遣日使の方が遣唐使より多かったんやて。世界から人が集まって来た国際都市、奈良。


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日本国民
飛鳥
>まあいまだに「中国」では秘密のメニューに「胎児食」もあるそうですから。ぎゃーーー。
http://t.co/ousumxogSA 閲覧激烈注意!!
ラーメン用の胎児スープの画像です。
>当時の奈良の人口はなんと、三分の一が渡来人系やったんやそうです。
そういえば藤原家も不比等さんから始まった渡来人でしたよね。
上念 司氏の母方も筆家の渡来人とかご自身で紹介されてましたね。
だからあんなに騒々しく饒舌なんでしょうかねぇ(偏見???)
奈良は京都より好きですねぇ。特に斑鳩の里には想い出がいっぱい。
日本史の先生に連れられてお弁当持って行きましたっけ。持統天皇陵
と天武天皇陵が並び立っていてこのお二人の物語に非常に興味を抱い
たことがあります。大津皇子の眠る二上山にも登って来ました。
当然ですが、宮内庁の管轄でした。(謀反で自害した悲劇?の皇子)
さすが大陸の人だけあって不比等の皇族やら実力者へ自身の娘を送
り込む手管は流石としか言いようがないですね。
46代孝謙天皇の実母は不比等の娘の光明子です。
皇族の娘が生んだ子供にしか皇位継承権がなかった時期も
あったはずですけどね。たしか持統天皇は天智天皇の娘ですし、
夫の天武天皇(大海人皇子)は父の弟ですね。近親婚が多かっ
たようですね。
息子の草壁皇子が病弱で早世しましたね。孫の軽(珂瑠)が
皇位継承したが、10歳でこの方も早世し、母の阿閇(アヘ)が
元明天皇として継承。この方も天智天皇の娘、母が蘇我姪娘。
近親婚は早世する方多かったんですね。その後は娘の氷高が継承
でしたね。その後が奈良の大仏建立で有名な聖武天皇(孝謙天皇
の父)。
実際の平城京は後日に、もっと広大であったという史実も明らか
になったり、また古墳めぐりに行きたいなと思う次第です。
今なら土筆取り放題かな・・・(笑)
素浪人
永遠のガラパゴス切望
我が国では奈良時代にペルシャ人が朝廷に勤めてたとかいう話が有りますね。時代はシルクロ~ドですから左様なことも有ったでしょう。今のペルシャ人には麻薬密売人のイメ~ジしか有りませんけどね~
我が国の縄文土器は世界最古ということですね。炭素同位体の年代測定で判明しているそうです。王朝の長さでは今は無きエチオピア帝国には負けてましたが、今現在は我が朝が歴とした世界最古の王朝です。特亜に潰されない様にせねばなりません。小和田家のことなどなど。これ以上は差し控えます。
激様に楯突く?訳ではないですが、天平のイラカの時代はとも角、今の我が国は国際都市はもう要らないと思いますね。我が国が参考にすべきは経済的には江戸時代の鎖国体制、軍事・外交的には明治時代の富国強兵体制、ではないでしょうか。江戸時代でさえ、朝鮮窃盗使みたいな迷惑な連中も居ましたが国内治安は間違い無く世界に類例無き高さであったと思われます。
つまり、外国人の中にはどうしても害国人が混入しますし、人をモノ扱いして非人道的であるし、特に製造業の現場でわざわざ連れて来ているのを止めさせねばなりません。安倍ちゃんもそういう方面ではオンチか意図的かは分かりませんがやってることが酷いです。入国管理局が放務宦官府から分離されるのは良いですね。
ちちんぷい
食い倒れ大陸
平和は、平和を好み、労働することに価値を見出す民族性にしか実現できません。生産活動や交易は平和でなければできませんから。
その点、シナ人(どこからどこまでが中国人が、もはやどうでも良いレベルですね。)のむごい性質は、あの大陸に住んでいたら、どんな民族も残虐になれるのかも知れません。
通州事件は、日本人にとって目をそむけるほどの残虐な屠殺でしたが、シナ人にとっては、本領発揮のほんの挨拶程度の事件なんですね。
処罰に名を借りた政敵への残酷な復讐(しかも、女子供も含む9族皆殺し)の本場です。両手両足を、それぞれ牛に引かせる(文字通りの)八つ裂きの刑。のこぎりで胴体まっぷたつ。しばりつけて、じわじわ刃物で皮膚肉を削ぎ落していく凌遅刑(りょうちけい)。それを見物する庶民。恐ろしい民族や。
人肉だろうが獣肉であろうが鶏肉であろうがパンダであろうが、差別しない食材の数々・・・。
人を喰った話しです。ひーっ。
ナポレオン・ソロ
地理的蓋然性を考えれば、当然。
遣唐使より遣日使の数の方が格段の多かった、という田中英道先生の
御説は、気象・海象から言って、当然の感がありますね。日本~シナに
行こうとすれば、エンジンがなかった時代ですから、海流・気流の流向
は、大きなファクターになりますよね、そして、一旦来たら帰るのは、
倍位難しいので、日本での待遇が良かったら住み着く、という現象が、
一般的だったと思われます。
私も、歴史で遣唐使を習った時に、その直前に、祖父から黒潮の強さ
の話を訊いていたので、違和感がありましたね。 だから先生に、質問
したら「昔の人は、大陸の進んだ文明を学ぼうという志がそれだけ高か
ったと考えるべきだろう」とか言われて、返す言葉がなかったですね。
でもその後、空海や最澄が仏教を学びに渡唐したが、天台宗系の高僧
の処で学んだ、空海は十年位で「もぅ教えることがない」と、師に言わ
しめた位の天才でしたが、いとも簡単に帰国して、故郷の国四国を中心
に、諸国を布教に回った後で高野山で真言宗を開きますが、行きは何回
か失敗しているのに、帰りは全くの心配もなかった、最澄も10年位遅れ
て帰国して、こちらは比叡山延暦寺を開きましたね。
古の長江移民の時代から、シナ~列島への交通は当然の様に、その逆と
比せば平易だった、ただ例外は、鑑真和尚で、何回も失敗した挙句に難破
して、鹿児島に漂着した、という運の悪さで、高齢の事もあって、奈良に
着いた時は失明していましたね。
この辺りは、航海技術の差、造船技術の差というべきでしょう、私が知
っている五島の元漁師の方は、気象の読み方は、天気図も解説もなしに、
雲の流れだけで、驚くほどの正確さでしたね。
シナ人の取柄は「日本人が知らない事を知っている」というただ一点に
過ぎませんが、大陸には、気象・海象の流向から言って中々行けないので、
渡来人は有り難い存在だったのでしょう。しかし、唐人自体は遊牧民族の
匈奴の一部族である壮族の出自である事が、分かっているので、藤原氏や
蘇我氏の祖先は、文化発信力のある長江遺民の呉の末裔ではなかろうかと、
私は思っています。
吹雪
日本は、今も昔も大国だったんですね。
>今回、「遣”日”使」という言葉を初めて知りました。もうずいぶん前から言われていたんやそうです。
言われてみれば、遣唐使がいれば遣日使が居てもおかしくないですね。確かに、これは盲点でした。いいお話が聞けました。
>そしてじっさい、正倉院には唐からもたらされた多くの文物が遺されていますが、それはほとんどが、遣唐使が持って帰ってきたものではなくて、向こうから持ち込まれたものである、ということがわかっているそうです。
唐へ朝貢すると、日本から持っていった朝貢品より数十倍の価値がある返礼品を貰えたらしいですね。10世紀に入ってから編纂された『延喜式』という法令集に、717年の第9回遣唐使が持参した朝貢品の目録と思われる記述があり、それによると遣唐使の朝貢品は以下の様です。
・銀:大五百両
・水織絁(みずおりあしぎぬ):二百疋(一疋=二反分)
・美濃絁(みのあしぎぬ):二百疋
・細絁・黄絁(ほそあしぎぬ・きあしぎぬ):各三百疋
・黄糸(きのいと):五百絢
・細屯綿(ほそつみのわた):一千屯
このほかにも、綿製品や瑪瑙(めのう)、火打石、椿油、甘葛(あまづら・甘味料)といった品々があったようです。
これに対し、唐からの返礼品は、陶磁器・金銀・絹製品などだったようです。
私はてっきりこの返礼品を遣唐使が持ち帰って、それが正倉院に保管されていると思っていました。しかし、空海などはその返礼品を唐の町で売り払って経文や書籍を購入してそれを日本へ持ち帰っているらしいですね。
全ての遣唐使がそのように自由に振舞っていたかどうかは判りませんが、正倉院に保管されているものを見れば、なるほど、遣隋使、遣唐使が持ち帰った物だけと考えるのは無理があるように感じますね。古代の日本も、今と変わらず大国として君臨していたのでしょう。
ちょっと話は逸れますが、素浪人さんのコメントに惹かれるところがありましたので、コメントさせて頂きます。
>入国管理局が放務宦官府から分離されるのは良いですね。
私にこの発想は無かったです。国税庁を財務省から切り離せということは前々から高橋洋一さんが言われていましたが、法務省と入国管理局も同じ関係にあるのでしょうか?
国税庁も入国管理局も独自の強制捜査権を有している組織です。これ以外には捜査権を有している組織は、警察、検察、海上保安庁、公安くらいですかね?
色々な陰謀論はありますが、まずは、行き過ぎた官僚の力を削ぐことが、当面の目標ですかね?そして、日本のエリート層の左翼思想をもう少し右よりにするため、教育改革、特に大学の改革が必要と思いますね。
みかん
同感です
田中英道さんの講義はとても面白いですね!
時々かすかに、ふはっと笑われるところも和やかで大好きです。
ユダヤ人を模した埴輪が芝山古墳にたくさん出土していて、
古代に大勢のユダヤ人が渡来し倭人と同化したことを物語る、という
お話にも夢とロマンを感じました。
しかしこうした古代史までも、GHQ史観によって封印されていたのですね。
私たちは、進んだ技術や文化はすべて中国と朝鮮半島から
もたらされたと教えられ、敗戦後は戦犯国と断罪され、
何年勉強しても英語が話せないとバカにされ、無意識に自尊心を
失ってきたのではないでしょうか。
でも国歌や国旗に対し尊敬の態度を持つ羽生結弦さんとかみていると、
日本人としての誇りを持った家庭で、愛されて育った方は違うのだなと思います。
戦後の日本は、貧富の格差よりこのような精神の格差の方が
より重大だったのではないでしょうか。
だから社会全体で日本の歴史を…取り戻さなくっちゃ…いけないのだ…と、
田中英道さんのお話を聴きながら毎日眠りについています…zzz
孟宗竹
食人文化
日本人には悍ましい限りですが、シナ大陸の食人は数千年続く文化です。
50年前(文革)まで存在しました。
内蔵を綺麗に取り出すための刃の入れ方など屠殺マニュアルも伝承されてます。
特に肝臓と局部が珍重され、長老などに配られたようです。文化といえるのは、何より部位や処理方法(生、干など)で別に言葉が存在しました。トビウオとくさやみたいなものです。
田舎じじい
いつも興味深い記事を楽しく拝読させて頂いております。
ところで、文化の低い日本に高度な朝鮮の文化を伝えたと韓国が主張する「朝鮮通信使」について一言。
じゃ~思うに、同じ江戸時代にあった琉球の江戸参府、オランダ商館のカピタンの江戸参府も琉球通信使とかカピタン通信使と言わなければならないんじゃないかと。それに各藩の参勤交代も諸藩通信使になるかもね(笑)。
結局はこれらのものは、徳川幕府の権威をあまねく当時の人達に示す行為だったとおもいますよ。要するに朝貢使節だったってこと。
そもそもですよ、「通信」って言葉は、信(よしみ)を通わすってことで、信(まこと)の付き合いをするってことでしょ。現在過去未来、半島人と日本人ではそれが無理なのは明らかでしょ。
因みに、その当時は「朝鮮来聘使」と言ってたんだって。「朝鮮通信使」は後の研究者の造語だと。
八丈島
このことは気づきませんでした。そう言われてみればそうですね。ありがとうございます。
猫好き
奈良、京都は
東大阪生まれの奈良県人です 奈良県民、京都府民の車の運転、マナーは最低ですね。
信号は守らない、はみ出し運転は普通。
京都では曲がる寸前にウィンカーが普通。
東大阪生まれでも東京勤務時代に運転免許を取ったので異常性が良く解ります。
特に京都は走りずらい地域でした。
奈良は 農家の軽トラが普通なのか?速度、信号無視の爆走連中?が普通なんだろう。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 飛鳥
日本国民 さん、コメントありがとうございます。
へえー、奈良のことにはめっぽうお詳しそうですね(笑)。
勉強になります。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 永遠のガラパゴス切望
素浪人 さん、コメントありがとうございます。
奈良は国際都市やったかも知れん、とはいうものの、おっしゃるように今はそんなん、もういらん、と私も思いますね(笑)。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 食い倒れ大陸
ちちんぷい さん、コメントありがとうございます。
いやあ、ホンマにおぞましい人たちですよね(笑)。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 地理的蓋然性を考えれば、当然。
ナポレオン・ソロ さん、コメントありがとうございます。
「海流」の視点もあるんですね。おもしろいです。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 日本は、今も昔も大国だったんですね。
吹雪 さん、コメントありがとうございます。
遣唐使の朝貢品の目録がちゃんと残ってるんですね。
もうすでに豊かな時代やったように思えますね。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 同感です
みかん さん、コメントありがとうございます。
> 田中英道さんの講義はとても面白いですね!
> 時々かすかに、ふはっと笑われるところも和やかで大好きです。
・・・・・え、そうなんですか。実は日曜に大阪で講演会があったのですが、行けませんでした。残念。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 食人文化
孟宗竹 さん、コメントありがとうございます。
ええーっ、マニュアルまで、、、。ホンマに気持ち悪いですね。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: タイトルなし
田舎じじい さん、コメントありがとうございます。
> 因みに、その当時は「朝鮮来聘使」と言ってたんだって。「朝鮮通信使」は後の研究者の造語だと。
・・・・・なあんや、結局これも歴史捏造なんですね。
「通信使」が農家からニワトリを盗んで行くので嫌われていたという話もありますね。
ナニワの激オコおばちゃん
Re: 奈良、京都は
猫好き さん、コメントありがとうございます。
あはは、奈良は今では田舎になってしもたということなんでしょうか?(笑)