「満洲国は日本の傀儡国家やった」、それがどないしたん?(笑)
2018年06月01日 公開

今、世界は大きく変わろうとしている、と書くと大げさに思われるでしょうか。まあええわ。今日もまた『学校では教えられない歴史講義 満洲事変』倉山満 から書くことにします。今につながること、そして倉山さんが、人類が不幸になっていく始まり、と言うてはるからです。序章に次のように書かれています。
<出先で勝手に事件を起こし、軍事行動を開始した関東軍を、世論は支持しました。・・・略・・・景気はデフレで最悪。政治家は景気対策そっちのけでスキャンダル探しと足の引っ張り合い。日本人が拉致されているのに外務省が「日中友好」を掲げて「相手が困るから」と抗議ひとつせず。軍人は、そんな政治家に媚び、他の官庁に人当たりのいい人物だけが出世できるお役所仕事の巣窟。>
え?今の日本のことかいな?と思うくらい、そっくりですね。また序章では、戦後の日本の歴史学会や国際政治学会では「コミンテルン」の名前を出すこと自体がタブーで、出したが最後、学界から追放される、と書いてはります。左翼一辺倒の歴史学者はもうガラパゴスみたいなもんですね。でも一方で、コミンテルン万能論にも要注意、ということです。<コミンテルンの陰謀が無い訳はないのですが、コミンテルンが陰謀により世界のすべてを操ることもありえないのです。>
で、話は戻ってこの満洲事変の後、1932年3月に清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を元首として、満洲国が建てられました。のち、溥儀は皇帝を名乗りたいと言ったので、1934年からは満洲帝国となりました。そこで倉山さんは書いてはります。
<よく、「満洲国は日本の傀儡国家だ」と批判する人がいますが、だからどうしたのでしょう。バングラデシュはインドの、ベルギーだってイギリスの傀儡国家として建国されました。それらを全部否定してから、大日本帝国を批判してほしいものです。>
そして日本が奈落の底に落ちていく始まりです。1932年12月8日、松岡洋右は練りに練った原稿をメモも見ずに一時間半も国際連盟の総会で英語で演説をしました。「人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架にかけた。・・・日本はまさに十字架にかけられんとしているのだ」というその演説は「十字架上の日本」演説と呼ばれ、日本でも大好評だった、と。そしてイギリスが日本に擦り寄ろうともしてきていました。形の上では満洲国は認めへんけど、委任統治領みたいに、実質的にやったらええやんか、という方向もあったんです。
ところが満洲帝国皇帝の溥儀が「熱河省」が欲しいと言い、関東軍はそれに応えて山海関事件をきっかけとして熱河省を占領してしまいます。当時の内田康哉外務大臣も、首相の斉藤実もこれに反対せず、世論は熱狂的に支持しました。とにかく日本軍は強かったんです。そしてついに日本は国際連盟を脱退してしまったのでした。その後は、全世界を敵に回して戦うことになってしもたんです。日本国民は大いに反省せなあかんと思います。でも今、日本は安倍ちゃんのおかげで、北朝鮮問題では世界のキープレーヤーになっていますね。