何の役にも立たへん労働組合。あれ?日本人の敵、反日野党を支持してるから当たり前か。


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ナポレオン・ソロ
名古屋・三河の思い出
私も労働組合は、前世期の遺物の一つだと思って居ます、然も、遺して居ても何の益も無い、否、寧ろ有害にしかならないので、排除すべきものと言う認識ですが、嘗ては、会社の組合長として、会社の嘘吐き社長と対峙した事が有りましたね、お蔭で、親会社出のわたし評判は地に堕ちてw 結局、会社を辞めざるを得なかったと言う間抜けなパターンでしたがねww
別に、悔いては居ませんが、やって居た仕事は面白い仕事でしたのし、社外にm仲間が居たのに、皆と会えなくなったのが寂しかったですね。
愛知には56歳の時にトヨタ系列の小さな会社に、4度目の転職をしました、労組は無いけれど、福利厚生が確りしている加医者と言う感じでしたが、労働環境的に地元出身が多くて、実は閉口して居ました。 大手製綱会社の営業をやって居た叔父の弁では「名古屋程、余所者に冷たく、商売がやり難い処は無い」そうで「その証拠に、名古屋に本社を構えるのは、地元企業だけだ」との事。
その原因を調べて看たのですが、直ぐに解りました。 名古屋(尾張)も愛知県(三河)も、昔は、葦の原の荒れ地で、人は棲んで居無かったが、日本武尊が父帝の命に拠って、日本全国で平定活動をして居た頃を端緒に、豪族の尾張氏が主体となって干拓事業を行い、葦の原を、田畑に変えたので、出雲の国を主として、移民が集まり、三河の国が出来たと言う話です。 つまり、三河の国は移民の国なんですね。
それに、尾張は尾張氏の根城で、熱田神宮の歴代の神主を務め射て居ましたが、此処も、木曽三川と呼ばれる、木曽・揖斐・長良川と言う3つの大河が合流して、伊勢湾にそそいで居るので河口付近は低湿地地帯で、此方も葦の原で、棲んで居たのは、長島と言う国の海人族が主だった、此処の一族は、九鬼一族と言って海賊ですが、関ヶ原の時に西軍に着いて、播磨に流されたと言う経緯があって神戸では、知る人ぞ知る名家です。
其れは兎も角、此方も、干拓事業が必要でしたが、今の大垣市辺りから南は全て、対象と、規模が大きい為に、放って置かれたのですが、幕府が薩摩藩に工事を命じたので、遥々薩摩から尾張迄出向いて工事を数十年懸けて行いましたが、相当の難工事で、季節毎にの風水害、で、多くの死者を出して居るので、或る時、一宮市の喫茶店に入って、じもとのひととはなしをしていたら、顔つきを観てか「あんた鹿児島の人?」と訊くので「はい、何で?」と答えると、「この辺りでは、薩摩の人には、足を向けられん、と言うのが常識ですよ」とか言って居ましたねww
ご先祖の業績ですが、誇らしかったですね。 この傾向は、名古屋市内にも有る様で、聞けば、九州の宮崎、鹿児島からの集団就職~地元で結婚した女性、そのママ会社を務めあげた男性が多くて、良く、薩摩弁のアクセントが、未だに、直って居無い小父さんが門衛南下に居て、微笑ましかったりしましたね。 あ、是は大阪でも良く有る事です。
ダカラ、まあ、愛知・名古屋は、固より余所者の街なんですが、そのコンプレックスからか、地元出身に拘る傾向があって、余所者の冷たい処は有りましたね。 其れに、進取の気性と言うか「誰もやって居無い事をする」のが好きで、お菓子でも、シュークリーム大福とか、完全に失敗作なのに、名古屋ネイテイブ達は支持してましたね、大した郷土愛だと思いますwww
さて、労組ですが、仰る通りで、無用の長物で、無能者野掃きだめの様な処が有って、話題にも上りませんね。 其れでも、組合費は天引きされているので「腹立たしい」と、言って居ましたが、本音は、「是も会社が決めた事だと思えば、諦めもつく」程度でしょうね。
ダカラ、この先、長続きはしないと思います。 要は、クズ野党が更にクズ化すれば、皆が見放すだろう、と言うのが大方の味方でしたね。