三浦瑠麗さんという国際政治学者

頷く小
 たまたま見かけたので書きます。三浦瑠麗さんという国際政治学者。最近けっこうテレビとかにも出てて、露出してはります。めっちゃ美人やし、東大を出てて、もう結婚してて娘さんもいてはるそうです。ええ~、天は二物も三物も与えてるやんか、不公平やなあ(笑)。まあそれは置いといて。

 この前テレビで、日本には北朝鮮のスリーパーセルがたくさん潜んでる、みたいなことをゆうて大騒ぎになってましたね。あ、私はセルと言うのは細胞、つまり共産主義の運動の用語やと言うのは知ってたけど、スリーパーセルは知りませんでした。でもこのスリーパーセルがいっぱいおるというのは、ほとんどホンマの話やん、とは思いましたけどね。炎上するのを見越してゆうてたとしたら、それはそれで大したもんやけどね。でもこの人、サヨク、リベラルではないけれども右でもない、みたいなスタンスのようです。

 で、ちょっと気になってたんやけど今日、記事を見かけました。WEBRONZA(ウェブ論座)という朝日新聞のインターネット有料記事です。お金は払うてへんから途中までしか読まれへんねんけど、憲法について書いてはりました。その無料公開部分だけでも、あー、これは絶対違う、と思うた部分がありました。

 タイトルは「奇妙な日本人の憲法観~道徳律と憲法を混同。生き方の問題になった9条。憲法改正で何が語られるべきか」です。冒頭の三段落目からこう書いてはります。

<憲法が権力を縛るためのものであることは当たり前のことです。日本国憲法ではまず、天皇という戦前には圧倒的に強力であった存在を、儀礼的な国の象徴とすることで、天皇が権力となる道をふさいでいます。>

 いやあ、「戦前には圧倒的に強力であった存在」て、何か中途半端な書き方やなあ。でもせやから逆に突っ込まれても逃げられるような書き方なんやと思います。「圧倒的に強力」て、何となくサヨク的な人からは「天皇の戦争責任を問う」みたいな人にはウケるやろうと思いますね。そして現憲法を、「天皇が権力となる道をふさいでいます」と評価しています。

 違います。「圧倒的に強力であった存在」とゆうても、たとえば先の大戦で、天皇が自己の権力をもって戦争を主導した事実はありません。むしろ、戦争が始まるときも、終わるときも、何とか和平が成らないものかとずっと願うてはりました。今とまったく同じです。政治については臣つまりは官僚に全てを任せ、その決定に従って詔(みことのり)を出してはったわけです。

 でもたしかに先の大戦では、臣つまり官僚が進退窮まってしもて、ついに決定でけへんかった時に、やっと求められて開戦を決断し、同じく終戦の時も、どうにも決定でけへんかった事態になってから、求められて降伏を決断してはります。最後の最後に必要に迫られた時に決断しはる存在、というわけですね。

 後半の部分、「天皇が権力となる道をふさいでいます」も笑止千万ですね。「天皇が権力」となったのは、後醍醐天皇の建武の新政のとき以来ありませんね。さらに今の天皇を「儀礼的な国の象徴」に過ぎひんというのも、貶めてるようにしか聞こえませんね。というか、二千数百年の「日本」の国の歴史をしっかり勉強してほしいですね。

 天皇にとっては国民は「おおみたから」つまり宝やねんで。せやから天皇陛下はふだんは色んな祭祀でひたすら国の安泰と国民の安寧を祈り続け、災害があったらすぐに駆け付けて、国民を慰めに来てくれはるわけやんか。それを「儀礼的」というんか?いやあ、薄っぺらいなあ。日本という国は、すべての国民が、ご先祖をたどるとみんなが天皇家につながる家族みたいなもんやねん。それはたとえ途中で外国から来た、今でいう「移民」であってもそうやねんで。めっちゃ懐が深いんや。

 まあでもこの三浦瑠璃さん、話し方も穏やかやし、変に専門用語を振りかざしたりせえへんし、変に媚びることもしやへんから、ちゃんと勉強しはったらええんとちゃうかなあ、と、ちょっぴりだけ期待してます。発信力のある人やから、あっち側に行かんとってほしいなあ。あ、もう行ってしもてるんかなあ。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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