徳川家光の「浪費」=「公共投資」
2018年02月24日 公開

昨日の『経済で読み解く明治維新』上念司、の続きです。
徳川家は将軍家とはいえ全国3000万石のうちの400万石で、幕府はいわば300余の大名の連合政権みたいなもんやと。しかも幕府には徴税権が無いから、実はもともと構造的に「財政難」になる宿命にあったようです。
徳川幕府は最初に全国の金山、銀山を押さえたと。「黄金の国ジパング」というのは決して誇張ではなかったそうです。この利権をもとに徳川260年の栄華の初頭、三代将軍家光の時代は、今でいう「バラマキ政策」をしました。「東照宮の建設、江戸の都市建設、京都の諸公卿を押さえるための上洛や賄賂など、文字通り『金に糸目をつけず』気前よくお金を使いました」と。
歴史教科書では、浪費のマイナス面が強調されてるらしいんですが、実はこの「浪費」は「公共投資」そのものやったということです。実はこの時代には「新田開発」もさかんで、収穫量もすごい伸びたそうです。いわゆる経済規模が拡大した、と。そうすると、実は大量の貨幣が必要になるんですが、それをこの家光の「浪費」によって、日本全国に金銀の貨幣が行き渡るようになったと。
そうすると今のアベノミクスによる大規模な金融緩和と同じ効果があったんやということです。あ、私の感覚では、今の方がよっぽどケチ臭いと思うけどな。家光みたいに、「太っ腹~」と言われるぐらいにお金を出さんとデフレは脱却でけへんで。
で、この金や銀が産出されてる間は良かってんけど、とうとう掘り尽くしてしもてからが大変やったんや。家光は500万両を使い切って亡くなった。そして4代将軍家綱は600万両を相続したと。金銀はどんどん枯渇するわけやから、江戸幕府はこの600万両を使い切ったら終わりや、ということで幕臣は焦っていた。それでこの後しょっちゅう出てくる「○○の改革」ではいつも「質素倹約」が強調されたんやと。それでもたとえば「明暦の大火」が起こったときには江戸中が焼けてしもたから城下町の再建にお金がかかり、結局江戸城は再建されへんかったそうです。
それでもお金はどんどん減っていく、と。もういよいよあかんということで考えたんが貨幣の改鋳、つまり大判小判の中の金銀の含有量を減らす、と。私らの感覚では、改鋳というのは悪いことのように思うけれど、綱吉の時代の「勘定吟味役」やった荻原重秀がやったこの改鋳で、幕府は500万両相当の「通貨発行益」を得た、と。これは今でいうと、インフレ政策そのものやということです。徴税権は持ってへんけど、通貨発行権は持っていたからこういうことができた。
ただ、その後に出てきた6代将軍家宣の側用人の新井白石は、教科書では賢いええ人やったように記憶してますが、この人が今でいう「緊縮財政」をやったために、まーたまたおかしなことになったそうです。実はここにはお金の本質がすごい出てるんやけど、それはまた次にでも、、、。
いやあ、今も昔も、おんなじことを繰り返してるんやなあ、と思いましたわ。