デキの悪い学生のコピペレポートみたいなもんや、日本国憲法。せめて自衛隊だけでも書き込もう。


私は子供の頃は、それなりの優等生やったので(笑)、たとえば学校で習うた「日本国憲法の3つの柱」は、今でもスラスラ言えますよ。「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」。今では「ふうん」、ですけどね。そもそも大日本帝国憲法には「主権」なんて言葉はどこにもあらへんのです。
戦後、学会、教育界でも優秀な人たちは公職追放されて、アタマの悪い人たちが残ってしもて、どうにも戦前と戦後の憲法のつながりが説明でけへんから、日本では革命が起こったことにして、天皇主権から国民主権に変わったんや、と説明しようとしたわけですね。アホらし。国体は護持されたし、革命なんか、どこにも起こってへんがな。
東大憲法学の宮澤俊義が言うた「八月革命説」ですね。今もなお、司法試験ではこの説が正当なものとして、試験に出されるんやとか。知らんけど。そりゃあ、けったいな裁判官がいっぱい出て来るわけや。あ、話それた。
本来は、どうにもこうにも説明のつかへん、このけったいな日本国憲法を、私ら日本国民は結局、75年間も使うて来たわけですね。そりゃあ反省せなあかんな。3年ちょっと前に、杉原誠四郎さんと波多野澄雄さんが『吉田茂という反省―憲法改正をしても、吉田茂の反省がなければ何も変わらない』を出しはって、さらに去年から今年にかけて、『吉田茂という病』『続・吉田茂という病』を出してはります。
まだ読めてないんですが、まさにタイトルの通りですね。国家観も何もなかった薄っぺらな吉田茂を宰相に頂いていたことを、今こそ私ら日本国民は反省せなあかんわけです。現日本国憲法は、曲がりなりにも日本が占領から「独立」したことになってる昭和27(1952)年に、さっさと捨てなあかんかったんや、と。
今さらと言えば今さら、ですね。そして昨日(4/4)、産経新聞の一面にこんな記事が出ました(主権回復 第2部 サンフランシスコ講和条約70年(2) 憲法前文 国柄なく難解 諸文書切り貼り GHQのお仕着せ)。おおー、さすが産経、気合入ってるやんか。私が取ってる大阪本社版では、「切り貼りされた憲法前文」とありました。
そうなんです。日本国憲法の前文は醜悪ですね。デキの悪い学生の、コピペレポートみたいなもんです。そして産経は図版にしてくれてました。

アメリカ合衆国憲法/テヘラン宣言/大西洋憲章/米国独立宣言の、それぞれの文言とそっくりやというわけです。そりゃあ一週間で作ったからしゃあないか、とも言えますが、それを75年間持ち続けてる私ら日本人もアホか?と言いたくもなりますね。
せやけど今、ようやく機運が高まって来たかに見える憲法改正は、安倍ちゃんのリードもあって、主に自衛隊を書き込むことに焦点が当たってるように思います。少なくとも「憲法前文」を今、どう変えるかなんて話は、とてもやないけど盛り上がりそうもないですね。
実はもしかしたら私ら日本国民にとっては、書かれた憲法って、別にどうでもええことやったんやろか、とついニヒルな気分になりますね。みんなであれこれ案を出し合って、調整して作る、という類のものではないように思います。
そもそも大日本帝国憲法は、形としては天皇が皇祖皇宗に祈るという、「祝詞」の形式を借りているわけで、日本の国柄をきちんと踏まえたものやったわけです。Wikipediaですら「天皇が自身(および国民)の祖先神に祈るという形式の告文が、国家の最高法典である憲法の一部分を構成するという、世界的にもまれな構成の文書」と書いていますね。
日本という国がどうやってできて来たんかを全くわかってへん、アホなサヨクの学者なんかを入れた「有識者会議」で作るなんてことは、絶対にせんとってほしいですね。そんなことより、自衛隊を書き込むだけでけっこう、と。
そしてもっと言えば、今目の前で、核で恫喝する国がホンマにおるわけやから、憲法も何も関係あらへん、国民の命を守るためにはたとえ憲法を無視してでも、何でもやれ、と私ら日本国民が全員で声を上げることの方が大事ですね。
【文中リンク先URL】
https://www.sankei.com/article/20220404-WUA7J5K5DNIXVETDHYQZACSAKM/

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