迫るものがあり、人格に重みがあって、とても惹かれたものです。

皇室破壊を企むサヨクが言ってるのと同じような事を言い皇室を貶めるバッシングをしていながら、しかもそれに同調しない者は保守ではないみたいに怒りをぶつけてバッシング。自分らこそが保守なんだからと言います。まあ勿論、何を信じるのも皆自由ですよ。林房雄さんの本、私も読みます。

2020/07/23 (Thu) 07:36

M  

古事記を偽書だとしていた方々を驚かせた編者の太安万侶の墓が発掘されたとき、ざまぁごらんなさいと思いながら本当に嬉しかったことを思い出しました。二十の時です。歴代天皇は当然実在されると思いますよ。真実を歴史と認識している日本人が記したのですから。

2020/07/23 (Thu) 12:39

ナポレオン・ソロ  

ソロです。
林房雄さんって、何処かで聞いた名前だと思いましたが、確か、「機動戦士ガンダム」を書いたマンガ家が、「神武」という作品を書いたネタ本の作家だったと思います。

その作者の、歴史物は他にもあって、11世紀まで津軽半で栄えて居たが、北海道沖で起きた大地震での大津波で壊滅した、十三湊を根城にした安東水軍の話の「安東」も秀逸ですが、私は、この「神武」を読んで、神武天皇のご実在を信じる様になりました、が始まって、それで具体的に、皇紀を西暦に直すと、元年がBC660年になりますが、直ぐに欠史8代は始まって、紀元前90年位に開化帝が大和にお戻りになられ、十代崇神帝の御代が始まって居ます。 これは、宮内庁の資料にある、推定年代カラ引用していますが、、殆どはわたしの推定(妄想)に過ぎません。

欠史8代は、なぜ生じたのか? 抑々、九州の豪族の一つに過ぎなかったと思われるウガヤ族は、何故に力を着けたのかと言えば、朝鮮半島で新羅族の出自である長江遺民が、山中で、鉄の鉱脈を発見した事に端を発します。

当時、シナでは、周王朝が不安定で、凡そ千年続く春秋・戦国時代が始まった頃です。 当時の戦争で、鉄の武器は、ケタ違い運搬との強らがありますカラ、鉄山を掘りあてた事は、宝の山を掘りあてた様なモノですが、豈謀らん也、新羅族葉、シナでは、お尋ね者の上、重い鉄を運ぶ手段がなかった、そこへ、九州の玄界灘~半島南岸を縄張りにして、シナの群雄と交易をやっていた、海人族が、その役を引き受けて、最終的に鉄貿易をのっとってしまいます。

この利権で、力を着けた上加耶(ウガヤ)族は、船を仕立てて、大陸可らの侵略に備えるべく、国内を固めようと考えて、ウガヤ・フキアエズは、3人の息子に兵士を着けて、送り出しますが、目的は武力制圧では無く、水田耕作の新たな工作方法「=棚田」と製塩法による、豪族の怪獣~連合の締結だった。

それゆえ、瀬戸内海をぬけるのに、16年も懸ったが、その間、一度も戦はしていません。しかし、最後の到達点であり難波潟では、蝦夷続の長脛彦からは侵略者ときめつけられて、2人の兄を失います。 その後、紀州半島を回って伊勢に上がり、太陽を瀬に東からせめて、大和朝廷を立てることに成功

しかし、本拠地九州では、鉄利権をめぐる、肥(クマ)人や豊(トヨ)人t老いっ他、多の海人族との争いが激化して居て、同伴した2人の重臣の裡、大伴氏を大和に遺し、モゥ一人の久米氏と九州に帰ります、是が欠史8代の初めでしょうし、同時に「倭国大乱」の始まです。

要は、半島の鉄資源と言う存在が大和朝廷の原動力であり、大陸の不穏化が、列島製ッろぅの団結を促したものと、私は思います、この話は、この後成立する、仲哀帝の三韓征伐~神功皇后~応神帝の40年遠征、大阪平野の大開墾と続き、天武帝の御代に日本国が成立するまで続く、私が考えた日本国の平定の歴史です。

2020/07/23 (Thu) 14:01

(名前不明)  

天皇なんて別に人知を越える必要は無いです。日本人のための日本という国を創られた創業者のご子孫、それでいいです。だから日本国民のために存在しておられるべきで、奥田愛基の父さんなんかに会ってる場合じゃないですよ。
キリスト教など外来思想に染まりたいなら、昔の天皇が在位中は出家出来なかったのを思い出して、きちんと跡取りに皇祖と国民を守る御勤めを委譲してからにして頂かなくては、国民も無邪気に天皇を信じていられなくなるってものです。
ヒコホホデミの狭野尊が実際どんなお方だったかは存じ上げませんが、大陸諸国に支配されない自律した島国の構想は唱えておられたのでしょう。一向一揆でも上杉謙信でもなんかそういう大義や思想性は勢力を広げるのに役立つし、もっと前の平将門でも都の貴族に支配されない国を目指してる。本人たちがそう言ったかよりも民衆がそう思い込んだことが大事だ。民衆がそういう国を欲しがっていてそれに呼応する大物が居て、日本国が始まったということ、それが尊い。
それに比べたら御自分方がただの金持ちのつもりで外国系貧民に喜捨することがなんとなく薄汚く見えて、...本当は許されないことなんじゃないかと申し上げたくなる今日この頃です。
 日本がアジア諸国民を苦しめただなんて本当は天皇が思っていていいことじゃないんじゃないの?もうGHQは無いんだからそろそろ日本国民のための天皇に戻って下さい。そうでなきゃ天皇の権威なんて保ちませんよ、不思議の力なんて無い、日本の国土領海と国民の力それこそが天神地祇と皇祖皇宗の力なんだし、神秘ぶっている場合じゃ有りませんよ。

2020/07/23 (Thu) 14:54

日本を愛する日本人より一言。  

124代の天皇陵が日本にはあります。

 産経出版の悠久の日本天皇陵という2冊の写真集が出版されています。神武天皇は奈良の柏原に葬られておられます。
 神武天皇から昭和天皇まで全員の陵が日本にはあり、易姓革命で全皇帝の墓をあばきお墓のほとんどないどこかの国とは民族が異なります。
 歴史教科書にしろ日本に巣くった外国人勢力がネットの時代に最後のあがきをしているのではないでしょうか?
 教科書検定員も世の中にさらされていますし、いつまでも我が世の春をおくってはおれませんよ。。。

2020/07/23 (Thu) 15:13

彩希  

To (名前不明)さん

ゝ日本がアジア諸国民を苦しめただなんて本当は天皇が思っていていいことじゃないんじゃないの?

昭和帝は、そのように仰せになったことは、ありません。あなたはタイ国以外のアジア全体が白人国の植民地にされていた事も御存知無いのでしょうか? 筋金入りのパヨクですね。各地で現地民に軍事教練をして戻って来た白人宗主国の軍隊と戦えるようにしたのは日本軍です。

2020/07/23 (Thu) 16:29

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