今こそ読もう昭和天皇の「開戦の詔勅」。世界は腹黒い。
2018年08月14日 公開

時節柄(笑)また戦争の話を。
私らは昔は、日本は侵略戦争をしかけた悪い国、と教えられてきたけど、今ではもう、昨日書いたハル・ノートにしても、歴史的事実が示すように、日本はやむなく戦争に追い込まれてしもたんやということは間違いないですね。で、そこにもう一つ、日本国民やったら知ってなあかん話がこの「開戦の詔勅」やと最近知りました。
天皇は実は大日本帝国憲法下でも、好き勝手に「詔勅」なんて出せるわけやなかったんですね。それこそ明治大帝の五か条のご誓文よろしく、「万機公論に決」してから始めて詔を出してもらうわけですね。まあサヨクは認めたがれへんやろうけど、事実はそうですから。つまり天皇の恣意によって政治がおこなわれることは、今も昔もない、ということですね。
そういえば「天皇の戦争責任」という言葉が出て来たのは、私が中学生の頃やったと思います。当時でもやっぱり天皇に批判的な話をするのははばかられる雰囲気があったもんやから、例えば学問として、「戦争責任」について話すことが、いかにもタブーを破って真実を究明する、みたいなカッコ良さみたいなもんを感じてたのはたしかやと思います。
あ、今の私の考えでは、「責任」なんて安っぽい言葉で言わんとってほしいな、ということですね。昭和天皇はマッカーサーが日本に上陸して約一か月後、単身(通訳を連れて)GHQに赴き、マッカーサーに「自分の命はどうなってもいい、あなたに預けるから、とにかく日本国民を飢えさせないでくれ」と言うてくれはったそうです。ほら、ちゃんと責任取ってはるやんか。日本人にとって天皇とは私ら国民のことを「おおみたから」と呼んでいつも平安を祈ってくれてはるご存在なわけで、そんなお方に対して「責任」などという軽い言葉で断罪するようなことは、そもそも考えられもせえへんことやと思います。まあ、責任があったんや!と言いたいねんやったら勝手にゆうとけ、それで?てな感じでしょうか。
話が飛びました。そこで、昭和天皇の「開戦の詔勅」です。普通にちゃんと読めば、日本はもともと世界平和を希求していたし、ずっと平和的に解決しようと努力してきたのに、米英及び蒋介石の中華民国は一向に譲り合う気持ちもなく、こちらを屈服させようとしているから、このたびやむなく戦争に打って出ることにしたんや、と読めます。というか、そう書いてあります。これ以上でも以下でもないやんか、と言いたいですね。何の粉飾もあらへんで。
私ら日本人がホンマに反省せなあかんのは、和平交渉のつもりで頑張ってたとしても、世界は私らが考えるよりはるかに腹黒く、狡猾で、残忍で、卑怯で、、、、これを10回ぐらい言わんとアカンぐらいなんや、ということが、全然わかってへんかった、ということでしょうか。