「南京虐殺」はただのウソという証拠
2018年02月27日 公開

水間政憲さんの『完結「南京事件」』の話の続きです。
中共は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に「南京大虐殺文書」をずいぶん前から申請していて、それがついに登録されてしもうたことが一昨年、報じられましたね。ところがその「文書」というのはいまだに公開されておらず、今見れるのは資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録、ということやそうです。何や、このええかげんさは!ですね。
実はこの目録に書いてある項目だけでも、昨日の記事に書いた写真のように、もう何度もインチキが明らかになって否定されてきたものを再び使っている可能性が高いんです。だから公開でけへんわけですね。あと、ついでに書いとくと、南京にある「南京大虐殺記念館」は当然インチキの展示がされているのですが、そこは撮影禁止やそうです。しかも、オープン当初、デカデカと展示してた写真がまたまた昨日の記事のように別の場所で撮られた関係のない写真であることが確認されてるものやったから、それは今は差し替えられてるらしいです。まあ単なるプロパガンダ用展示やから、何から何までインチキですけどね。
で、この『完結「南京事件」』に戻ります。
昭和12(1937)年12月13日、日本軍は南京城を攻略しました。当然、激しい戦闘があったから兵士はたくさん死んでいます。なるべく早く埋葬しなければ、衛生上も問題があります。そこで戦後発足していた南京市の政府がきちんと日当を出して、民間慈善団体に処理を委託しました。その団体名は「紅卍字会」という慈善団体で、何か月もかかって埋葬しました。
そしてその報告書が東京裁判にも「紅卍字会:埋葬死体数統計表」として証拠として提出されています。そこには、何月何日、どこに何体を埋葬したか、が詳細に記録されています。そしてその「統計表」をもとに昭和13(1938)年4月16日付の大阪朝日新聞・北支版に記事が出ます。「戦いのあとにまず南京で整理しなければならないものは敵の遺棄死体であった。」と。大変な作業だったという記事です。そしてその中に「最近までに城内で1793体、城外で30311体を片づけた」とあります。この「城内1793体」は上記の「紅卍字会:埋葬死体数統計表」の数字とぴたり一致します。ちなみに女性の死体数は少なく、城内で8体、城外で32体でした。
東京裁判では日本を、「南京虐殺」でも裁こうと考えていたようですが、これでは「虐殺」の証拠にならないということで、結局「虐殺」では裁くことができなかったのですね。1980年代にまた「南京虐殺」が言われだした時も、この証拠を何とか覆そうと中共側や本多勝一が姑息な改竄をしましたが、調べれば調べるほど、他にも「虐殺」なんかあり得ない話が次々と出てきてしまいましたということです。
もう日本人はハッキリ認識した方がええと思います。「南京大虐殺」はただのプロパガンダです、と。