明治維新、勝てば官軍

走る小
 昨日、「犬HK」て書いたけど、実は私はNHKの大河ドラマはまあ好きな方で、毎週見てるねん。前に「平清盛」をやった時に、天皇のことを「王」と呼んでたんには憤慨したけど、まあそこらへんは割り引いて見るしかないけどね(笑)。

 で、今年の「西郷(せご)どん」一応見てます。今も昔も西郷隆盛は人気あるんやね。私がいろいろ勉強するまでは時代劇はあんまり興味なかってんけど、明治維新は興味津々ですね。で、何が言いたいかというと、日本人て、判官びいきやと言いますね。もともと源義経に対して日本人が抱く気持ちのことで、立場の弱い人に同情したり、哀惜の念を持つことやと。昔の私はそういう曖昧な情念は嫌いやってんけど、最近はこれが日本人らしさ、日本人の知恵なんとちゃうかと思うようになりました。

 前に書いた「『新説・明治維新』西鋭夫」で、西さんは戊辰戦争の時の「官軍」はもう武士ではないと言わはります。気になったのでネットを見てたら、前から気になってたブログ「しばやんの日々」で見つけました。この中の記事「大政奉還したあとの旧幕府勢力に薩長が内乱を仕掛けた理由」に書いてはります。幕末、明治に起こったことを並べるだけでもあれ?と思います。

 1866(慶応2) 薩長同盟
 1867(慶応3) 討幕の密勅(偽)→大政奉還→王政復古の大号令→辞官納地→鳥羽伏見の戦い(→戊辰戦争)→江戸無血開城

 この中でクサいのは、鳥羽伏見の戦いです。徳川慶喜は軽武装で京都に向かう途中で大阪におったんやけど、薩長側がやたら挑発してきて危ないというので江戸に戻った、というわけですね。上のブログでは「当時の記録を読むと、慶喜に上京を命じておいて京に向かう警護の行列に新政府軍が一方的に発砲したのが真相であり、この時旧幕府軍には戦う意思はなかったようなのだ。」と書いてはります。

 退却した慶喜、つまり幕府軍に対して「官軍」は「錦の御旗」を掲げて追討した、と。新政府での主導権を早くから握るためにこういうあざといことをしたんやけど、結果的にはその後の新政府で薩長が圧倒的な地位を占めた、ということですね。

 西さんはこの後の戊辰戦争で官軍が「賊軍」の死体を放置して進軍するのはもう武士のやり方ではない、と書いてはりました。明治維新を必要以上に美化したらあかん、現実はドロドロしてるんやということやね。

 それでタイトルの言葉、「勝てば官軍(負ければ賊軍)」です。明治維新が始まる頃にすでにこう言われてたということで、当時の人たちが「官軍」にもいかがわしい部分があると知っていたということやね。一方的に正しいということはなくて、物事はいつも疑いを持ってしっかり見なあかん、という日本人の知恵なんとちゃうかと思いました。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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