李登輝さんを見習おう。「中国にははっきりモノを言え」。いつまでも媚中派を飼うてたらあかん。

パンチ小


 李登輝さんが亡くなりましたね。ご冥福をお祈りしたいと思います。97才、つい最近までお元気やったけど、さすがにこの年齢では、ということでしょうか。残念です。せやけどまだまだいっぱい活躍してほしかったのに、と私ら日本人が言うたら、いつまでも甘えなさんな、と叱られそうですね。

 李登輝さんが成し遂げて来はったことは、知れば知るほどスゴいことやなあ、と思います。私ごときが書ける話でもないので、今日(8/1)の産経新聞【産経抄】から引用させてもらいます。
 台湾の李登輝元総統は日本にとって、「日台関係の礎を築いた」(安倍晋三首相)特別な存在だった。それとともに、中国と国内親中派の普段は目立たない策動を可視化する探照灯の役割も果たしていた。李氏が退任後、来日しようとするたびに、彼らが慌てふためき大騒ぎするのである。
 そして平成13(2001)年4月に心臓病の治療で来日しようとした際にも大騒ぎになって、
 このとき、マスコミは珍しく歩調をそろえ、李氏来日を人道的観点から認めるべきだと社説で主張した。親中派の福田康夫官房長官が中国の反発を危惧し、定例記者会見で述べた捨てゼリフが忘れられない。「何かあったら皆さん方新聞のせいですからね」。
 あったなあ、そんなこと。あの福田康夫くんか。そもそも日本は、台湾にとんでもなく失礼なことをして来たんですね。1972年、ニクソン大統領の電撃北京訪問に焦って、田中角栄はすぐに「中国」と国交回復して台湾(中華民国)をポイと捨てたわけですね。

 産経新聞のもう一つの記事は産経新聞の元台北支局長、つまり産経のOBの吉田信行さんの<「李登輝さんと私」中国にははっきりモノを言え>です。この吉田さんは李登輝さんが総統に就任して3年が経った1991年に台北に赴任しはったそうです。当時台湾に特派員を置いていたのは日本の新聞では産経だけやったそうです。

 今でこそ台湾は、選挙で総統を選ぶ民主主義の国ですが、実は李登輝さんが台湾で選挙を初めて実施して、自らが選挙で選ばれた初めての総統になりはったわけですね。もともと京都帝国大学でも学び、アメリカにも留学したこともあり、めっちゃ優秀やったから、蒋介石の息子、蒋経国総統にめっちゃ引き立ててもらえてたわけですね。

 副総統にまで登りつめていたところ、たまたま蒋経国が亡くなったことから、憲法の規定で代理総統になった、と。せやけどそこから李登輝さんの権力闘争が始まってたわけですね。吉田さんは「(自分の)赴任と時を同じくして、李登輝さんの台湾化大作戦が本格化した」と書いてはります。当時はまだまだ李登輝さんの権力基盤は弱かった、と。
行政院長(首相に相当)には軍出身の外省人、郝柏村(かく・はくそん)がデンと構えていて、台湾というより、文字通り“中華民国然”とした時代だった。
 李登輝さんの最大の功績は、こうした中華民国的社会、つまり10%そこそこの外省人が、85%の台湾人を支配するいびつな戦後構造を、弾薬ではなく投票用紙を使ってひっくり返したことだ。
 まず憲法から不都合な条文を外し、同年9月に宋美齢が米国へ移住するや、40年以上にわたって議席を維持し、多数派を形成してきた外省人の万年議員を、多大な勇退慰労金を餌(えさ)に全員引退に追い込んだ。
 こうして翌年末の立法院(国会に相当)選挙では台湾人が初の多数派を占める議会を作り上げ、これによって郝柏村の行政院長再任の野望を防ぎ、辞職に追い込んでいく。国民党の副主席ポストを望んだ郝柏村には、受諾を匂わせながら93年の党大会で副主席を一気に4人に増やして、その1人に過ぎない存在に落とし込んでしまう。この見事な手際を私は、台北で唯一の日本人特派員としてみることができたのだった。
 へえー、ゆったりとした大らかな感じの人やのに、めっちゃ緻密でしかも狡猾(笑)やんか。「中国」人の本質がようわかってはった、ということやな。そしてもう一つ、エピソードを紹介してくれてはります。

 1994年3月、千島湖(せんとうこ)事件が起きました、と。中国浙江省で遊覧船が放火され、台湾人観光客24人が焼死した事件が起こったけれど、「中国」はいつも通り被害者の人権も何もあらへん対応をしてたので、台湾人はみんなめっちゃ怒ってた、と。その時に李登輝さんは何と
「(中国)大陸は文明国家ではない」「土匪(どひ=土着の匪賊)と同じだ」と輪をかけた怒りの談話を発表したのだ。
 台湾への武力侵攻を標榜(ひょうぼう)する中国を相手に、台湾内部でもさすがに懸念の声が高まった。私は唯一の日本人特派員の特権で、総統府で李登輝さんに直接真意を尋ねた。私もあまり刺激しないほうが、と言いかけたのだが、李登輝さんはそれを遮るように「それはダメだ。相手に非のあるときは、はっきりモノを言う。これが中国人には効くのだ」の一点張り。
 そしたら何とこの直後、「中国」は掌を返したように李鵬首相が謝ってきたんやそうです。いやあ、今の日本の二階くんをはじめとする親中、媚中派の人たちに言い聞かせたいですね。忖度したり、ヘコヘコしてても、絶対に話は進まへんのや。田中角栄の頃から数えたらもう、50年やんか。ニクソンやないけれど、やっぱり「中国」はフランケンシュタインになってしもたやんか。

 安倍ちゃん、もう親中派はさっさと切り捨てて、「中国」にははっきりモノを言いましょう!

【文中リンク先URL】
https://special.sankei.com/f/sankeisyo/article/20200801/0001.html
https://special.sankei.com/a/international/article/20200731/0003.html

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彩希  

22才まで日本人だったと語られていた李登輝閣下の事は他のブログでも色々取り上げられていますので、勇敢な日本兵も舌を巻いた、今でも語りぐさとなっている帝国陸軍に所属していた台湾の原住民である高砂族の事を書いた記事を載せて、台湾人の方々の日本に対する貢献と忠誠心の高さに感謝したいと思います。李登輝閣下もお兄様と共に日本軍に所属されていて、お兄様は戦死され、閣下は日本で終戦を迎えられました。閣下は戦前の日本人の事を語られては日本人とはかくあるべきと、敗戦で自信を失った日本人を励まして下さった方です。もう90才も越えられていて、いつかはと思っていましたが、やはり亡くなられたのは悲しいです。あの方が居られなければ日本が去った後に台湾ヘ入って来た国民党軍によって教育され台湾も朝鮮のように反日国になっていたかも知れません。

🔻多くの日本兵を救った精強「台湾高砂族」

話が少し逸れるようだが、ネパールに住んでいる「グルカ」と呼称されている山岳民族について少し話したい。

彼らは標高の高い山間部に住んでいるため、急峻な山岳地帯を自在に動き回り、過酷な自然の中で高い生存能力を兼ね備え、またその性質も勇猛果敢であるなど、戦う兵士として非常に高い資質を持っている。

19世紀以降、彼らグルカ族は、その能力を評価したイギリスの東インド会社によって傭兵として採用され、後に多くがイギリス軍の最前線部隊として採用されることとなった。やがて彼らは世界中の戦場で活躍、第二次世界大戦では、インパール作戦等で日本軍を相当に苦しめた。インパールで、飢えや病気以外で命を落とした日本兵の多くは、このグルカ兵と戦って戦死したものと考えられているようだ。

彼らは今でもイギリス軍に所属しており、フォークランド紛争やイラク、アフガニスタン戦争でも大活躍している。

最近もアフガニスタンで、十数名のタリバン兵らがイギリス軍の基地を奇襲した際、たった一人のグルカ兵がこれに立ち向かい、凄まじい戦闘を経て撃退、勲章を授与されたというニュースがあったし、インドでは2010年、40名の強盗集団が旅客列車を襲撃、乗客らに対する暴行略奪を働いたあげく、その中の18歳の女性を強姦しようとしたが、たまたま乗り合わせていた英グルカ旅団の元伍長が、グルカ族だけが持つ蛮刀「ククリナイフ」を抜いて賊に反撃、3名を殺害し、8名に重傷を負わせてこれを撃退した。

こんなグルカ兵に非常によく似た山岳民族が、台湾にいる。それが台湾の「高砂族」である。ニューギニア戦を語る上で、この「高砂族」を外して語ることは非常に難しい。

彼らは台湾の山岳地域に住んでいる「原住民」であり、グルカ族と同じように独特の蛮刀を腰に差して峻険な山岳地帯を自在に移動し、中国大陸からやって来た人々とは習俗も言葉も違う。

本当はいろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが、戦前の日本では台湾の原住民すべてをまとめて「高砂族」と呼んでいた。この「高砂」という呼称は決して差別語でも何でもなく、オーストラリア人がニュージーランド人を「キーウィー」と呼ぶような感覚だろう。

そんな高砂族は、一方で日本統治時代の教育をどんどんと吸収した結果、自らを「日本人」として認識するようになり、日本に対する信頼や忠誠心は、場合によっては日本兵以上のものがあった。やがて大東亜戦争が始まると、多くの若者が日本軍に採用され、「高砂義勇隊」として過酷なニューギニアのジャングルに送られ、日本軍の物資を運ぶための「担送要員」として活躍し始めた。

高砂義勇隊員らは命令に対して極めて忠実であり、昭和17年に発動されたポートモレスビー攻略作戦では、南海支隊の指揮下にあって早速前線部隊への食糧輸送の任務に就いた。支隊には、ほかに朝鮮人軍属も輸送任務に就いていたが、彼らに輸送を任せると、その途中で、運ぶべき食糧そのものに手をつけてしまい、前線には予定の半分も届かないということが常であったが、高砂族は違った。

ある時など、前線部隊に向けて食糧を輸送していた一人の高砂族の青年が、ジャングルの道ばたで「餓死」しているのが発見されたが、彼は背中に担いでいた大量の食糧にはいっさい手をつけていなかったのである。このことは、「ここまで命令と任務に忠実たち得るのか」と、日本軍将兵らを感嘆せしめたのである。

グルカ兵と同様、彼らは長い間、台湾東部の険しい山岳地域に住んでいたため、身体は極めて頑強であり、原始的な生活を続けていたせいで粗食に耐えることもできた。また、ジャングルにおけるその能力は飛び抜けており、夜目が効き、耳も鼻もよいため、米豪軍の兵士らが接近してくると、その音や臭いによって、夜間でも敵の動きを遠方から察知することができた。また、鳥の鳴き声の微妙な変化によってさえ、敵の接近を感知したという。

彼らはまた、密林における隠密行動も極めて得意であり、連合軍陣地にも悠々と侵入してテントから食料品を奪い、または食べるものなど何もないと思われていたジャングルの中で上手に食糧を探し出し、飢え続けていた日本兵らに真っ先に食べさせたりもした。

例えば、豚などを捕まえれば、自分たちは内蔵を食べ、美味しい肉の部分を日本兵に渡したりするなど、彼らの忠実な精神に感動したという話は多い。
こんな彼らが後方で日本軍将兵を懸命に支援した結果、ニューギニアやブーゲンビルで戦い、生き残った兵士の多くが命を救われたのであるが、このことは、後世に必ず記憶されるべき事実だろう。

やがて、戦況が極度に悪化し、運ぶべき食糧がなくなったせいでボロきれのようになった日本軍将兵が追い詰められた時、見るに見かねた彼ら高砂族は、上官に対して初めて「靴を脱ぐ許可」を要請、いったん裸足となった瞬間から、彼らは「頼れる担送要員」から、信じられないほど強力な「戦闘員」に変身した。

「兵隊さん、銃を貸してください」と言って自ら武器を手に取った高砂兵らは、その後、連合軍に対して積極的に激しい攻撃をかけ、「負傷兵の看護輸送」「食糧調達」のみならず、「狙撃」「奇襲」「偵察」「待ち伏せ」「敵陣地後方への潜入および破壊活動」に至るまで、八面六臂の大活躍をした。

平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第三章  ニューギニアの日本兵 pp. 131-134

2020/08/02 (Sun) 07:15

彩希  

 《かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした」と一方的に教育を受けていることです。「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どっちも大切だ。

 日本はアジアのリーダーだという自信を持たなくてはならない。これからの日本は何より過去に対する否定的な態度を棄てて自信喪失から脱却することが大事です。》

李登輝元台湾総統

2020/08/02 (Sun) 07:34

名無し  

昔こそ日本ほどまともな国は世界のどこにも無かったんとちゃうかしら。
まだ侵略上等、白人以外差別上等、奴隷上等、軍隊による略奪強姦上等の時代に、そら完璧とはちゃうけどそれらに対する抵抗感を最も持っていたのは日本。
だからこそ戦後のメンタル攻撃がよく効き、在日のやりたい放題になってしまってたような。
下々までコンプライアンス至上主義人間が増えるのはまあ結構やねんけどおめでたすぎの観は否めぇへんなあ。爪を研ごうでみなさん。
確か李登輝さんも剣道に造詣深かったし、日本のことを良う言うてくれはって本真に有難い方でした。日本にはこういう日本に自信を持つよう教えて下さるような指導層のお爺さんがあんまりもう残っておられないようで、残念というか李総統に恥ずかしい気がするわ。うちが言うようなことでもないけどな、そう感じる人はけっこう居るんとちゃうかな。

2020/08/02 (Sun) 09:56

(名前不明)  

キモいぜ、妖怪粉喰いばばあwwwwwww
粘着されて迷惑してるんだよ妖怪粉喰いばばあwwwwwww

2020/08/02 (Sun) 11:20

弓取り  

台灣は独立国ですね。

上の基地外くん。ただの悪態が知性と人品の低さを証明しています。反日外国人にありがちな反応が滑稽ですね。

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気を取り直しまして、李登輝氏のご逝去。

ご高齢でしたが、最後まで影響力は大きかったですね。

記事にあるように、東亜にありがちな策謀と裏切りと傲慢残虐な暴力で独裁王朝を打ち立てようとする原始的な野望が渦巻く東アジアの渦中にあって、自由主義独立自尊の台灣の礎をなした孤軍奮闘の偉人です。

そのために、日本の媚中派売国奴たちは無視しようと必死でした。国賓扱いにもしなかった。情けないものです。
中共シナは、その伝統的なケダモノの精神と華夷秩序の発想でしか存在の根拠を示すことができません。時代錯誤な膨張主義の野心を捨てようがないのです。
かの国は、必ず周辺国はもちろん世界中に災禍をもたらします。
 
 李登輝氏は、台灣にあってそれに抗しました。本当に、いつか暗殺されるのではないかと心配していましたので、偉大な功績を残して天寿を全うされたのですから、賛辞を送りお見送りせねばと思います。合掌

2020/08/02 (Sun) 18:14

彩希  

総理も下野していた時は自由に台湾に行かれたようで李登輝閣下の自宅を訪問されていました。お葬式には森元総理が参列されるようで、何か周囲の反対を押し切って閣下の訪日にビザを発行した事があったようです。そう言えば、東日本大震災の時に多額の義援金をして頂いた御礼に桜の苗木を植樹しに台湾に行かれたのも森元総理でした。

香港があんなことになってしまって、台湾が中国の砦となる要衝の地になり太平洋への中国の進出を阻む為にアメリカと日本にとっては地政学的にも重要な位置にいる国として台湾は無くてはならない存在となりました。台湾を民主国家へと導かれていた李登輝閣下の功績に今更ながら感謝したいです。台湾は日本の石油タンカーの通り道、シーレーンに面しているので中国に奪われるわけには行かないのです。

2020/08/02 (Sun) 19:09

sana  

高砂族

もと「高山族」と呼んだようです。
読み方はちょっとおかしいのですが「たかさんぞく」。
それが「たかさご」になり「高砂」の漢字をあてたとか。

2020/08/02 (Sun) 21:33

彩希  

To sanaさん

そうでしたか。陛下への忠誠心も失ってしまった日本人が居る今の日本で、日本の兵隊さん達への忠誠心を思うと胸を打たれます。

2020/08/03 (Mon) 08:52

東夷  

そう言えば…

無き【昭和天皇】が『朕の統治する帝国には【蕃族】は不要である。』との鶴の一声で【平蕃、山蕃】と蔑まれた【現原住民】の呼称が【高砂族】と改められた。そうです。
もしこれが【支那の皇帝の言】だったら…戦慄します…何故なら【即皆殺し】だからですね。
又、臺灣國南部の主要港湾とし【高雄】は、【日本統治以前】には【打狗=ターカウ】と呼ばれていましたが、「狗を打つ」などとは余りにも醜悪だ!という訳で
【打狗→高雄=ターカウ→タカオ】に改名した。との記述が、司馬遼太郎の名著【臺灣紀行】にありましたな。

2020/08/05 (Wed) 09:39

東夷  

応援要請『故李登輝氏に日本最高勲章を!』

青山繁晴さん達【日本の尊厳と国益を護る會】が、「故李登輝民主臺灣國創世総統閣下に日本の最高勲章の叙勲を!」提言をされています。
難波の【赫怒(カクド)】おば様には、是非賛成して拡散をお願いします。

【我国の最高勲章】とは、多分【大勲位菊花大綬章頸飾】の事でしょう。御存知の通り、この勲章は【外国の王族限定】で受勲する勲章で、後は【我国にとって重要な國の元首】と、我国と世界にとって【非常な功績を成した国家指導者】に対する稀に【死後受勲】する勲章です。
王族関係では【英国のエリザベス女王(返礼として天皇陛下はガーター勲章を受けられます。)】、【国家元首】としては【米国大統領】、【死後受勲例】では最近【中曽根康弘元首相】が受勲しました。古くは吉田茂元首相も受勲されています。ただ、それには以下の手順があります。
1,生前に【大勲位菊花大綬章】を受勲する事。
2,死後に初めて【大勲位菊花大綬章《頸飾=首飾り》】を受勲する。
【 李登輝民主臺灣國創世総統閣下】は、十分【受勲】に値すると愚考します。

2020/08/05 (Wed) 10:12

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