『邪馬台国は存在しなかった』田中英道。歴史は事実に即して書き換えなあかんな。

自転車小


 私が毎日読んでるメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の、1月2日号に書評が出てました。ズバリ、『邪馬台国は存在しなかった』田中英道(勉誠出版)です。

 <いかがわしい書物でしかない『魏志倭人伝』なるものは『三国志』の一部であり、四百字原稿用紙換算で五枚にも満たない。あげくに邪馬台国なる国家があったなどとでっち上げの産物であり、歴史学的にも信憑性がなにひとつない。ところが日本では邪馬台国は北九州だ、いや畿内だと論争喧しく、およそ1000冊の書籍がでている。これは国際的に見ても、あまりに常識外れであるばかりか、そのレベルを疑われても仕方がないだろう。「倭人」とか、「卑弥呼」とか、明らかに蔑称である。>

 実は田中英道さんの本は以前にも何冊か読んでいて、その都度、書いてきてました(上のブログ内検索で「卑弥呼」で引いたら、3つも出て来ましたわww)。古事記、日本書紀に書かれた色んな神様や人物は、それこそ日本全国に数多くの神社があり、中にはそれこそ、いつからあったのかさえようわからんところもあるらしい。ところが、「卑弥呼神社」というのはどこにもありません。あ、違う、宮崎さんは「昭和57年に急遽、鹿児島県霧島市隼人に卑弥呼神社を建てた御仁がいるが、出鱈目も良いところだろう」と書いてはりました(笑)。

 このことだけでも、「卑弥呼」「邪馬台国」がいかに怪しげなものかがようわかると思います。残念なことに昨日取り上げた百田尚樹さんの『日本国紀』では、わりと肯定的に書かれています。「中国」のたった一つの史書の、しかもごく限られた記述からは、いろんな想像が可能なのでもちろん百田さんは断ってはいますが、豊かに想像を巡らしてはります。作家、小説家の面目躍如ではありますし、せやからそれは「歴史のロマンであり、愉しさ」とも書いてはります。

 とはいえ史実としてはでたらめなので、そろそろこれは教科書から消すべきやと思いますね。しかも前にも書きましたが、「卑」とか「邪」の、明らかな侮蔑の文字を国名やら人名に使うてるんやから、もうやめといてんか、という話やと思います。私は昔から違和感を持ってました。それは高校生の時に「三光作戦」を習うた時に感じたものと同じです。

 日本軍は「中国」において、焼光、殺光、略光の3光、つまり焼き尽くし、殺し尽くし、略奪し尽くしたんや、と。ふうん、日本語の「光」に、◯◯し尽くす、という意味はあらへんねんけどなあ、と思てたもんです。今ではこれは「中国」起源の言葉であることがわかっています。まあそのウソを教えた高校の時の歴史の先生は、自分で共産党支持やと公言してはりましたけどね。

 そしたら何と昨日のコメント欄に、深田萌絵さんが書いてくれてはりました。
 <私は大阪の女子高で、偽歴史教育を受け、従軍慰安婦や南京虐殺など悲惨な写真ばかりを見せられて、ひどいトラウマになりました。>
 ははーん、深田さんの高校時代は20数年前、私は40数年前で、当時はその先生が「歴史教育最先端」やったから、日本人はもう40年以上もウソの教育を受け続けてるわけですね。

 話は戻りますが、宮崎さんのメルマガからコピペしときます。
 <氏は「写楽は北斎」であり、「高天原は関東」であると、戦後の歴史学に真っ正面から挑戦する作品を数多く手がけてきた。そのいずれもに対して、左翼歴史学者は沈黙したままであるのも、奇妙である。>
 まあ「先生」と呼ばれる人たちにも、ええかげんな無責任な人が相当数おる、ということですね。残念。


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ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 11

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東北仁  

謹賀新年

ナニワの激オコおばちゃん様、明けましておめでとうございます。

ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。
我が家なりの正月行事も一段落、遅ればせながら投稿させて頂きます。

「田中英道著「邪馬台国は存在しなかった」・「写楽は北斎」・「高天原は関東」→そのいずれもに対して、左翼歴史学者は沈黙したままであるのも、奇妙である。」

●左翼系の方々は、御都合の悪い事には総じてだんまりを決め込むDNAが標準装備されているのでしょうか!
・連帯ユニオン関西生コン支部→辻元清美・福島瑞穂等
・東京医科大学不正→吉田つねひこ・羽田雄一郎等
・余命3年時事日記・懲戒請求案件→日弁連及び傘下弁護士会等
※NHK及び既存メディアの「報道しない自由及び偏向報道等」
〇上記の他にもいっぱいありすぎて・・・
(こんな※すると、又変な投稿が湧いて、おばちゃんに迷惑をかけてしまうかも!)

深田萌絵さんも、大阪の女子校で偽歴史教育を受け、ひどいトラウマになっていたとの事。
俳優のつるの剛士さんも、大阪時代に偏向教育を受けたと虎ノ門ニュースで話しておりました。
ぱよぱよ日記さんでも、上記のつるの剛士さんのお話をブログで取り上げておりました。
ぱよぱよ日記ブログ主yoshさんも、年が近い40代、非常に頼もしいと書かれていたと思います。
40代といえば、渡邉哲也氏・三橋貴明氏・深田萌絵さん・小坪市議・つるの剛士さん・yosh氏・(+20)ナニワの激オコおばちゃん様(ごめんなさい(汗))

深田萌絵さんはファーウェイとも戦っていたと思います。

様々なプレッシャー・妨害等にめげずに、情報を発信して下さる皆様方に感謝申し上げます。

2019/01/03 (Thu) 15:04
ナニワの激オコおばちゃん

ナニワの激オコおばちゃん  

Re: 謹賀新年

東北仁 さん、コメントありがとうございます。
> ※NHK及び既存メディアの「報道しない自由及び偏向報道等」
・・・・・ホンマにこれが多すぎますね。
今年もますます発信を強めていきたいと思います。

2019/01/03 (Thu) 16:04

変わり者  

目からうろこ体験

明けましておめでとうございます。
はじめての書き込みになります。

おばちゃんさんは、歴史に関心があるのですね。
私は、最近、歴史関連で目からうろこが落ちる体験をしました。

東京の国立科学博物館の「土井ヶ浜遺跡展」でです。
日本各地の縄文人や弥生人の「頭蓋骨」が沢山展示されていて、顔つきの違いが分かるようになっていました。

砂丘に眠る弥生人-山口県土井ヶ浜遺跡の半世紀-
https://www.kahaku.go.jp/event/2018/12dune/

よく「彫りの深い縄文人」と「のっぺりした弥生人」と学校で習いましたが、イメージとはだいぶ違っていましたよ。

先ず、会場入り口に「茨城県の縄文人」と「東京の古墳人」の頭蓋骨が並べて展示されていましたが、顔かたちや「眼窩」の形や鼻の高さなど、「彫りの深さ」に大して差が無く拍子抜けしました。(古墳人、結構彫りが深い・・・)

その後も、「北部九州の弥生人」と「西北九州の弥生人」の顔の違いがよく分からず、よく「縄文系で彫りの深い西北九州・・」と言われますが、「それ、本当か?」と思いました。
たぶん「西北」の中でも、個人差があり、彫りの深い人も浅い人もいたのでしょう。
また、展示されていた九州縄文人の彫りが結構浅く、顎が細く尖っていたり、隣に展示してあった「渡来系弥生人骨」と比較しても「正直、違いが分からん・・・」「弥生人の方が鼻が高いのでは?」とお客さん達がブツブツ呟きながら首をかしげているのも面白かったです。

あと、土井ヶ浜の弥生人達は、細くて端正な顔つきだと思いました。

たぶん、学校教育というのは、縄文人や弥生人の中でも「極端な顔つきの人々」をピックアップして教科書に掲載し、「ほら、こんなに違いますよ!」と刷り込みをしていたのではないかと思いました。
(そもそも、現代人でも顔つきが千差万別なのだから、縄文人も弥生人も個人差があって当然ですよね。)
そろそろ、この種の「刷り込み教育」をやめる時期に来ているのではいかと痛感しました。

2019/01/03 (Thu) 16:38
ナニワの激オコおばちゃん

ナニワの激オコおばちゃん  

Re: 目からうろこ体験

変わり者 さん、コメントありがとうございます。
> おばちゃんさんは、歴史に関心があるのですね。
・・・・・そうなんです(笑)。
> そろそろ、この種の「刷り込み教育」をやめる時期に来ているのではいかと痛感しました。
・・・・・実は戦後ずっと、「日本列島はもともと遅れていて、「中国」大陸、朝鮮半島から人が渡って来て、いろんな技術が伝わった」と教えられてきましたが、最近のDNA解析やら炭素?測定法などによって、どうも逆やった、ということがどんどん明らかになってきているようですね。それでも今の左翼の大学の研究者は絶対認めようとせえへんようです。

2019/01/03 (Thu) 19:06

日本国民  

史実の行方・・。

邪馬台国の存在の是非に関してですが・・・・、
以下は、今までの私の認識の概略です。
おぉ~!・・覆っちゃうのかぁ(汗汗)

『日本書紀』の性格(編集方針)からして、当時の「魏」など
支那の冊封下にあった「邪馬台国」や、「親魏倭王」の金印を
仮授された「卑弥呼」は、ぜったいに記されることはありません。
なぜなら、『日本書紀』が成立した7~8世紀以降の
独立日本=「統一大和」が保たれなくなるためです。

この点からも、「邪馬台国=畿内国」(のちの大和)とするのは、
「7世紀の統一大和は、“中国の冊封下”にあった倭国の延長線上に
ある国家だ」と主張するのと同じで、いわば“日本は支那の属国”に
等しくなり、明らかに間違い。
(後に中国からの侵略大義にされる惧れも
あるかと・・。畿内説を無理くりに唱える学者さんたちは・・・、
ちょっとあやしいかな。)

なぜなら、冊封下だった「倭国」は、7世紀の初頭に弟国の「日本」
に自ら国をゆずり、消滅しているためです。
これが『旧唐書』のなかに、「倭国」伝と「日本」伝の2つが併記されて
いた理由です。
このときまで、九州を中心とした「倭国」と、本州を中心とした「日本」
がありました。

事実、『旧唐書』の次の記録『新唐書』になると、「日本」伝しかなく、
もはや「倭国」が登場することはありません。

つまり、「倭国=日本」ではなく、別の国だったということです。
『日本書紀』は、最初から天皇のもとにある一つの国家として歴史をまとめ
ましたので、誤解されている節があるのですが、実状は九州「倭国」と、
その東に本州「日本」とがあったというのが事実です。

付記すれば、この時代の「日本」というのは、かつて台与を旗印とした
九州(倭国)連合が東征をして、本州“大国主連合”を融合し、
それらが変遷した国の姿です。

それゆえ、6世紀までの九州「倭国」からみれば、日本は「弟国」に
あたります。
そのため、当時の倭王「阿毎多利思比狐」(あまのたりしひこ)
大王(おおきみ)は、「日出れば、政務を弟に委ねん」と
隋の文帝に述べたわけです。

これは、『隋書』に歪曲されて記載された一文ですが、
実際は次のとおりです。
正しくは、「わが倭国は、弟国の日本に国を譲る」という趣旨で
述べたもので、要は支那(当時は隋)の冊封下から倭国は離れると
伝えたのです。

そのときの文帝の言葉は、「はなはだ義理なし」で、そのことを
証明しています。
プライドの高い支那人が、そんな不名誉なことを正史に残すはずもなく、
わけの分からない未開人の文言かのように記録したわけです。

また、7世紀中頃には、統一大和の天武天皇は、大王から「天皇」へと
改号することによって、支那の「皇帝」よりも、天(神)に近い立場に
日本国(王)を位置づけました。

結局のところ、「倭国」(かつての女王国)は、北部九州のごく一部
にすぎず、(町や市レベル)
女王を象徴とする「和」の統治形態を歴史的に日本に残したものの、
往時の邪馬台国そのものは、卑弥呼の代をもって終わり、男王の傀儡「台与」
を立てた北部九州連合政権(第2次倭国連合)に変わっています。

と、概略は以上です。

属国の女王となれば、神社は作られないだろ・・ね。

「属国」とされていた地域があった事自体が覆されるのならまぁ、
納得という処です・・・。
他にも諸説がひょっとしてひっくり返るような事実が露見する可能性は
数多ありそうですね。
う~ん、面白い・・・。

2019/01/03 (Thu) 19:59

ちちんぷい  

謹賀新年

今年も元気にご活躍ください。

邪馬台国については、日本国民様の説明は頷けます。小国に分かれていたのは確かなので、興隆・衰退、離合集散もあって当然でしょうね。東征も説明がつきます。
最終的に「大和(やまと)国」という表現にも、それを感じさせます。

> <氏は「写楽は北斎」であり、「高天原は関東」であると、
  興味深いです・・・が、どうかなあ。

2019/01/04 (Fri) 00:58

そこつモン  

田中先生と聞いて

初めての書き込みです。

最近、田中英道先生の動画を拝聴するようになりました。「縄文時代、人々が日の昇る場所を目指し、大陸沿いに東へ東へと向かって日本にたどり着き、日高見国(高い太陽を見る国)をなした。」このような話を伺うと、心が躍ります。この歳になって、歴史にアドレナリンが湧くとは思いもよりませんでした。(笑)

少し話は逸れますが、歴史の授業がどうして詰め込みがちなのかという、かねてからの私の疑問は、ねずさんのひとりごとブログの記事を読んで氷解しました。”縄文時代と漆の木”ttp://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3936.html

自分が護りたいと思う「日本」とは何か。興味は尽きませんね。

2019/01/04 (Fri) 02:47
ナニワの激オコおばちゃん

ナニワの激オコおばちゃん  

Re: 史実の行方・・。

日本国民 さん、コメントありがとうございます。
この話、深いので、1月2日の宮崎さんの記事の後の読者の声欄のやり取りを並べておきます。
勉強になりますねえ(笑)。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み
【第5937号】
(読者の声5)あけましておめでとうございます。貴誌、新年早々から、邪馬台国の嘘について述べられていましたので、一言コメントさせていただきます。
 邪馬台国に関しては明治末期に木村鷹太郎氏の説がほぼ歴史学会の認識として固まっていたと聞きます。
氏は、邪馬台国は、日本を代表する國ではなく、当時、新羅と組んで反乱を企てていた九州は筑後の國(土蜘蛛)、山門郡の田油津媛と特定し、更に卑弥呼の年代も本当は後漢だったのを魏志に載せるために60年ずらした、としています。
この記述は日本書紀の神功皇后の三韓征伐のところにあり、日本人として最も重要視しなければならない歴史資料のはずですね。
因みに氏は、邪馬台国の位置として挙げられた航路について、途中から実はローマからエジプトに至る航路を付け加えたトンデモ航路であるとしています。蓋し、真面目に航路を追っても大和にたどり着くはずはありません。
戦後何故この説が潰え去ったのか、自國の歴史書を蔑ろにして、只管自虐に走る戦後の日本の古代史・考古学はまるっきり出鱈目ではないでしょうか?
いい加減に邪馬台国論争なる支那の嘘に付き合うのは止めて真面目に日本書紀の研究をして欲しいところですね。
これはまあ言えば、今から1000年後の日本で、慰安婦は強制的に集められたかどうかを真剣に議論しているようなものですよ!(南鮮の資料の方を信用して日本の記録を無視して。。。)笑止!
    (CY生)

【第5938号】
(読者の声3)「邪馬台国について」。皆様ご存じと思いますが、江戸時代新井白石がすでに、『魏志倭人伝』は当時の支那人が日本人から古事記の話を聴いて作成したものではないかと推察しています。
 卑弥呼は「日の御子」の音を漢字化したのではないかという。
 『魏志倭人伝』が『古事記』の伝聞だったとすれば、卑弥呼の話と日本神話が類似しているのは当然になります。
そうなると邪馬台国は高天原にあることになり、探査は不可能です。
    (落合道夫)

【第5939号】
(読者の声1)貴誌通巻第5938号(読者の声3)で落合道夫氏が、以下のように書かれました。
【「邪馬台国について」。皆様ご存じと思いますが、江戸時代新井白石がすでに、『魏志倭人伝』は当時の支那人が日本人から古事記の話を聴いて作成したものではないかと推察しています。】
 
 魏志倭人伝は、晋の時代西暦297年に陳寿が書いたものなのであり得ません。中国歴代王朝の正史は書いた時点での王朝が正統であることを証明するためにその前の王朝の正統性を示すことを目的として書かれます。
 正統な王朝から易姓革命で生まれた王朝なので正統であるという論法です。外国に関する記述も前の王朝に臣従していたのだから現王朝にも臣従すべきということが背景にあります。倭人伝での見下した書き方もそこに根源があります。
 また、三国時代には中原の人口が激減し約400万人といわれています。これは当時の大和朝廷の勢力圏内とほぼ同じです。この強大な東海の君主国に対して中原の覇者の方が上として記述せざるを得なかったので、辻褄合わせのためあのような表現となったのでしょう。
 また神功皇后の朝鮮半島での軍威は三国時代から晋の時代の中原の覇者にとっては屈辱的なものであったはずです。したがって、それをごまかすために書かれたパロディーが邪馬台国でしょう。
  (當田晋也)

(宮崎正弘のコメント)最近の中国の報道で『日本は水没した先進国』という記事が注目されている由。理由はとうに中国に経済力で抜かれたのに、サービスのきめの細かさ、公共福祉の充実、おもてなしなど文化面で『先進国』だと、なかなかのレポートです。 
 中国共産党は強がりを言っていますが、庶民、とくに若い中国人は日本をやはり、先進国と仰ぎ見ているところがあります。『魏志倭人伝』? 中国人で、この歴史書物を読んだ人ほとんど居ません。

2019/01/04 (Fri) 13:53
ナニワの激オコおばちゃん

ナニワの激オコおばちゃん  

Re: 謹賀新年

ちちんぷい さん、コメントありがとうございます。
写楽とか、もうついていけませんわ(笑)。

2019/01/04 (Fri) 13:54
ナニワの激オコおばちゃん

ナニワの激オコおばちゃん  

Re: 田中先生と聞いて

そこつモン さん、コメントありがとうございます。
私も田中英道さんの本で日高見国のことを知り、めっちゃワクワクしました。

2019/01/04 (Fri) 13:56

日本国民  

これからの日本人による日本史

おばちゃんさん、コメント資料ありがとうございます。
なんか、いろんなお話が仰山あってワクワク感は留まるところを
知りませんね。多くの日本人が自国の歴史にどんな形にせよ
興味を持って調べ、意見を交わすことは将来を見越す意味でも
非常に益があると思います。
そして最も大切なことは、これからの「日本史」でありましょう。
いま生きている私たちから、後世に生きる日本の国民に
誇り高く美しい魂を持つ民という言葉に恥じない歴史を紡ぎ
残して行きたい、否、行かなければならないでしょうね。

2019/01/04 (Fri) 15:26

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