「海道東征」再び

指差し小
 前に「海道東征」について書きました(「海道東征」コンサート)。また、もっと前には「海行かば」についても書きました(「海行かば」第二国歌)。2月2日には大阪で「海道東征」のコンサートがあり、チケットが手に入ったのでめっちゃ楽しみです。それで、買うたCDを時々聞いてるんやけど、添付のブックレットてゆうんかな?に書いてある歌詞がめっちゃ小そうて読みにくいねん。それでネットで歌詞がどこかにあらへんかなあと思うて探してたら、けっこう落ち込んだ話を書きます。

 そうやねん、ネットではそれほど話題にはなってへんねん。もともと新保祐司(しんぽゆうじ)さんがだいぶ前からこの曲(と詞)について注目してはって、本まで出しはって、それで産経新聞も盛り上げて、それであちこちで演奏されるようになってきたみたいです。また、少し前に新保さんが産経新聞で、再来年の新天皇即位のときにはぜひ「海道東征」が演奏されることを期待するという文章を書いてはりました。私もこの曲はぜったい復活させるべきや!と思いました。ところが、、、、。

 今回、ネットでいろいろ調べてると、そもそも「海道東征」でのヒットがめっちゃ少ないです。で、何気にいろんな人のブログを読んでみたら、、、。

 30代ぐらいの人、「天皇賛美でドン引きした」とか、「演奏会の最後に海行かばを強制的に歌わされたから席を立って出てきた」とか「皇国史観まる出し」とか、、、。

 まだまだあります。
 「『海ゆかば』は政府の『国民精神総動員運動』に合わせて日本放送協会の主導で作られた、純然たるプロパガンダ音楽」「歌詞は、『海でも山でも、天皇のお傍で死ぬ覚悟だ。たとえ打ち捨てられた屍となっても構わない』という意味です。こんな内容だから、戦時中に大政翼賛会によって合唱が推奨されたわけです。」「どうしてこんなに残念な言説しかこの曲には集まってこないんだろう。国を愛する気持ちというのは、過ちを反省しないということなのかしら。」

 いやあ、アタマ痛いですけど、「日本は侵略戦争を仕掛けた悪い国」という洗脳がまったく解けてはらへん残念な人たちやなあ。せやけど、こんな人たちがまだまだたくさんおるということは、この曲が再来年に国が正式に演奏するということは難しいんやろなあ。

 日本という国の成り立ちを「古事記」「日本書紀」に基づいて、古い日本語や雅楽をも取り入れた壮大な曲、詞で歌いあげたこんなええ曲を、なんで素直に受け入れられへんのかなあ、ととても残念な気持ちになります。

 音楽のことは詳しくないですが、「ワーグナーがヒトラーに利用されたのと同じ」やとか、ホンマ皮相的な見方しかせえへん人が多いなあと思います。まあ色んな考えを持った人が世の中にはおってもええけど、日本人、日本を取り戻しましょうよ、と言いたいです。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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