蒋介石がやったこと

ずいぶん前に台湾に旅行したとき、孫文と蒋介石がこの国ではとても大切にされていると感じました。詳しい場所は忘れたんやけど、記念館やらお墓やら博物館がいろいろあったような気がします。

ちなみに孫文は1911年の辛亥革命で、清が倒れた後の中華民国の初代臨時総統で、中国では中国革命の父として「国父」と呼ばれてます。
蒋介石は1925年に孫文がガンで死んだ後に、すぐではないけど後を継いで中華民国の初代総統になった人や。すぐではないと言うのは、実はそのころのシナ大陸はもうごちゃごちゃやったんや。

蒋介石の国民党、毛沢東の共産党、ほんで各地に軍閥がおって誰が責任をもって国を治めてるのかわからん状態やったんや。1949年に毛沢東の中国共産党が国共(国民党vs共産党)内戦を勝ち抜いて中華人民共和国を建国したわけや。蒋介石の中華民国は台湾に逃げ延びたと。せやから、蒋介石はもともと台湾の人やないので、外省人と呼ばれてます。

蒋介石はわりと裕福な家に生まれて教育も受けたし、けっこう男前でスタイルも良かったし、頭も良かったみたいやで。中華民国の軍官学校である黄埔(こうほ)軍官学校の初代校長を務めるなど、軍事的な才能もあったみたいやね。

で、その蒋介石がやらかしたこと、もちろんいっぱいあるんやけど、たとえば1937年(昭和12年)日本軍の南京攻略戦から逃げたとき。あ、これはいわゆるウソのプロパガンダの「南京大虐殺」の舞台やね。

南京は国民党政府の首都になっていて、いよいよ日本軍が南京に迫ると、蒋介石は部下の司令官、唐生智を残して自分と奥さんだけさっさとアメリカ兵パイロットの操縦する飛行機で脱出したんや。しかも部隊には焦土作戦(「清野作戦」)を指示していて、後から乗り込む敵軍に利用されるようなものはすべて焼き払ってから退却したと。当然そこの住民は南京場内に難民となって流入してくるわけで、大混乱となった。

さらに日本軍が南京場内に入るころにはその司令官の唐生智も自分だけ先に揚子江を渡って退却しておきながら兵士には戦闘継続を命令していたから、兵士たちはパニックになって軍服を脱ぎ捨てて私服に着替えて一般市民の中に紛れ込んで、いわゆる便衣兵になったというわけで。

まあいつも自分のことだけ考えるあの国の人たちそのまんまやね。南京脱出後、蒋介石政権は重慶に逃れて各地で戦闘は続いてたんやけど、開封というところでの戦闘で日本軍に迫られて、退却時に黄河の堤防を破壊したんや。当然洪水が起こって、100万人単位の被害者が出たらしい。

日本軍は必死で住民の救出をしたそうや。ホンマに大陸の為政者にとっては人の命なんて、軽いもんやねんなあ。かわいそうになる話です。ついでに言うと、この堤防破壊は日本軍の仕業やと、蒋介石はせっせと宣伝してたそうです。

今も昔も、やってることはおんなじやんか。まったく(怒)。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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