靖国神社が消える日

読みましたよ。
靖国神社が消える日/宮澤佳廣/小学館

靖国神社が消える日 

著者の宮澤さんは國學院大學を出て神社本庁に入り、靖国神社の禰宜まで務めて今年の6月に退職しはったそうです。ということは、もろ内部の人が書いた本、ということになりますね。
前に靖国神社のことを書いたときにも言いましたけど、私が初めて靖国神社にお参りしたのはつい最近やねん。日本人として恥ずかしいことやったわ、ホンマに。

で、そもそも自分の親のせいにするつもりはないけど、私の両親は昭和ひとケタ世代、お母ちゃんなんか、戦争が終わったら小学校の教科書に毎日スミを塗るのが授業やったから、まあいわゆる「戦後民主主義教育」の最初の犠牲者なんかも知れんわ。

それとお父ちゃんは五男、お母ちゃんは八女というまあ昔は子だくさんやったからやけど、ある意味、家とか相続とかには全く無関心、無責任な親やったから、何と私の家にはずっと、仏壇も神棚もなかったんや。そのお母ちゃんが死んで初めてお墓やら仏壇のことを勉強して、お父ちゃんは全く無関心やったから、私ら夫婦で色々と決めたんや。

話それたわ。
で、戦後GHQの「神道指令」で神社は国の保護を受けたらあかん、単なる宗教法人になってしもたことで、実は靖国神社だけやのうて、全国の神社が宗教法人になってしもたんや。ということは、たとえば創価学会が池田大作さんの考え一つで方針が決められるように、神社の最高位の宮司が勝手に誰を合祀するかを決められる、ということやそうです。

で、今騒がれている西郷隆盛の合祀問題。そもそもいわゆる「賊軍」やった人を祀ることはありえない、それをやったら靖国神社が靖国神社でなくなると。

そらそうやな。今回、民進党が事実上解党したのも、何の原則もなくただひたすら選挙に勝つことだけを考えてたからやろ?原則をなくしたら最後は無くなってしまうんや。

宮澤さんの言では「靖国神社は、国家防衛という公務のために死没した246万60007余柱の神霊を祀る国の施設であり、国民が国家の平安を祈るために設けられた施設」ということです。国が作ったのに、戦争で負けてただの一宗教法人となったことがいかにおかしなことか、ということですね。
これは日本人一人一人に突き付けられた問題やね。むずかしいわ。

あと、日本人にはもともと公共心がある、ということで、あの東日本大震災のときに防災無線を放送し続け、自らは落命した町職員の女性のことが出てました。この女性も特攻隊の兵士も「他人のために生きる」「自分が犠牲になることによって、他の誰かが助かるかも知れない」と思ったからこそ尊い命を捧げることができたのだ、という考えですね。

そういう心は日本の風土や神社神道の信仰によって育まれてきたんや、と言います。こうした自己犠牲、共同体意識こそ、アメリカ軍が最も恐れたものやったんやということですね。靖国の公共性がなくなるときに、靖国は靖国でなくなるということです。

今こそ靖国神社の国家護持が必要な時やと思うんやけど、、、まだまだ先は長そうやなあ。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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