産経新聞「40年目の検証 私の拉致取材」次回は故・土井たか子?
2018年03月24日 公開

今、産経新聞で、「40年目の検証 私の拉致取材」というタイトルで元産経新聞社会部記者の阿部雅美さんが連載してはりますね。あ、この人は男性で、産経新聞の常務まで務めた人です。連載は今日で66回目、もうすぐ出てくると思いますけど、故・土井たか子のことについて書きます。
前にも書きましたけど(おたかさん)私らの年代の人は土井たか子といえば「おたかさん」「マドンナブーム」「山が動いた」で有名ですね。社会党大躍進のきかっけをつくり、党首にもなり、衆議院議長にまで上り詰めました。
もともと日本人て判官びいきやから、強すぎる相手に抵抗する人に同情する傾向がありますよね。せやから私も、自民党はいつも強いから何とか社会党には頑張ってほしいという期待を持ってました。当時は高度経済成長の終りの頃やったけど、基本的には将来は良くなるんやという漠然とした期待の持てる、ええ時代やったんかも知れませんね。
昭和63(1988)年8月、長いこと消息不明やった石岡亨さんという人から、いきなり家族宛てに手紙が、何とポーランドから届いた、と。で、手紙には、同じくずっと消息不明やった松木薫さん、有本恵子さんと一緒に平壌に元気で暮らしています、と書いてあったと。どうも石岡さんと有本さんは結婚してて子供までいるような写真も添えてあったそうです。もちろん北朝鮮とは国交もないし、手紙なんか出されへんから、やっとの思いで誰かに手紙を託して、それがポーランドから届いた、ということです。
驚いた有本さんのご両親は、日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党の土井たか子氏に相談したと。ところが何の返事もなく14年が経ち、平成14(2002)年に小泉首相が北朝鮮に行くことになって、ついに金正日が拉致を認めたと。そこで日本政府は拉致の疑いのある人たちの消息を北朝鮮側に確認したところ、この有本恵子さんは死亡したと伝えてきた。その死亡したとされる日は14年前のこの手紙の到着の2ヵ月後の日付になっていたそうです。
これらのことから、実は土井たか子氏は、その手紙のことを、朝鮮総連に通報してたんとちゃうか、と言われています。つまり北朝鮮は、この3人を証拠隠滅のために殺害したんとちゃうかということです。怖い話やねえ。もちろんまだ真偽はわからんから、今は政府も拉致被害者の会も、3人の生存を前提に活動してはるそうです。
こういう、日本人を売るような人物、もしかしたらスパイやったかも知れんような人間が、日本の国会の議長にまでなってたということに、私らは大いに反省せなあかんのとちゃうかと思うわけです。それをずっと持ち上げ続けたマスコミは、実はあちら側やった、いた、今もあちら側や、とはっきり認識せなあかんね。