岩波書店。中国共産党の言い分をそのまま載せる、悪質なプロパガンダ印刷会社と言うといたるわ。

頷く小


 私はツイッターも利用してるんですが、そちらの方は140字制限ですから、文字通り「つぶやき」です。長い文章を書くときは「連ツイ」と言うて、自分で自分にリプライ(返事)を打つのを連続させると、一連のつながりで見せることができるようですが、私はツイッターは「拡散」のために使うてます。

 自分のツイッターを覗くと、自分にカスタマイズされたツイートがずらっと並ぶわけですが、一昨日(10/2)の夜、珍しく「岩波新書編集部」というアカウントが、もちろん宣伝ですが次のようなツイートをしてるのを発見しました。
なんだか「岩波新書は中国寄りだから~」というリプライがときどき来るのですが、そういう人たちは明日本屋に来てください。「中国」と呼ばれる地域の多元性に焦点を当てた『シリーズ中国の歴史』全5巻、とくに第5巻の『「中国」の形成  現代への展望』で、学問とはどんなものか感じさせてあげますよ。
 なんや、この上から目線の物言いは、と気に食わへんかったんで(笑)私は次のようにリプライ(返事)して、リツイートしました。
岩波文庫『紫禁城の黄昏』で、原書の1〜10章、16章を省いてるのは何故ですか?
エラそうに言うな!
バレてるで、岩波さん。
あ、新書は違うと言いたいんか?
独立したら?ww
 そしたら何と、この私のリプライに、これまでなかったほどの「いいね」と「リツイート」「引用リツイート」が付きました。そこで、実はずいぶん前に書いたんですが(岩波書店と『紫禁城の黄昏』)、もう一度この岩波書店さんをケナす話を書いてみることにします(笑)。

 私が高校の時の歴史の先生が、「今の日本から朝日新聞、NHK、岩波書店が無くなったら、日本はめっちゃ良うなりますよ」としょっちゅう言うてはりました。もう40年以上も前の話ですから、たぶん当時は日教組教育の全盛期やったと思いますね。私ら生徒としてはその先生の、単なる「権威」に対する「おちょくり」ぐらいの意味に捉えていたように思います。

 今から思たらその先生は、左翼教育の欺瞞には気い付いてはったんでしょうね。岩波書店は良質な本を信念を持って売ってる、みたいな高貴なイメージがありました。今は知りませんが、実際に、岩波の本は書店側は「買い切り」で、他の出版社のように、売れへんかったら返品する、ということがでけへんかったそうです。えらい殿様商売やってんな。

 そんな岩波書店、えらい前置きが長うなりましたが、上の私のツイートの『紫禁城の黄昏』の話です。
 1934年3月、英国で『紫禁城の黄昏』(Twilight in the Forbidden City)が出版されました。著者はレジナルド・ジョンストンというイギリス人です。この人は満洲国皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の個人教師をやっていた人で、この本はこのジョンストンさんの目から見た、溥儀の一代記みたいなもんですね。

 清国最後の皇帝~満洲国※初代皇帝~ソ連抑留~最後は北京で死去、という愛新覚羅溥儀って、文字通り波乱万丈の人で、この人を主人公にした映画「ラストエンペラー」が1987年に公開されて大ヒットしました。それにあやかって、ということでしょうが、1989年に岩波書店が、このレジナルド・ジョンストンの『紫禁城の黄昏』の翻訳版を、岩波文庫で出しはったわけですね。

 ところが、です。何と原書は全部で26章あるんですが、岩波文庫ではそのうちの1章から10章と、16章がばっさり削られています。後にこの訳者は「主観的色彩の強い部分を省いた」と言い訳をしてたそうですが、それ、おかしいで。「主観的」かどうかは読者が判断することやんか。

 そしてこのことを指摘したのが、3年前に亡くなりはった渡部昇一さんなんです。この岩波文庫版は、多くの章を省いただけではなくて、明らかな誤訳、意図的な誤訳があることも渡部さんは指摘してはって、ついに2005年、渡部さんは自分で訳出し直して『完訳 紫禁城の黄昏』を、祥伝社から出版しはりました。すごい執念やな。せやけどめっちゃ大事な本、歴史の証言ですからね。

 長くなりますから省きますが、明らかな誤訳、意図的な誤訳というのは、当時の中国共産党が嫌がるような、あるいは触れてほしくない部分が削除されている上に、どう考えてもそれ、反対の意味やろう、というような部分まである、ということです。この本の原書は全体として、満洲事変から満洲国設立に至る過程が、決して日本側の一方的な「侵略」などではないことが、ようわかるものやそうです。(すみません、私はまだ読んでません。)

 どうですか、岩波書店さん。これほど読者を愚弄した話はありませんね。大事な部分は省くわ、肝心な部分は逆の意味に訳出するとか。こんな会社がえらそうな顔して出版社と名乗ってほしくないですね。もはやプロパガンダ印刷屋、中国共産党御用達協賛会社、やんか。

 そして私はその後もここで「岩波書店の犯罪?」を書いています。2年半ほど前に、『広辞苑 第7版』が出版されました。その中の「中華人民共和国」の項目では何と、地図では台湾を中国の省として書いてあったり、「日中共同声明」の項目では「日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と認め、台湾がこれに帰属することを実質的に認め」などと、事実と違う話が書いてあるんやそうです。

 台北駐日経済文化代表処(実質的に台湾の在日大使館に相当する)やその他の台湾の団体がこぞって訂正を求めているのに、という話です。一言で言うと、「中国共産党の言い分をそのまま載せている」ということですね。

 始めに戻って、こんないろんな話を「岩波新書編集部」のツイートを書いた人は知らんのかも知れませんね。お薦めしてはる「第5巻の『「中国」の形成  現代への展望』」にどんなインチキなことが書いてあるんか、あるいは心を入れ替えて正しいことが書いてあるんか、まだ調べてませんが、そんなもん、とても期待できそうにないなあ。

 テレビ、新聞といったマスゴミは日本の癌ですが、こういう悪質な出版社も、ちゃんと注目して見張っとかなあかんな。

【※訂正(10/5)】
コメント欄でご指摘をいただきました。
満「洲」が正しいですね。「州」は略字ではなく、別の字なので、明らかな間違いです。

【文中リンク先URL】
https://twitter.com/logoslabo
https://twitter.com/Iwanami_Shinsho/status/1312026748213555200
https://twitter.com/logoslabo/status/1312216243122839552
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Comments 5

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みかん  

岩波書店には大噴火!!

おばちゃんさま

いつも更新ありがとうございます。
岩波書店の所業を私が知ったのは、渡部昇一先生の『かくて昭和史は甦る』(クレスト社 平成7年初版) の、第4章を読んだ時です。
おばちゃんさまもご存知かもしれませんが、皆さんに知っていただければと思いここに記載いたします。


(P260~264)
……国民政府内部でクーデターが起こったのをきっかけに、彼は紫禁城から追い出されてしまったのである。このとき、彼が逃げ込んだのは北京の日本公使館であった。といっても、日本政府が溥儀を招いたのではない。彼の個人教師を務めていた英国人ジョンストン卿が、「北京なら日本公使館が最も安全だ」と勧めたからである。
このジョンストンはのちに『紫禁城の黄昏』という手記を書いた。これは、この当時の溥儀の姿を知るための、第一級資料と言ってもいい本である(邦訳は、現在では岩波文庫から出されているが、これは意図的な削除が大量になされた悪質な訳書で、原著の意義が損なわれている)。

……ジョンストン卿は自分が教え、かつ愛した溥儀が、自分の民族の発祥たる満州で皇帝になったことを心から喜んでいた。彼は死ぬまで自分の書斎に満州国国旗を掲げていたのである。
また、溥儀を皇帝にしようという清朝系の人たちの運動を、当時、「復辟運動」と言っていた。このような日本で馴染みの少ない表現があったことも、当時の状況を示す一つの証拠となろう。しかし、復辟運動の存在を認めることは、満州国の正統性を認めることである。岩波文庫の『紫禁城の黄昏』では、この運動に関係のあった人名を、ジョンストン卿の序文から勝手に削除している。歴史に対する何たる歪曲であろうか。


※ 歴史学者の宮脇淳子氏によると、満州は本来「満洲」と書くのが正しいそうです。満洲人は水に関係が深い民族で「洲」は水を表しているそう。
だから歴史を隠したい中国は、絶対に「満洲」とは書かず「満州」と書くそうです。
DVDで発売されている当時の満洲国の映像を見ると、確かに「満洲」と書かれています! 靖国神社の図書館がコピーして送ってくれた、当時の地図も「満洲」です。


もう一つ岩波書店に怒っていることがあります。私は広辞苑第5版を持っているのですが、項目に「南京大虐殺」があって、日本軍が捕虜や一般市民を大量虐殺したと書かれているんです。通州事件は取り上げることなく。
(なんやこんなもん捨ててやる!)と
大噴火したのですが、確か6000円もしたので「これは国民党によるプロパガンダで嘘である」と書いた付箋を貼って使っている、びんぼうな私です。。





2020/10/05 (Mon) 11:16

sana  

よかったらロムしてください。ブログヌシさま、長くてすみません。
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満州ではなく満洲です
三月二十八日の産経新聞記事に「夢洲への橋新設せず」とあった。地名は固有名詞ので、八重洲・豊洲・中洲・唐洲等のように当用(常用)漢字の制限を受けない。渡辺さんのナベの字がいくつもあってどれも使用が認められているのと同じだ。だが新聞雑誌はかたくなに満州と書く。新聞の本の広告に満州とあったら見識のない著者だと思って、わたしはその本は買わない。
『正論』四月号にあまりに理不尽な教科書検定の問題で藤岡信勝先生が以下のように書いておられる。P146
——第四に、何とも名づけようのない姑息なやり方が行われたケースである。近現代史に登場する「満州」という地名は、本当は「満洲」と書くべきである。歴史的に深い意味がある。当用漢字に「洲」の文字がないため「州」で代用しているのだが意味が違う。このことは中学生でも知っておくと役立つ知識である。ところが、さりげなく「満洲」と書いても「州」の文字に慣れている子どもは気がつかない可能性がある。そこでコラムに《「満州」はもとは「満洲」(州にさんずい)という狩猟民の故郷だった土地で、万里の長城の北側にあり、中国人がこの土地を支配したことはありません》と書いた。この「州にさんずい」という記述が欠陥箇所とされ「生徒にとって理解し難い表現である」という指摘事由でバッサリと斬られた。なぜ生徒にとって理解しがたい表現なのか、理解し難い表現である。(注:傍線注目。痛快)—— (注:このあたり後述する次回の①②③も参照)たぶん教科書検定官が媚中で「中国人がこの土地を支配したことはありません」という事実の記述が気に入らず、いやがらせをしたのだと推測する。あるいは戦後の漢字制限にケチをつけられたと思ったのかもしれない。器の小さいやつらである。
 高島俊男『お言葉ですが』初巻文藝春秋P207に「もんじゅマンジュ」という項目があり、なぜ「満洲」でなければならないか解説がある。わたしの補足も含め要約する。
もとインドのマンジュシリという仏が支那に入って、漢字で文殊師利もしくは曼珠室利と書かれた。通常は下半分を省略して文殊・曼珠と言っている。日本ではもっぱら文殊を用いるがマンジュシャゲだけは曼珠沙華と書く。満洲も仏さまの曼珠である。戦前の日本人が満洲と呼んだ地域には昔ジュルチン(女直または女真)という民族が住んでいた。仏教を厚く信仰し特にマンジュ菩薩を尊宗した。そこで自分たちの民族名もジュルチンをやめてマンジュとし、のちに漢字を使うようになると満住または満洲の文字をあてた。満洲と書くことに一定したのは清の太宗ホンタイジのときからである。昔から支那の王朝は五行「木、火、土、金、水」のいずれかを王朝のシンボルとする。明は火徳の王朝だったので、明と対抗していたホンタイジは、民族名は満洲、国名は清とサンズイでそろえ水徳の王朝とした。水は火に克つという相克思想。ホンタイジの息子の順治帝のときに明をほろぼした。
満洲とは民族名である。日本は鎌倉以降は支那とほとんどつきあいはなかったから江戸時代の末までその地域を韃靼と言っていた。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という有名な詩を思い出す
西洋人は満洲の地=マンチュリアと呼んでいた。それで日本も明治以後満洲と言い出したのだ。というわけで特に歴史上の名辞である満洲国を、新聞はもとより各種辞典類までが満州国としてあるのは、その見識を疑わざるを得ない。ただしさすがに国史大辞典はすべて満洲とする。
ではなぜそういう誤りが生じたか。
① 戦後、政府が濱は浜、廣は広というふうに略字を制定した際に、洲は州になったと誤解した人がいるから。洲と州は別字だ。八重洲は八重州、洲本は州本となっていない。
② 満洲を徐州・鄭州・杭州などと同系列の地名だと誤解したから。満洲は文殊と同じマンジュという仏さまの名の漢字表記である。
③ 洲の字が当用漢字や常用漢字にないから使ってはいけないという誤解。新潟の潟が常用漢字にないから今後は新型と書けと、いかな横暴な文科省もいっていないように、固有名詞は漢字制限の適用外である。
では、州と洲の字の違いは何か。

以下略

2020/10/05 (Mon) 16:51

sana  

岩波が困ったことをしてくれたということは他にいくつもありますが、ひとつに
白川静を発掘してもちあげたことがあります。
わたしは、中文専攻で院卒ですが、白川静を評価している教授にはひとりも出会ったことがありません。誰しもが、「白川の説は、自分のインスピレーションでこう思った、というだけで何の根拠もない」とおっしゃいます。

ではなぜ、表立ってクレームをつけないのか。
マスゴミにもちあげられている白川に嫉妬している、と誤解されたくないため。
白川は独学でやったということで、学歴のないことをバカにしていると思われたくないため。

有名なところに、東大教授藤堂明保と白川静の『ユリイカ』上の論争がありますが、途中で藤堂教授が「こりゃダメだ」とさじを投げたことが理解できず、白川が勝ったと誤解されているふしがあります。
これについて、
高島俊男『お言葉ですが・・・』別巻③
に詳細な解説がでています。大部ですのでここではご紹介できませんが、以下にあとがきを紹介しておきます。
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 (・・・)うち、『ユリイカ』に書いたものの「両雄倶には立たず」という題は、『ユリイカ』の編集者がつけたものである。ぼくは、白川静氏も藤堂明保氏も別に「雄」とは思わないし、そもそも、現存の人やごく最近の人を「何々の雄」と表現する発想がない。なおこの原稿は、人にえこひいきと思われるのはイヤだから、白川・藤堂両人の言い分を均等に紹介してぼく自信の評価はさしはさまなかったが、率直に言って、白川氏の書いたものは二つともいたって程度の低いものであった。(・・・)

2020/10/05 (Mon) 17:14

(名前不明)  

先ずは義和団事件対応時の皇軍の名誉を取り戻すが火中の栗は拾わない

インド旅行中に中華料理をmanchurianとしてメニューに書かれているのを良くみました。胡椒が強く味が辛い印象を持ちました。
因みにタイでは韓国をgaw_lee(ガオリー((高麗))と呼びます。
旧満洲で支露国境に満洲里という地名が残っていますね。武漢肺炎でシナ人がロシアから追い出されて隔離されたところ。

中華文化を破壊したのは中共。チベット、ウイグルが宗主国と認めていたのは清国。清国が解体したのならチベット、ウイグルは独立すべき。中共は清国の欧米に対する負の遺産は継承しないと宣言したのなら清国の正統な後継国家ではない。

ミョンバク氏が言ったとされる日本文化背ノリから日本を守る為に左翼文化人のレッドパージを進め、先ずは極東の憲兵の地位を取り戻しそれからの事はそれから。相互安全保障は本国領土が攻撃された時とし、中東紛争には関わらない。

What is Manchurian style?
Manchurian, a style of food dishes such as chicken Manchurian, vegetable Manchurian, etc. in Indian Chinese cuisine.~wiki

孫文、袁世凱、蒋介石と万里の長城の北は満洲族の土地であり漢民族の禁足地で他人の土地を餌に日本から独立支援を集り、事後は中華民族の土地を日本に蹂躙されたと宣伝した。ロシアからは日露戦争の戦果として満洲の鉄道沿線の権益を獲たがこれも鉄道テロも誤魔化され日本が侵略したと宣伝された。
日本側の歴史の視点も書けない偏った偽書は要らない。
ネジ曲がった冤罪での贖罪賠償キックバックビジネスモデルはパージされる時が漸く来た。アメリカ、イギリスの極東の盾として機能する為には、スパイ情報の共有化の為には日本国内のレッドパージを進めなければ。踏み絵は旭日旗。

全てのマスメディアが反政府であればそれは多様な意見が国民に届いていない事になる。ニュースワイドショーで番組の途中に少しだけガス抜き保守出して司会者がパヨクプロパガンダでそのニュースを閉める印象操作、発言を切り取って吊るし上げるやり方にも罰則を。

2020/10/05 (Mon) 18:43

sana  

おっしゃるとおりです。
万里の長城の東端の山海関より外側は「化外の地」として、
中華民国以前は「関外」つまり山海関の外の意といい、
中華は自分たちの領土とは考えていませんでした。
山海関の内側が支那だったのです。

2020/10/06 (Tue) 00:45

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