神道は、宗教とはちゃうやろ?神社の存在は日本そのものとちゃうんか?日本人、しっかりせな。

頷く小


 今日は皇居での一般参賀、お天気が良うてよかったですね。私も東京に住んでたら行きたかったなあ。
 ところで皇位継承の儀式が続く中で思うたことがあります。神道は宗教なんか?ということです。この問題はものごっつい大きな問題やから、それこそ本が何十冊も必要なぐらいにあれもこれも言わなあかんことがいっぱいあると思いますし、もちろんそれはムリやから、思うことを書いていきます。

 私が「覚醒」する前というのは、もちろん自分は無宗教やと思てました。また、若い頃は別にマルクス主義やないですが、「宗教はアヘン」などという言葉には、共感すら覚えてました。ちょうど多感な中学生時代に、お父ちゃんがある人に強く勧められて創価学会に入って、何やら毎日拝み始めたことがあって、めっちゃ「気持ち悪っっ」と思たもんです。

 まあそれは1年も続かずにやめましたけど、その頃の話を結局お父ちゃんには聞いたことが無くて、去年、逝ってしまいました。聞いといたら良かったなあ(笑)。中学生時代はそれこそ生意気盛りで、自分の運命は祈るもんとちゃう、運命は自分の力で切り開いていかなあかんのや、なんて本気で考えてました。

 それでもよう考えたら、毎年お正月には初詣に行き、春秋のお彼岸やお盆にはお墓参りをし、大晦日には除夜の鐘を聞きに行ったことも何べんもありますね。ついでにクリスマスツリーはほぼ毎年飾ってますけどね(笑)。で、つまりはそれが宗教心なんや、と言われても、ああそうなんか、という感じでしょうか。ほとんどの日本人がそうでしょう。ちなみに神道には宗教の定義で必要とされる教祖も教義経典も、布教活動もありませんね。

 なんでこんなことを言うかというと、今年は大嘗祭が執り行われるからですね。天皇が即位後初めて行う新嘗祭のことを大嘗祭と言う、と。で新嘗祭とは毎年11月23日に、天皇がその年の収穫に感謝して行われる儀式、と。戦前は祭日やったのに、今は「勤労感謝の日」という祝日になってるというわけですね。で、前にも「秋篠宮殿下には国民へのお心遣いはまことに有難くも、残念なご発言でした。」で書きましたけど、秋篠宮殿下の思いとは違って、私はこれは日本という国の歴史伝統風俗習慣そのものやから、絶対に一つの宗教行事なんかではないと思いますね。

 実際、大嘗祭を国事行為として今は「国のお金」と不敬にもなってしもてる「宮廷費」ではなく、皇室の私的なお金とされている「内廷費」で賄うべき、と仰せになったという話ですね。秋篠宮殿下、殿下のご存在そのものが、日本そのものなんですよ、と申し上げたいですね。つまり、皇室に私的なものはあらへん、ということでしょうか。

 まあ戦争に負けたときにアメリカはなんで日本人はこんなに忠誠心が強く、「特攻」も厭わずに戦うことができるのか、半ば恐怖に駆られて徹底的に研究し、日本人が二度と立ち上がって来んようにと、神道をぶっ潰すつもりやったんでしょうね。「国家神道」などという言葉もあるようですが、実はその実態は怪しいもんですね。これからしっかり調べたいと思います。

 まだ読めてないんですが、「出雲大社紫野教会」のサイトには、わかりやすく書いてありそうです。まだまだ勉強せなあかんことはいっぱいあるわ。


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ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 9

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ナポレオン・ソロ  

神道は宗教か?

>神道は宗教か?
 いいえ、この設問自体が間違って居て、宗教と言うのは西洋発の神様を
崇敬する手段ですが、神道の神は、特別な生き物では無く、自然そのモノ
で、宗教で言う神(God)とは、似て非なるモノです。 抑、宗教の語源に
なった,reliejyas に該当する日本語も、勿論支那語も無かったので、日
本の翻訳者が、捻りだした言葉なので、明治初期の一般人には、何の事か
亘らない代物だったのは、間違いない。

 ダカラ、神道が宗教だとか騒ぎだしたのは、戦前の共産主義者で「家父長
制度」を、実態の精査も無しに、「女性の権利を侵害している」と決め付け
る蒙昧さに通底している部分が有りますね。 所謂、西洋的な価値かんの押
し付けでしかない。

 要は、西洋には、神道の様なモノが育たなかったし、有っても原始宗教に
有り勝ちな、弱い立場の人間を生贄に捧げる様な野蛮さを持つモノだから、と
日本を「太陽信仰族」と見做して、未開の国家認識して居たのが、仙山までの
西洋でしょう。

 ダカラ、米国の戦艦に、250㎏爆弾を抱いて、対空砲火を掻い潜って、飛び
込んだが、肝心の爆弾が不発で、操縦士はコクピットで死亡して居た、敵乍ら
天晴とそのパイロットを見てびっくり、明らかに未だ、十代の少年で、然も懐
からは、母親らしき女性の写真がでてきた。

 是を観て、米軍の士官は衝撃を受けた、何故なら、彼らは「日本人は邪悪な
民族で狂人だ」と、教え込まれていたから、まだあどけなさが残る少年迄が、
戦争が無ければ、未だ母親に甘えて居るだろう少年の身で、国の為にその一命
を捨てて、大の大人でも蒼くなってしり込みする様な特攻を、その恐怖感を
モノとせず、勇猛果敢に成就してみせたのは、どういうワケなのか、本当に
日本人は未開で野蛮な狂人達なのか、実は、我々が持ちえない様な、愛国心
に溢れた人々ではないのか、とその日から煩悶が始まり、終には、士官を辞
めて、戦後の「アメリカ人から見た日本」と言う本に、この話を寄稿したと
言う経緯です。

 思うに、彼らには日本の様な、「我が身と同一」と思える様な神様を持っ
ていません。 人間と神が、契約を交わし「神の利得」である崇敬の対象に
なる事と引き換えに、民を護ると言う契約の元に。親交が成立している神で
すから、一つ間違えば、怖ろしい罰を下す、破壊神と紙一重の恐るべき神で
もあるので、簡単に悪魔に変って終う。 人々は、神が恐ろしいので、破戒
をしないダケで、謂わば、神と言う独裁者に支配された構造になっている

 是が宗教の姿なのですが、日本の神は、人間だけでなく自然界全てを支配
統御して居るご存在です。 ですから、神の域で不浄な事をしたり、不敬な
事を云えば、神罰が当たりますが、人間の生活上の必要や生きる為の殺生に
関する事は、神が別に定めた神の摂理に違背しない限り、罰したりしません。

 日本では、人間の為し事に関しては、「お天道様に、恥じない生き方」を
すれば良い、と言う考え方が有るので、亦、古事記に曰く「我ら神の子にし
て、等しく神聖である」と述べられています。

 ですが、災害に際して頼れるものが、人間しか居ない時に、協力を忌避し
たり、自分だけ逃げると言う様な、行動を執るものは、当然仲間外れ{=村
八分」にされて来ましたが、戦後、是を同庁圧力と非難している一見マトモ
そうに見える意見がありますが、自分の勝手な言い分を皆が認めないという
事も、裏を返せば、同調圧力の一種ではないかと切り返されます。

 兎に角、欧米社会は自分達の社会常識にない、常識に面食らっているだけ
の場合が多く、勢い個人的な権利の主張になっていますが、ならば欧州社会
は、身分制度の無い公平で、豊かな世界かと言うと其の全く逆である。 

 つまり、彼らは社会全体の仕組みの善悪を考察できるダケの素養になる社
会を持った経験が無い、そういう社会で規範としての宗教を、唯一無二のも
のとして、1600年もやって来て、自分達とは全く違う成因の神に出遭って。
一種のカルチャー・ショックを起して居ると言う他は無い。

 ハッキリ言って、日本人が、西洋宗教を学ぶのは当たり前の事を確認する
ダケと言う意味なら時間の浪費で有る。 何故なら終局的には、選民主義が
顔を出すからで、小難しい教理も、結局は民族宗教でしかない沙漠の一神教
を正当化する手段に過ぎない。 ダカラ、宗教は毒にしかならない阿片なの
です。

2019/05/05 (Sun) 07:40

もじもじ  

To ナポレオン・ソロさん

 神道は宗教であるか、という問いは全く問題ないと思いますよ、
             
                   そろ、そろ、、、、

2019/05/05 (Sun) 09:44

名無し  

選民主義とかどこの国に対しても認めてしもたらいい、お互いに相手国の国籍国民を選民とすりゃあいいと
何となく強く感じる今日この頃ですが、国と民族はちゃうよという声は勿論
キリスト教圏だったヨーロッパですら国と国との利害対立が明らかであり、白人達を繋ぐ要素であるキリスト教がポリコレさんたちに分断され、このポリコレさんたちのお題目が多文化共生ですな。
なんや新しい宗教にとって替わろうとしてるんちゃうと思て見てたら、確かにこの人達にも赫とした選民主義が見えるんですよ、此方をレイシストと読んで悪者扱いして来るという、私嫌いやわーこういうの。
差別が裏返しで宗教の必要性を生むんやろうか。でもなんで白人さんが荷担すんの?
日本の神道もそうなんか?そう言うたら日本へ渡ってくる悪いもんから守ってくれるようなものやと確かに私は思てるし、日本の守護聖人は大天使ミカエル様やと言われたらはぁ宜しくなんて思う私ですが、矛盾は矛盾のまま日本を守ってくれるもんは善、壊そうとするもんは悪ですから、ポリコレは悪に分類ですわな。
でも白人さんは旧植民地人員確保の必要性からか多くがこれに迎合しはった。世界支配のための新しい宗教なんやな、どう見ても。
日本は仏教が入ってきてもキリスト教が入ってきても神社仏閣を潰す動きの有るときや地域が有っても、結局は日本の国家や民族としての独立と継続性を担保する最高祭祀者を残した。天皇さんは御在位中は出家できないことにしてたし、国民のほうも一生のうち何年か皇室を醒めた目でみるような宗教に熱心になることは有っても皇室を無くさなとまでは思わへん。日本でキリスト教が浸透せーへんのは御盆のときに困るからやけど、冬至のときには各位で盛大キリスト教でお祭り気分を楽しんで、またお正月は先祖代々のお正月、なんかこの先祖代々の行事から多くの人は離れられへんのやな。神社や天皇さんというのは日本人の先祖との繋がりであり日本列島の土地との繋がりであり、悠久の時間であり空間であり民族そのものや。
そんなものを日本人から引き剥がそうとするのは虐めやし、日本人にムスリムや共産党のように法治主義より上のものを思い出させる啓示にしかならんと思うよ。
どうせ民族祭祀を失った隙間に他の宗教の選民主義を入れようとしても白人さんたちのように血族親子の繋がりでもないし、旧植民地民族のように被害者団体の養子の繋がりに日本を入れるつもりもポリコレさん側に無いのやから、どないするつもりなんやろな。

2019/05/05 (Sun) 11:17

ナポレオン・ソロ  

日本の神道は、類別すれば民族宗教でしょうが・・

>名無しさん ソロです。
 仰る通り、日本の神道は、民族の風習・習俗の様になっていて、西洋宗教
の様に、殊更に意識し無くても正月になれば、歳神様が訪れて年が改まり、
宇蘭盆となれば、ご先祖様の霊魂が山から下って来るので、其々を、日常の
仕事を休んで、お迎えする。

 日本人は、その様に自然に神の存在を考えて居るので殊更に宗教などを構
えて、人の支配に利用する事は少ないが、集団に人の和が無ければ、内外の
問題からコミュニティを護れない事を、経験知で知っているから「掟」と言
う「禁忌」を決めたものが、昔から有った。

 是が、奈良時代に律令となり、鎌倉時代に御成敗式目となって、集団や国
の秩序を守る働きをするモノとして採用した。 ダカラ、明治維新になって、
西洋式の法思想が、何の生涯も無く受け容れる事が出来た。

 それも日本人の社会に「護らねばならないモノ」と言うモノの共通認識に
なるものが存在して居たからです、それが、自然神を頂点として、その神の
預言を聴き、或る時訊く役目の、神に選ばれた血統の神の血筋を引く司祭が、
社会の権威の王となる世界に前例のない政体をいつしか、日本人は、創り上
げて居たのです。

 威力分離が行われたのは、AC7世紀の天武帝の時ですが、スメラミコトを
神の血筋を引くモノとして、死守したのは、6世紀末に、武烈帝を弑した、
王朝創始以来の重臣大伴金村が、天下を取るに存分な実力があったにも拘わ
らず、当時の敵方の王であった、丹波から、後の継体帝を探し出して、帝位
につけた事で、当時の社会が、如何に河内王朝を支持して居たかを表す事象
だと思います。

 西の青人を中心とした古代社会が、こう云う経緯を持てる様な、精神的に、
成熟した社会を持てるのは、オソラク千年以上後の話で有る。 否、社会の
裏側の話を訊けば、進んで居るのは上辺だけでありましょう。

 然し、日本人には皇室を戴き、万世一系の皇統を守って来たからこそ日本
の今があると言う、確信に近いものが有るのだと思います。

 其れに、日本の神は「お天道さまに愧じない事を心懸けて生きて居れば、
そして、毎日を他の生き物の犠牲に感謝して居れば、安寧な社会を約束して
くれる」と信じているから、其れ以上の神様が現れない限り、靡く事は有り
ませんし、異神を信仰して居ても、最終的には、同じ頂きに辿り着くと言う
「元一つ」の原理があるから、何教でも意に介さないのです。

2019/05/05 (Sun) 16:12

日本国民  

真の宗教

宗教の本来の使命は、地上人に霊的覚醒をもたらし、霊的成長へと導く
ことです。地上人生において霊的成長をなすことができるように人々を
導くことが役目であり、それが宗教によってもたらされる“救い”です。
しかし、そうした宗教の目的を明確に認識しているところはありません。
口では「人々を救うことが自分たちの宗教の使命である」と言うものの、
“救い”とは具体的に何を意味しているのか、“救い”はどのようにし
て為されるものなのかが全く分かっていません。

地上の宗教は、自らが存在する目的や、人々にもたらすべき救いの内容に
ついて「霊的無知」の状態にあります。自分たちの宗教組織を拡大するこ
とだけに血まなこになり、それが信仰の目的となっています。自分たちの
組織を拡大することが人類の救いにつながる、といった勝手な屁理屈を並
べ、人々の信仰に対するエネルギーを宗教組織のエゴに利用しているので
す。間違った教義・間違った救済観が人々の“魂”を洗脳し、霊的成長と
真の救いから遠ざけることになっています。

“救い”とは本来、個人レベルの出来事であり、個人単位で達成されるも
のです。しかし大半の宗教は、教祖や指導者の指示に従って組織の拡大に
参加することによって本人が救われ、人々も救われるようになる、と洗脳
します。霊的真理・霊的知識を正しく理解すれば、魂の救いは個人単位で
なされるものであり、組織とは無関係であることが明白になります。多く
の宗教では、自分たちの教団に所属し、組織の拡大に貢献することによっ
て魂の救いが達成される、と教えてきました。これはきわめて悪質な洗脳
であり、霊的不正の最たるものです。「神の摂理」に根本から反する大き
な罪です。

このように地上の宗教は、その目的や使命といった本質的な点において真
実からかけ離れているだけでなく、「積極的に不正を行っている」という
点で大きく摂理に背いています。霊界から見ると「地上の宗教はすべて失
格である」というのは、こうしたことを意味しています。地上の宗教は人
類に利益をもたらさないどころか、むしろ害をもたらしています。“人類
の敵”と言ってもいいのが、地上の組織宗教なのです。

イエスは2千年前――「神を愛し、隣人を愛せよ」と教えました。これは
「神と隣人愛(利他愛)を尊重せよ」ということです。“信仰対象”とい
う点から言えば、「神と利他愛(利他性の摂理)を信仰の対象とせよ」と
いうことを意味しています。しかし実際には、キリスト教会は利他愛とい
う神の摂理を忠実に実践することなく、これを無視してきました。すなわ
ち「神の摂理」を崇拝してこなかったのです。

此処で日本の「神道の」立ち位置は、アニミズムの類とされておりますが、
霊界が示す「神の摂理」に繋がる道を意味しているやとも考えます。
日本人としての身贔屓に成りましょうが、「利他愛」を魂に刻み、実践でき
ていた唯一の民族であるとの自負から、そう考えます。
したがって、現存する世間一般の宗教(霊界から揶揄される)とは一線も二
線も画しいると、信じたいところです。

2019/05/05 (Sun) 16:53

ちちんぷい  

私見です

個人的には、神道の肝は自然崇拝だと考えます。日本国民さんの言う「アニミズム」と同じ?かも知れません。もちろん、シャーマニズムでもない。
八百万の神々と言えども、自然と同格か象徴、下手するとやや下の存在です。
天皇は精霊を宿す人間として、同時に祭祀を通して人間を突き抜けた存在でいてほしいと思います。

一神教の国々も、もともとは多神教を信奉していたとも聞きます。多神教の方が古いもので、自然崇拝の傾向があるそうです。現世利益追求で闘争的な一神教集団に侵略されて否定されたんですね。
一神教の神は、世界のすべてを作ったことになっていて、すべての時間を支配して、未来は細々と予定されている・・・みたいになります。そうでないと、完全無欠の絶対紳と言えなくなってしまう。だから、一神教の経典は、すべてが書かれている理屈になります。

絶対紳なのだから、科学よりも上に置こうとして、どっちが上かの問題も発生して、どっちが勝つかの紛争も起こります。
神に作られた人間は、絶対紳との契約が必要で、信仰がなければ人として存在できないみたいな突き放しの状態に置かれます。

けっこうきついと思いますね。
私は神道がいいです。日本では、無分別な国土破壊、自然破壊は、背信的な行為になります。神にも人にも反する行為で許せませんね。

一神教組織は、集権的な性質もあると思います。時とともに経済組織の面が伸長して、膨張主義の傾向と集金装置化が強まり、権力闘争の場にもなります。信者の組織抜けは、神の名のもとに人工的な神罰が下されますから、その予防として「恐怖支配」「暴力支配」も起こります。
現代の世界を覆う政治的問題、経済的問題などなど、一神教の悪弊が招いているのではないでしょうか。

最初から信徒を支配下に置き、組織を膨張主義と集金装置として機能させようと企むのが「カルト宗教」ですね。カルト宗教なんか、宗教かさえ疑わしいし、宗教の名を借りた「見えない独立国」を形成さえするのです。社会悪でしかありません。神道を神道らしく保つためにも、カルト系を優遇するなど愚かなことです。

日本は、神道を国教に位置付けて守るべきです。神と日本人と国土の下の道具である憲法にも、なんらかの表現で記されるべきだと考えます。

2019/05/06 (Mon) 00:31

mayflower  

宗教が定義されてません

宗教の定義が人によって違うようですね。人間を越えた存在を信じ崇拝するのが宗教だと私は思います。ぞういう意味では、神道は当然宗教ではないでしょうか。
日ュ同祖論というものがありますが、否定できない証拠も有るように見えます。大和民族の一部に、ユダヤ民族がいるというものです。神輿の起源は古代イスラエルの契約の箱だと考えられています。日本の神話に聖書と類似した話がよく見られます。
あらゆるものが時代とともに変化します。宗教も例外ではありません。キリスト教は、初期のものから大きく変容しています。本来のキリスト教は聖書からしか知ることはできないと思います。「武士道」と聖書には、けっこう共通するものがありますよ。

2019/05/06 (Mon) 15:58

ナポレオン・ソロ  

日本と西洋の神様の違い

>ちちんぷいさん ソロです。
 私も私見ですが、日本の神様と西洋で言う神様の大きな違いは、
西洋の神様が、人間が想像で着きりだした神何に対して。日本の
神様は、人間がその存在に気付いた神様だと言う事だと思います。

 それも、日本の神様は、人間の隣にいる神様なんですね、一緒に
嗤い、泣き、心配してくれる有り難い存在、そして、決して怒らず
黙ってこちらの話を聞いてくれる、実に有り難い、親しき存在です。

 其処へ行くと、西洋の神って、シナ山に現れた時も、まるで宇宙
人の様だし、直ぐに怒るし偉そうで怖いGGYの様で、日本の神様の
様な普段の交流なんて、教会に毎週行って居たのに、ちっとも存在
を感じた事が無かった。

 日本の神様は、間一髪の処で、援けて」もろうた事が、何度もあ
るから、要ると思うかと聞けば、怖い目に遭ったやつは大概、要る
と答える。 でも、何宗や、何教か? と訊かれても、答えられん
でも、居るもんはいるんや、其れが日本の神様や。

 どうしても、どんなモンか説明せェ、と言うなら、お天道さまが
ぴったりやね。

 お天道さまの力は凄いでェ、野球しようと思たら、田んぼみたい
やったグラウンドを、観てがっかりしたけど、折角、集まったんや
からと、水を拭きとっていたけど、サッパリやった。 そやけど、
お天道さんが顔を出したら、ものの1時間もせんうちに乾いてしも
て、ノックをうって守備練習練習が出来る様になったもんな。

 お百姓さんもお天道さんがちゃんとした年は。米の育ちがええ
から、起源がええけど、ものには限度言うものもあって、旱魃に
なると、米が取れん事になって、世の仲がタオ変な事に成る。そ
やから、天皇陛下は、毎年の米の出来が心配で心配で、凶作が続
くと、「見の不徳の致す処」とか言って、責任を感じてはる。

 でも、天皇陛下でも神様の上に居るのとちゃうから、旱魃が続く
のはそれ形に理由があるんや、と考えたら、やっぱわしらも身を慎
まんとあかんな。

 と言うのが日本の神道の凄い処で、神様端案にも云わずに、人間
に自然の法則通りの事を与えてたら、人間が勝手に考えよる、と言
う話やけど、こうした話が、西洋にないのは、未だに、泥棒したら
アカンって、言うても、上手に盗れば、ええんやろって、切り替え
して来る。 其れだけ、生存条件が厳しいんやけど、日本の場合、
相手は自然の脅威やけど、西洋の場合は、同じ人間やからね。

 こんだけ、直面して居る現実が違ったら、そりゃあ道徳も違う罠。






























言うのは、

2019/05/06 (Mon) 16:30

そこつモン  

おばちゃんさん、こんばんは。

私が思うに、神道を言い換えるなら「生きかた」でしょうか。
外来の宗教であっても、それをうまく取り入れられたのは、日本人に”お天道様が見てるぞ”で伝わるような素地があったからで、例えば、今でも坊さんは日常のできごとになぞらえて教えを説こうとするし、キリスト教の文学者は生きるのに大切なことは何かを伝えようとします。教義だからこうしなさいという言葉に耳を傾けることは少ないと思います(私だけかも 笑)。
言葉で作られた思想、宗教がそのまましっくりこないのは、それが生きること、生きかたにどう馴染むかをじっくり吟味するからに他なりません。日本人が、言葉を「事(こと)」にまつわる「枝葉(えだは)」と捉えているのがよくわかります。

2019/05/06 (Mon) 22:21

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