この調子やとあと千年はかかるで、憲法改正。「五箇条の御誓文」「十七条憲法」に戻ったらどうや。

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あき
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直ぐに、変わると(憲法破棄!!)思いますよ。
mibu
大日本国憲法
宮崎正弘さんが言ってたことですが、日本の法体系は明治憲法体制のままだから、現憲法を廃止して明治憲法に戻れば混乱なく物事が治まる、ということのようです。
明治国家は犯罪者だったという刷りこみが戦後、特に昭和40年代以降強く働いていて憲法改正を阻んでいます。
DSが敗退すれば日本を抑え込んでいた外国勢力は消えます。
メディアの信用も総崩れですので明治に戻る絶好の機会が訪れようとしています。
(名前不明)
日本は一度決めた法律は余程の事が無いと変えない体質が有ると思います。
明治憲法も不磨の大典扱いで改正出来ませんでした。
イギリスのように不文憲法にした方が改正の手続きが出来ずに現実に対応出来ない状況を回避できると思うのですが。
伊雑宮
結局、メディアの問題
安倍総理がなぜ憲法改正できなかったのかと聞かれたときに、議論が盛り上がらなかったからと言っていました。
結局、そうさせているのは国会議員もそうですがメディアの原因が大きいんです。要するにコロナ騒動と違い、何も盛り上げない、憲法改正の議論もさせないということです。
渡部昇一氏は、現憲法は無効論でした。占領化に作った憲法であり国際法上無効だから、一瞬だけ明治憲法に戻して新しい自主憲法を作ればいいと。
正しい議論をすれば、今の憲法が自分で国を守れない9条や前文含めておかしいことは誰にも分かるんです。私学助成なんか、今の憲法違反のこともやっています。だから、メディアは議論もさせない盛り上げないということです。
メディアがまともであれば、正しい情報を伝え、国民世論を盛り上げ、最初から自主憲法の議論も可能ですが、それをさせないから現憲法を改正という手段を試みる事しかできないのです。
共産党や在日朝鮮人は、9条守れ、軍隊いらないという立場、沖縄などで反基地活動を熱心にやっています。軍隊ってのは、暴力革命を起こしたときに殲滅される恐れがあるもので共産主義者にとっては忌み嫌うものなんです。密航してきた後ろめたい在日にとっても、心地悪いものだということです。敗戦利得者は、日本を弱体化し続ける戦後レジームを守ろうとします。議論させないという点では在日問題も同じです。
左派ユダヤ人(アシュケナージ)が作った社会主義憲法を、一度も改正せず、ここまで来てしまいました。戦後レジームとは、DS支配と同じですが、そこから脱却することで本当の日本が始まるということです。
DSは過去の様々な革命、古くはフランス革命、ロシア革命もそうですが、最近ではカラー革命、ついにはアメリカで共産主義革命を起こしてしまいました。ただ、トランプ大統領の戦いはまだ終わっていません。不思議な旅の始まりは、想像以上のものになる予感がします。
ナポレオン・ソロ
憲法改正論
ソロです。
>>憲法改正論
私は「現憲法破棄~明治憲法への回帰~憲法の改正」が、日本国民として正しいやり方の認識でなければならない、と思います。
何故なら、日本歴代の「五ヶ条の御誓文」にせよ「十七条の憲法」にしても、法典の基礎になるものは、皆、帝側か下し置かれたものだから、神のお告げと同じ扱いで不磨の聖典化してしまったのです。
加えて此れには、幕末に盛んになった国学の延長である国家神道の成分が少なからず影響している上に、天皇陛下の位置についての憲法編纂者が、欧州の多民族混淆者会の憲法の影響を受けて、本来、憲法なら一行で済む帝に対する認識が曖昧で、現実とは必ずしも一致していないと思います。だから統帥権干犯の様な混乱した問題が起こる
抑々、当時の帝に対する認識は、江戸期から明治に移行する際に大きな変化を経験している、即ち、江戸期の権威の頂点だが、それ以外は地方の公家の長に過ぎなかったのです。
そういう背景ですから、欽定憲法にも未解決の瑕疵があるわけで、是は、憲法を買いせ居すると決めた時点で、どの憲法を改正するのかについて、合意して置かねばならないでしょう。
そう言うパラドックスに陥らない為にも、全く新たに、欧米の憲法の影響を排除して、一から創り直した方が早いかもしれません、そして、定数年置きに見直す点を挙げて行く、唯、予め変えないモノも決めておいて、其処に変更の必要が生じれば、国民投票で決をとるという、形にすべきだと思います。
sana
渡部昇一書下ろしニュースレター
★ 茶番をいつまでも引きずるな ★
渡部昇一書下ろしニュースレター 平成22年12月10日
『論語』に「本(もと)立ちて道生ず」という言葉がある。特に昨今は、まったくその通りだなあ、と痛切に思う。戦後の日本は「本」を立てなかったのだ。「本」がグラグラしているから道が生じず、ついには現在のどん詰まりのような状況に至っている、というわけである。
国家の「本」とは何か。憲法である。憲法というと多くは第9条を思い浮かべる。だが、それよりも根本的であり議論しなければならないのは、憲法公布に際しての昭和天皇の勅語であり、憲法の前文である。ここに憲法問題のすべてが凝縮している、と言っていい。
昭和21年11月3日、憲法公布に際して昭和天皇は勅語を出された。
全文を記す。
「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽(ぎょめいぎょじ)」
昭和21年という時点を多少でも知る人ならば、当時は進駐軍の命令によって憲法についての議論は一切、厳しく禁止されていたことを知っている。議論が禁止されていて、国民の総意が形成されるはずがない。誰でもわかる理屈である。新憲法は進駐軍が制定し、公布、施行を強制した以外の何ものでもない。だが、それを昭和天皇は「国民の総意に基いて」と言わなければならなかった。そう言わされたのだ。それはポツダム宣言受諾に、「subject to」という文言がついていたからである。これは「~従う」という意味だが、昭和天皇は進駐軍に隷従せざるを得ないお立場だったのだ。戦争に負ける、というのはこういうことなのである。昭和天皇の悔しさを思うべきである。
また昭和天皇の勅語は、新憲法が大日本帝国憲法の改正、という形をとっていることを教えてくれる。終戦の昭和20年8月15日以後も進駐軍は大日本帝国憲法に基いて統治を行ったのかといえば、まったくそんなことはない。にもかかわらず、帝国議会の議決を経たという形にして、新憲法の正当化を図っている。このことは憲法学者もあまり触れたがらない部分だが、まったくの茶番というほかはない。
東京裁判は判事、検事、弁護人といった法廷の形だけ整え、その実、何の法律にも基かずに、ただただ日本を悪として断罪した茶番劇である。日本は新憲法と東京裁判と、二大茶番劇に縛られて戦後の半世紀以上を過ごしてきたのだ。「本」が立っていないのだ。
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憲法の前文はこの茶番性をさらに際立たせる。この前文は新憲法の趣旨を述べたものだと言われるが、その中ほどに次のようなくだりがある。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの★安全と生存★を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
(傍点渡部)→★
一読、なんだこりゃ、と思わないわけにはいかない。何やら調子がよくて流されそうである。
だが実は、これは護憲派も左翼も正面切ってはあまり触れたがらない、だが、もっとも言いたい部分なのだ。
「これはさんざん悪いことをしてきたやつが、これからは真人間になりますと全面的にひれ伏した詫び証文だ」と言った人がいるが、言い得て妙である。悪かったのは日本だけ。周りの国は平和を愛し、専制や隷従、圧迫や偏狭をなくそうとしているいい人たちばかりだから、その公正と信義を信頼することで、日本国民の安全、それに生存さえも保っていく、というのである。自国の国民の安全、それに生存さえも他国に任せ、預けるなどという憲法がどこの国にあるだろうか。
それに、現実を見るがいい。
周りは強権的に領土拡大を図ったりしない、歴史をねじ曲げ、条約を無視して反感を募らせたりしない、平和を愛する国々ばかりだろうか。そんなことがないのは誰もが知っている。むしろ日本周辺は、専制と隷従、圧迫と偏狭の国ばかり、と言っていい状態である。こうなると、新憲法の詫び証文的な茶番劇性が目立ってくる。これを国家の「本」にしているのだから、道が生ぜず、
グシャグシャになるのは当然である。特に民主党政権は、日本は悪い国、外国はいい国という新憲法の精神にどっぷり染まっている人間が中枢を占めているから、それが際立つことになる。
「本」を立てなければならない。
そのチャンスはサンフランシスコ平和条約の締結だった。国家主権を回復して独立した日本は、新憲法の無効宣言をし、一度大日本帝国憲法に立ち返るべきだったのだ。午前中に無効宣言し、午後から新憲法のいいところは採り入れ、帝国憲法の不都合な部分は改めた憲法でいく。それでこそ日本国民の総意に基づく日本国憲法というものである。それを怠ってしまった。だが、今からでもそれをやらなければならない。迂遠なようでも、混乱も起こるだろうが、それをやらないことには日本の「本」が立たず、日本の道が生じない状態をいつまでも引きずらなければならない。改憲の時はきている。
さんさん
BLMがノーベル平和賞候補とか世も末です
BLMがノーベル平和賞候補とか世も末ですね
この悪党どももサヨクの手で正義に仕立て上げられるんでしょうかネ
その件で黒木さんが
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68845367.html
ジョージ・オーウェル1984の世界に言及してましたが
其れに関連してマーティン・ルーサー・キングにも言及してたので、調べてみましたが、こいつもトンデモない奴で、世間に流布されてる完全無敵の正義像、人物像は偽りだと分かりました
ルーサーキングの、世間に広まってる善なるイメージは、サヨクが作り出した絶対善的虚像ですよ。
キング牧師は友人牧師のレイプ行為を笑い、助言までしていた
https://courrier.jp/news/archives/167999/?utm_source=feature_ctc&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_168890
ノーベル平和賞を受賞すれば、人間的評価は善で決まり、悪評は受け付けない者が誕生するでしょう、ここでも絶対善の誕生です。
この構図は、オバマやアウンサンスーチーにも当てはまる物です
そう考えれば、1984の世界は随分前から既に始まっていたと云えるかも知れません
mibu
To sanaさん
コピーさせてもらいました。
渡部先生は今でも我々の指針を示していてくれますね。
昭和20年、21年のリアルな状況から反省を始める必要があると思います。
明治憲法は維新の精神が凝縮していて西洋世界に付け入らせない目的もありました。
これを廃棄させれば、いかようにも日本を料理できる。
sana
mibu さんへ
ご返信おそれいります。
少し長いと思いましたが、ブログ主さんにあまえてしまいました。
お役にたててなによりです。
現在もう、わたしの手元にはニュースレターは4本しか残っていません。
そのうち1本は上記、
「映画『氷雪の門』をめぐって」は、過去にこちらのブログにUPさせていただきました。
残り2本は、
H22/9/3 「土地は国土 安全保障の土台である」 尖閣・竹島・北方領土について
H22/11/27 「NHKの詐術を警戒せよ」 NHKスペシャルスクープドキュメントについて
です。
ご希望があり、ブログ主さんのご了解があればUPできます。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: mibu さんへ
いつもありがとうございます。
たとえお一人でも喜んでいただけるなら、
どうぞご遠慮なく、コメント欄をご活用ください。
グンマーから一言
真相は幕末の歴史も逆が正解
>明治の日本を作った英傑たちのような立派な人たち
幕末の偉人・小栗上野介を調べていくと、逆の見方になります。幕末の志士たちには、尊王も攘夷も武士道さえもありませんでした。国際法学者で、小栗の義理の甥である蜷川新の著書などを参考に紹介します。
・攘夷のリーダーだった徳川斉昭は、松平春嶽に宛てた手紙で「外国人との交際の道は最良の方策ではない。しかし、今の時勢をどうすることもできない。とても攘夷など行うことはできない。」と書いています。http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/kaisetsusheets/88.pdf
・孝明天皇は、1864年に徳川家茂に「長門宰相(長州藩)の暴臣の如き、その主を愚弄し、故なきに夷船を砲撃し、幕吏暗殺し、私(ひそか)に実美等を本国に誘引せり。如此暴挙の輩、必ず罰せずんばある可からず」と高杉晋作や木戸孝允や伊藤博文らを決して許してはならないと語っています。(『維新前後の政争と小栗上野の死』P186)
・1867年の大政奉還のあとに、西郷隆盛を頭目とする薩摩御用盗は、武士道にあるまじき「乱暴狼藉をさせ、関東及び江戸を騒がせ、・・・組織的の恐るべき強盗が押し入った。」(同上書P196) 西郷は、益満休之助や相楽総三を使って殺人放火掠奪を繰り返し、治安を撹乱したのです。
・鳥羽伏見の戦いで、将軍慶喜は、家臣を見捨てて大阪から江戸に逃げ帰ったのです。翌日から1週間続く江戸城最後の評定では、小栗は新政府軍に徹底抗戦を主張しました。偽の錦の御旗を使い、乱暴狼藉の限りを尽くす新政府軍が許せなかったのです。
勝海舟は、武士道に反する敵に対して背を向ける徹底恭順(慶喜が採用)を主張しました。勘定奉行だった小栗は、解任されて帰農願を出して、群馬の権田村に移住しました。権田村に到着後に西郷の放った暴徒2000人余りが、権田村を襲撃しましたが、小栗は村人100人余りでこれを撃退しています。しかし、東山道軍は高崎藩や安中藩に小栗討伐令を出して、なんの取り調べもなく惨殺したのです。
小栗の業績は、日米修好通商条約の批准書交換で、1860年に遣米使節として派遣されました。そこでの見聞によって、帰国後に日本の近代化の始まりである横須賀造船所を建設し、日本初の株式会社である兵庫商社を作り、日本初の築地ホテルを建て、幕府陸軍にフランス式を導入してフランス軍事顧問団を招きました。小栗を斬首した原保太郎は、明治政府で山口県知事や貴族院議員になりました。
最後に、新政府軍の残虐性を示すエピソードを紹介します。慶喜が7月に駿府に行くとき、禄を奪われ屋敷を追い出された旗本八万騎の多くも移住しました。このときに、生活の糧を失った彼らに炊き出しをしたのが清水の次郎長です。9月には、幕府軍艦の咸臨丸が嵐で遭難して清水港につきました。白旗を掲げている彼らに、新政府軍は容赦なく襲い掛かり全滅させます。彼らの腐乱死体で、漁師が困っていましたが、新政府は彼らを埋葬することを禁じました。ここで、次郎長は処罰覚悟で腐乱した遺体を回収して供養します。彼は、「たとえ知らない人間であっても、そこで仏になってしまえば、賊軍も官軍も関係ない、その土地の人間が供養するのが、人の情けというものだ。」と語っています。
薩長のしたことは、武士道はおろか日本人のする所業ではありませんでした。私は、彼らが英国公使パークス(DS)に操られていたに違いないと考えています。明治維新とは、英国が薩長を使って徳川幕府を倒したことだと思います。200年以上平和を保った日本が、その後に日清日露と大東亜という大戦争をさせられました。
通りすがり
菅さん自衛権発動する度量あるかな?
安倍さんが集団的自衛権と個別的自衛権の憲法解釈改憲で間に合わせたのが実情。
公明党外して維新か国民民主と合わせて3分の2取り直すしかないでしょう。
一応尖閣なら個別的自衛権発動で間に合わせにはなります。