新元号は「中国古典にとらわれず」と言うても、そんな二字熟語はあるんかな?


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彩希
🎍明けましておめでとうございます🎌
今年も色々な情報を教えて頂きます。
今年は一般参賀客が多くて五回の、お出ましを陛下の御意向で七回お出ましになられたとか。陛下の御公務は驚く程の数で一般の80代のお年寄りが日々どのように過ごされているかを思えば、皇后陛下と共に安らかな日々をお過ごし頂きたいと思っても御姿を拝見することが減ってしまうと思うと寂しいです。
それはそうと今日、一般参賀の動画を見た後、色々見てたら紀子妃殿下バッシング動画が出ていたので、えっバッシングは雅子妃殿下で紀子様は褒められていたのではないの?と笑ってしまいました。まるで直接話を聞いたみたいに、まるで、その場に居て見ていたみたいに?…w
ナニワの激オコおばちゃん
Re: タイトルなし
彩希 さん、コメントありがとうございます。
一般参賀に行かれた宮崎正弘さんのレポートによれば、15万数千との発表だが20万は行ってるはず、とのことでした。
びっくりですね。
皇室へのバッシングについては、私らにはホンマのことはわからんので、関わらんようにしたいと思てます。
吹雪
大和元年
>うーん、たしかに日本人が誇りを持って、もともと日本人が作った造語である二文字熟語を元号に使う、というのはとてもわかる気はするんですが、さて、果たしてそれにふさわしい、新しい時代の象徴になるような熟語があるんやろうか?と疑問にも思います。
同感ですね。これまである和製漢語は、学術書などを邦訳するために作られた熟語であって、熟語自体に願いや謂れがある訳ではありません。文明三年とか、理性十年でも良いのでしょうか?
ちなみに近年の元号の謂れは以下の通りです。
平成:『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨
の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成
される」という意味。
昭和:四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」による。漢学者・
吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、明和の元号が
制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界
各国の共存繁栄を願う意味である。
大正:『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて
以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がった
が、5回目で採用された。
明治:『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。「聖人南面して天下
を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際
に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算にして
11度目にして採用された。
(https://matome.naver.jp/odai/2134905752363268901 より抜粋)
日本の古典から引用することは良いのですが、中国憎しの心ひとつでこのようなことを言われているとしたら反対します。中国の古典を金科玉条の如く有難がる必要はありませんが、日本の元号は中国の古典から採用するのが古くからの慣わしであれば、無理に変える必要は無いと思いますね。
この古い慣わしを意味無く変えるのであれば、それこそ、歴史を捏造するどこぞの民族と同じレベルに落ちてしまいそうで、止めていただきたいと思います。
日本らしく和歌集から元号を選ぶのが良いと思うのですが、万葉集や古今和歌集などの歌は、恋の歌や風景の歌が多いので選びにくいでしょうね。国家安寧、世界平和を歌う歌はほとんどありませんね。日本人が古来から願うこと、一番大事なことは「大和」なんですが、大和元年(やまとがんねん)なんかにしたら、国内外で火病が大流行するでしょうね。
新しい年は、平和を願いつつ、日本が成長し飛躍する年の始まりとしたいですね。
日本国民
「大和」に一票!
吹雪さんの「大和」案、大賛成ですね。
このタイトルスレを確認して、即座に
脳裏に浮かんだ詞と全く同じで、
嬉しかったですねぇ・・・。
是非、採用してもらいたいと切に思う処。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 大和元年
吹雪 さん、またもや詳しい解説をありがとうございます。
おおー、大和!大和元年!ええかもー!(笑)。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 「大和」に一票!
日本国民 さん、コメントありがとうございます。
<新年号は「大和」に!>国民大運動、なんてやったら面白そう(笑)。
庶民
To 吹雪さんTo 吹雪さん
シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由
http://www.tamacom.com/~shigio/defend/chinaischina-j.html
「私達は日頃何気なくシナを「中国」と呼んでいますが、実はこれはとても異常な事です。どう異常なのか、そしてなぜこんな異常な事が起きてしまったのかをまとめてみました。」
吹雪
ヂョングオ
庶民さんへ
「TO吹雪さん」と書かれていたので、回答させて頂きます。
言葉は大事だと思います。国名の中国と日本の中国地方の呼び名が一緒になってしまって、日本の中国の印象が薄れてしまったことは残念ですね。
しかし、中国をシナ(支那)と呼び変えてみても、何も変わらないと思います。それでウィグルやチベットの方々が独立して自由になることができるのでしょうか?
日本に支那を使わないように強く要請したのは「中華民国」ですね。蒋介石が台湾へ逃げてその後中国共産党が「中華人民共和国」を作りました。どちらの国名も短縮すれば「中国」ですね。
私は、中国で良いと思うのですよ。これが「大国」と言う呼び名だったら「支那」と呼んだと思います。日本人なら、中くらいの国で「中国」とも考えられますので、ぴったりだと思います。今の民度のままなら、是非永遠に中進国のままで居て頂きたいと思いますね。
最後に、中国人は自分の国を母国語で何と呼んでいるかご存知ですか?「中国」「Zhōng guó」「ヂョングオ」だそうです。こんなの日本人には発音できないですね。日本語発音について文句を言わないだけ中国の方がマシですね。とある隣国は、日本人に自国での発音を強要しています。こちらの方こそ問題視すべきですね。
ナポレオン・ソロ
大和と言う元号
新元号ですか・・いろいろ漢学者南下が知恵をし美って、出した候補の中カラえらんだんでしょうが、維新以来の日本は、世界の荒波に漕ぎ出した千石船(159㌧)の様なもので、大きな船だと思っていたのは、国内だけの話で、他所には何千㌧、何万㌧レベルの鋼鉄の船が当たり前の様に走って居る、洋行した大久保利通が受けたカルチャーショックは大きかったでしょうね。
其れは兎も角、元号の込めた願いとは裏腹に、戦争だらけだったり、災害だらけだったり、して居ますよね。 然も、今年は、米支戦争の結論の一つである、朝鮮半島問題が、2月の末までに決まるとか、云われて居るので、新元号の御代も、波乱の幕開けに成る事はほぼ確実ですね。
ならば、吹雪さんご提唱の大和(やまと)は、我々日本人が、今、目指すべき事、つまりは、日本人が日本の国を思い、この国を護らんと心を集めて大和を形作る、と言う意味で最適な元号ではないかと、同意いたします。
ナポレオン・ソロ
マルクス史観排除した日本の歴史が必要
此の邪馬台国は「三国志の一部で、創作だった」と言うた、尊敬する田中英道先生の断言で、歴史ファンの私は、どれ程、留飲を下げたかwww
実は私は、日本の歴史を西暦に直そうと言う、無謀な試みをやって居るのですが、いろいろ調べて行く裡に、卑弥呼の入りこめるような時代が見つからないので、永年苦慮して居たのです。其処へ、「卑弥呼は、日御子であり、物語は創作である」との田中説が飛び出して、本当に救われて居ます。
綿日の調べた処、日本史には多くの謎の時代が有って、その原因の大半は、蘇我入鹿の誅殺事件で有る乙巳の変後、自宅に逃げ帰った父親の蘇我蝦夷が、家に放火して自害したのですが、蘇我家の書庫に保管してあった、仏教の教典と日本の先史時代の記録も一緒に(故意に)焼けて終った事に有ると思われます。
先史時代の記録の中には、先ず、神武東征の真の目的、倭国大乱の原因、三韓征伐の真相、就中、仲哀帝の次の応神帝の即位迄に70年と言う空白期間が有り、その間、天皇が畝傍を留守にして居たが、8年間の在位しかない仲哀帝の皇子であった、2人の皇子が謀殺されている史実が有る事等の裏には、秘められた現実が有るのはほぼ確実です。 留守中にクーデター未遂が2回も有った可能性が有りますね。<年代は宮内庁出典の天皇家系図参照(Wikipedia)>
応神帝の出自に疑問が有るので、帝が初代に成る河内王朝「=和泉・河内平野開拓の結果現れた穀倉地帯、古墳時代の始まり」での仁徳帝や「倭の五王」の話や大伴の金村に殺害された武烈帝の次の帝に成り手が居ずに、当時は敵であった丹波のオオド王を、応神帝5代の末の子孫として、継体帝に向かえる話なども、謎だらけです。
就中、中大兄皇子(天智帝)と大海人皇子(天武帝)は、天智帝の娘を3人とも、天武帝の后にして居る事や、大海人皇子の背後勢力は、丹波や淡海(おうみ=琵琶湖)沿岸を根城とする海人族の息長氏(おきながし)であり、先祖に当たる継体帝も、この一族の出身であると言う話なのです。処が天智帝の背後勢力は、母方の吉備勢力ですから、色々考えてもお二人は実の兄弟ではない可能性が高い。
天智帝が生前に行った、半島への出兵が大失敗に終わりましたが、一番の被害を受けたのは、大海人皇子の背後勢力の海人族でしたが、天智帝はその遺領を、ナント、百済の亡命貴族に与えたので、大海人が怒って抗議の途中、鉾を畳に突き立てたら、床まで突き抜けたと言う。
是に驚いた天智帝は病気と称して,寝込んでしまう。 天智帝の性格を熟知して居た、大海人皇子は、身の危険を感じ、直ぐさま剃髪して出家して、吉野に身を隠す、其処を天智帝の息子が着け狙い、天智帝お隠れに成ると、息子は即位して弘仁帝となり、大海人追捕の詔勅を出し、壬申の乱のが起こったのですが、この話には、皇室の秘密が幾らでも含まれており、如何にひねっても、大河ドラマにする話には、成らないのです。 皇統には、秘密が満載ですからね。
でも譬え、どの様な由来で有ろうとも、今の天皇陛下も、先帝陛下も、個人として心から御立派な方だと、思って居ますので、今更、評価を変える気はありません。
歴史には、知らない方が良いことも有ると先人が判断したのなら、子孫の我々は、徒にそれを弄る事は、慎みたいと思いますね。 唯、江戸期の農村の自然発生的な社会主義は、日本の伝統の、助け合いと平等主義で出来た、世界に誇れる「和の構造」だと思いますから、為政者と納税者間の理想的な信頼関係こそ、皆が、大きな災害に遭っても、共に助け合って、貧乏に耐え抜く秘訣の様なモノだと思いますから、ちゃんとした正史を教えて頂きたいですね。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: ヂョングオ
庶民さん、吹雪さん、コメントありがとうございます。
以前に私も「「支・那(シナ)」を中国と呼んではいけない!?」で書きました。
https://gekiokoobachan.jp/blog-entry-109.html
ただ、吹雪さんのおっしゃるように、
> しかし、中国をシナ(支那)と呼び変えてみても、何も変わらないと思います。それでウィグルやチベットの方々が独立して自由になることができるのでしょうか?
・・・・・やと思いますね。
私がカッコ「」付きで書いてるのは単なる意思表示です。
マスゴミや書籍ではまだ避けているようですね。
私が中点「・」を入れてるのは、検索によるBAN対策のつもりです。
ただ、30年後あたりには、「中国」と呼ぶな、みたいに言われるんとちゃうかな、と思います。
その頃になると、あまりにも情けない、惨めな国の代名詞に使われるようになるので、と。
これは夢です(笑)。