真珠湾「奇襲」攻撃

私も以前は日本というのは真珠湾を「奇襲」で攻撃した卑怯な国やと思うてました。今ではいろんな事実がいっぱい公表されてるから、真珠湾攻撃の実態は、その気になればなんぼでも自分で調べたらわかります。

結論を先に書くと、たしかに攻撃自体は奇襲やったかも知れんけど、日本側は直前に宣戦布告して戦うつもりやった、というのはホンマらしい。駐アメリカの日本大使館員がスカタンで、アメリカ側への手交が遅れて事後通告になってしもた、というのが実態やそうです。

けれども事実はさらに奥があって、実はルーズベルト大統領は真珠湾の攻撃を事前に知っていたということです。悲しいけど、この真珠湾攻撃は、後から見たら惨めな大敗戦の始まりやった、ということですね。

話を戻して、事実を見ていきますと、、、。
日本側は昭和16年(1941年)12月8日を開戦予定日として準備を進めていました。
そして山本五十六の日本海軍(航空隊)は、日本時間午前3時19分(ワシントン時間午後1時19分/ハワイ時間午前7時49分)に真珠湾攻撃を開始しました。

ところが駐アメリカ大使の野村吉三郎と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒、つまりは宣戦布告の文書を手交したのは、日本時間の午前4時20分(ワシントン時間午後2時20分/ハワイ時間午前8時50分)になってしもたんです。

日本政府の予定では日本時間午前3時(ワシントン時間午後1時)までにはアメリカ政府へ手交するはずやったのに、大使館員の井口貞夫一等書記官や奥村勝蔵一等書記官らが翻訳およびタイピングの準備に手間取った、ということです。

それこそいつ戦争が始まってもおかしくない緊迫した状況やったはずやのに、なんや、それ、あかんやん、てなもんですな。結局、以後日本は「真珠湾で卑怯な騙し打ちをした」というアメリカのプロパガンダになされるがままになってしもたというわけです。

ちなみにこの当事者の大使館員の井口貞夫と奥村勝蔵はいずれも何の咎も受けず、戦後は外務事務次官にまで昇進してはります。こんなスカタンが戦後の外務省にずっとおったということで、まあ、今ではネットでは「害務省」と言われているのもむべなるかな、てなことですな。

あ、話がそれたわ。で、実はこの真珠湾攻撃のことは、ルーズベルトは事前に知ってたというのが最近、いっぱい暴露されてきています。ルーズベルトは戦争反対をとなえて大統領になったし、アメリカ国民も戦争には絶対巻き込まれたくないという世論が強かったから、第二次世界大戦への参戦はとても考えられへんかったところにこのアメリカにとっては屈辱的な真珠湾、ということで、「リメンバー、パールハーバー」で一気に参戦の世論に変えることができた、というわけですね。

今も昔も戦争で儲けようとする人はおるんやね。ルーズベルトのまわりにはソ連のスパイもうじゃうじゃおったというのは、今ではかなりわかってるらしいです。
日本にもアメリカとは絶対に戦争したらあかん、と言うてた人がいっぱいおったらしいですね。
そのへんの話はまたにします。
ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

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