「日中15年戦争」、「三光作戦」
2018年03月12日 公開
前にも書きましたけど、私がこのブログを始めようと思うたきっかけは、自分がウソを教えられてたことを知って怒りを覚えたことです。高校時代の社会科の先生が熱心な人で、私も文科系で歴史が好きやったから、一生懸命授業を聞きましたわ。教科書にない副教材を自分で毎回作ってはって、そらあ真面目やったで。教科書にはこう書いてありますけど、実はね、なんて高校生が言われたら、へえ~、てなるやんか、その当時やったら。で、その中にウソがあったというわけです。
「日中15年戦争」。昭和6(1931)年の満州事変から昭和20(1945)年の終戦の時までの15年間の、日本とチャイナとの間の戦争を言うそうです。まあ突っ込みどころ満載やねんけど、まず「戦争」の定義からしておかしいですね。大東亜戦争は宣戦布告して始まったものやから「戦争」、満州事変はあくまで「事変」です。
また、本格的な戦闘は昭和12(1937)年の盧溝橋事件に始まる上海事変のときに起こっていますが、それでもこの15年間のほとんどの間は大陸は、割とのんびりしてて、「ずっと戦争中」などという認識は、当時でもなかったんや。少なくとも満州事変は塘沽協定(とうこきょうてい)で終結してるし、盧溝橋事件にしてもその後の第二次上海事変にしても、その都度収拾しようとして協定を結ぶけども、チャイナがあちこちで今で言うゲリラみたいなことをしてきてた、ということなんや。
チャイナは日本軍が15年間ずっと暴虐の限りを尽くした、ということにしたいから、そういう言い方をしてるわけやね。ちょうど私の高校時代の先生が教えてたんは昭和40年代の後半、ちょうど反日が出てきた頃やんね。
それと、前にも書いた「三光作戦」。「焼光」「殺光」「略光」。焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす、と。でも私は当時もけっこう本は読んでたから、先生から「光」は「○○しつくす」という意味なんです、と教えられたときは、すごく違和感を感じたものでした。いやあ、私らが使う日本語やったらそんな意味には使えへんけどなあ、と。
何のことはない、それはもとはと言えばチャイナ軍がいっつもやる作戦のしかたの名前やったんですね。まあウソ話を作るのもヘタクソですね。でもそれを得々として教えてたその先生が許せません。と言いながらその先生、もう10年ちょっと前に亡くなりはってんけどね。
本人は共産党シンパやと自分でゆうてはったし、真面目やってんけど、自分ではそういうウソ歴史もホンマやと信じてはったんやと思いたいですけどね。