ペリリュー島

おととし(平成27年)、天皇皇后両陛下がパラオ共和国へ行きはって、その時、ペリリュー島にもお足をお運びになったことがありましたね。何で今頃パラオ?と思た人もおったと思うけど、日本とパラオの話、ペリリュー島の話は、私がいろいろ勉強してきた中でも、一番の涙、涙、やったわ。

私は、パラオといえばカラオケやってん。バブルの頃、カラオケ屋さんに行ってちょっとマイナーな歌を歌うと、画面に使われる映像はめっちゃきれいな南洋の海や島やったりして、それで画面の最後に「ロケ地:パラオ」って、いつも出るんや。

そんなきれいな海や島があったところが悲惨な大東亜戦争の戦場やったんやね。そもそも第一次世界大戦後、ドイツ領やったパラオは日本の委任統治領になってました。日本は道路を作り電気を引き、橋も架けて学校やら病院を建て、工場まで作って雇用も創出したらしいで。

日本の軍人さんは現地の人たちに好かれ、いつか日本語の歌も一緒に歌ったりするようになったらしい。
でも戦争ではついにアメリカ軍が来て、ペリリュー島では凄絶な戦いが繰り広げられ、最後には負けるんやけど、この戦いで日本軍は1万人余の戦死者を出したけれども、一般人の死者はゼロやったらしい。

実は戦況が厳しくなってきたころ、島民は強制疎開させられて軍人以外は全員疎開という最後の状況になったある日、島の人たちが日本軍の隊長に、自分たちも一緒に戦わせてほしい、と頼んだらしい。ところが隊長は、「帝国軍人が貴様らのような土人と共に戦えるか!」と怒鳴ったらしい。

これを聞いた島民はがっかりして、夜の疎開の船に乗って港を出て行ったその時、日本の兵隊さんたちが浜辺に出て来て手を振って、大声で歌を歌い合いながら見送ったんやて。先頭にはその隊長さんがおったと。そこで島民は気付いたんや、隊長が怒鳴ったのは、島民を戦争に巻き込みたくなかったからやったと。

戦いが終わって島に戻ったら文字通りの死屍累々、島民たちは泣きながら日本兵を埋葬してくれたらしいで。そして今は記念碑まで建ててくれているそうです。
パラオの国旗は日本国旗とそっくりです。日本国旗の「太陽」に照らされて、洋上に輝く「満月」を表したものだそうです。

この話はネット動画で知りました。日本人は戦争で、とても大事なことを忘れてしまい、置き去りにしているように思います。私が下手な言葉で書くより、下の動画を見てもろた方が千倍わかると思います。

ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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