おたかさん
2017年05月14日 公開
このタイトルを見て土井たか子やてわかる人は、年がバレてしまうなあ(笑)
元日本社会党の党首で衆議院議長までやった人や。ちょっと前に亡くなりはったけどな。私が子供の頃、政治には興味はなかったけど、選挙の時はいわゆる判官びいきで、強い自民党に立ち向かう社会党、みたいなイメージで軽く気分的に応援してたような気がするわ。
別に政策とかイデオロギーとか関係なしにな。「保革伯仲」とか言われた時代もあったけど、結局単独で政権を取ることはなくて、平成6年(1994年)に「自社さ」政権で村山富市が首相になっただけやったかな?
話は戻って平成元年(1989年)の頃がこの「おたかさんブーム」、「マドンナブーム」のピークやったかも知れんね。社会党の大躍進で、土井さんのゆうた「山が動いた」は有名になりましたね。
当時何も知らんかった私は、いつか「二大政党制」みたいになったらええのになあ、ぐらいに思うてました。
で、この本題のおたかさんですが。土井たか子が実は北朝鮮とつながっていたというのは今ではネットでは常識になってます。中でもひどいのが次の話です。
昭和63年(1988年)8月、北朝鮮による拉致が疑われていた石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの消息を伝える、石岡亨さん本人の手紙がポーランド経由で秘密裏に家族の元に届いたと。この手紙によって、当時行方不明やった3人はやっぱり北朝鮮におるんや、ということがわかったと。
それで、石岡さんと有本さんの家族は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにして、有本さんの両親が土井たか子に相談したそうです。ところが話はなしのつぶてで、逆に平成14年(2002年)の小泉訪朝時に北朝鮮は有本恵子さんは死亡したと伝えてきた。
しかも死亡したとされる日が手紙到着の2ヵ月後やったと。実は土井たか子は、当時その手紙の存在を、朝鮮総連にすぐに通報していたと考えられるということです。すぐに通報したから北朝鮮はこの3人を証拠隠滅のために殺害した可能性は十分にあるというわけや。もちろん、今は政府も拉致被害者の会も、生存を前提に活動してるということですが。
しかもこの土井たか子は、ずっと「先方が拉致なんかないって言ってるんだからないんです」とテレビ番組の中で言っていたらしい。また、北朝鮮が拉致を認めてからもろくに謝罪もしてないということです。
そういえば百田尚樹さんが土井たか子の訃報に際してツイッターで批判してたのが話題になってましたね(笑)