歴史の教科書をつくるのは、国の一大事やんか。国家の意志を明確にしていた戦前の教科書。

初等科國史



 これ、いろんな意味で読みたかったんです。『[復刻版]初等科國史 文部省』。三浦小太郎さん解説、ハート出版。原版は昭和18(1943)年3月の発行で、国民学校の5年、6年で使用されたということですが、実際には、特に都会では、翌年から学童疎開が始まっていますから、ほとんど使われていなかったのではないかということです。

 旧仮名遣いは現代仮名遣いに改められていますが、小学生用にしては漢字が多いのに驚きます。もちろん、ルビは振ってあります。実は私のお母ちゃんは(もう亡くなりましたが)昭和8年生まれの学童疎開組です。「戦争が終わって学校に戻ったら、毎日教科書に墨を塗らされててんで」とあっけらかんと嬉しそうに話してました。あー、そんなんやからウチのお母ちゃんは軽ーい人になったんか。あ、関係ないか(笑)。

 教科書の扉を開いたら、いきなり天壌無窮の神勅が書かれています。これについては前に書きました(「知らんかった、天照大神の「天壌無窮の神勅」。恥ずかしいな。本来の日本人を取り戻そう。」)。そうです。「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は」で始まる文言ですね。上の記事でも引用させてもらいましたが、西村眞悟さんの書いてはることを、もういっぺん再掲します。

 <天皇の地位は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。これが日本と日本人の真実だ。日本人とは、この真実を公言する者である。>

 國史の教科書の最初にこれが置かれていることが象徴的ですが、戦後のおパヨクの言い方でいうなら「皇国史観」全開ですね。昭和18年と言えば大東亜戦争真っただ中、戦況は日増しに悪くなっていく頃、そんな時に、日本の国の成り立ちをしっかり教えるのは当たり前のことでしょうね。年代表記も皇紀と年号のみ。西暦はありません。そして神勅の次のページには、初代神武天皇から今上天皇までの「御歴代表」が続きます。見事ですね。

 内容の記述はたしかに漢字は多いですがとてもやさしく、これは解説の三浦小太郎さんが書いてはりますが、「やまとことば」を基調とする、美しい文体とでも言いましょうか。解説の中で三浦さんが例として上げてはる部分のテキストはこれです。

 <天皇の御恵みのもとに、国民はみな、楽しくくらしていました。半島から来た人々も、自分の家に帰ったような気がしたのでしょう、そのままとどまって、朝廷から名前や仕事や土地などをたまわり、よい日本の国民になって行きました。(中略)学者や機織・鍛冶にたくみなものが多く、それぞれ仕事にはげんで、御国のためにつくしました。>

 そしてこれについて三浦さんは、次のように解説してくれてはります。
 <このような表現を「古代史を歪曲したもので客観性がない」などと論難する以前に大切なのは、日本の古来の姿をこのように教えることが、単なる当時の政治情勢を越えて、民族や人間同士の交流はこのような可能性を持ちうるのだという一つの理想を、少年時に教えることの意義を認識することである。>

 <「天皇の御恵みのもとに」という言葉が気になって仕方がない人もいるかもしれないが、社会が様々な民族や多様な価値観を受け入れるためには、一定の正当性もまた必要だという当たり前の原則を述べているだけではないか。むしろ、現在世界のあちこちで見られる狭い排外主義に比べて、はるかにおおらかな世界観がここでは素直な文章で述べられている。>

 私の家には子供がでけへんかったんで、今の子供がどんな教科書で習うてるんかは見たことがありませんが、少なくともこの戦前の教科書のように、はっきりとした国家意思を持って書かれてることはあり得へんやろなあ。私が高校以降で習うた「日本史」では、「天皇制ファシズム」とか言うてたからなあ。そうそう、「國史」やのうて「日本史」。

 せめて「国語」は残ってて良かったな。沖縄が「中国」に占領されたら、間違いなく小学生の「こくご」は、「にほんご」になるんやろな(笑)。あ、話を戻して、「天皇制ファシズム」なんて、架空の物語、妄想ですね。そんなインチキ「日本史」を教えられてきたんやな。アホらし。

 あと、この『[復刻版]初等科國史 文部省』で、一つ気が付いたことがあります。本の中では天皇の御事績に関する記述が多いわけですが、当然のことながら敬語が頻出します。やまとことばもあれば漢語もありますが、これを読むことで子供たちは、自然と敬語を正しく使えるようになっていくんやろなあ、と思いました。今はもう子供に限らず大人でも、敬語が乱れきっていますから、もう悲しいなりますね。

 さらに歴史の本に関して、ついでに書きます。
 前に「いまだにウソを書く教科書がある。論争はええけど、まずは日本を貶める奴らと戦わなあかん。」で、八幡和郎さんの、『「日本国紀」は世紀の名著かトンデモ本か』を書きました。そしたら昨日(11/2)の宮崎正弘さんのメルマガ(「令和元年(2019)11月2日(土曜日 通巻第6260号」)で、この八幡さんを含めて、おかしなことを書く人たちのことを批判してはりました。

 宇山卓栄さんの『韓国暴政史 文在寅現象を生み出す社会と民族』(扶桑社新書)の書評の中での話です。

 <大手メディアはいまもって「渡来人が日本にきて」、弥生式文化をもたらし、「縄文の子孫と混血して日本民族が生まれた」トカの陳腐な俗説がある。これらがすべて嘘であることが近年の科学、医学、遺伝子探求などで鮮明になった。これによって溝口優司や八幡和郎らが言ってきた虚説もまた嘘の列にあることが晒された。>なんやそうです(笑)。

 そしてさらに。
 <くわえて近年の邪馬台国を巡る珍説、奇説、愚説の洪水のなかでも「邪馬台国が東征し大和朝廷がはじまった」という井上光貞や井沢元彦、武光誠、古田武彦、上田正昭らの説も正しくないことが傍証される結果となった。>

 思い込みや願望で自説を作ったら恥かくなあ。こうやってみんなが根拠を示しつつ、しっかりと議論ができる土俵を、ちゃんと作らなあきませんね。

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ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 4

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彩希  

本当にあの日、即位礼正殿の儀の日はビックリしたのです。1時に始まることになっていた正殿の儀は少し遅れましたが、朝から雨が降り続いていたのにカーテンに日が射し込み、えっと思って窓を開けたら雲間からではなく青空に太陽がそのまま顔を出し、天照大神だ。天照大神が御自ら天岩戸を開けられたのだとフト思ったのです。後でネットで地上に低く皇居の上に架かった虹の画像を見てゾクッとしました。偶然?う~ん、あの日、あの時間に他の場所ではなく、そして上空にではなく、ちょうど皇居の上に?何十億分の一の確率ですね。青空が出たのだから、あのまま晴れるのだと思っていたら、晴れ間が出たのは儀式が行われていた10分ほどだったらしく、また天気が悪くなりました。

やはり万世一系、男系だけで脈々と受け継がれて来た神武天皇からの正統な御血筋。守り通さなければ日本国は神の国では無くなってしまいます。11月14日、天皇陛下におかれましては御一代一度の重儀である「大嘗祭」に臨まれ御神威を得られる存在となられます。陛下の御存在は國軆破壊を目論む、並みいる邪なさもしい連中などを悉く打ちのめし滅ばすであろう。負けへんで~!ということで締めたかったですけど、もう一つ。

今、半島に居る李氏朝鮮人と古代朝鮮人とは別の人種であると言うことです。このことについてはネットに色々よく書かれていて知られてますが、韓国政府がひたすらに覆い隠して来たことをコメント欄で見つけました。

百済の王族の墓から発掘された骨のDNAを分析すると、そのすべてが現代の韓国人・朝鮮人とは別の人種であることが判明している。これは韓国の歴史学界・考古学界では公然の秘密である。
つまり百済の文化は古代の朝鮮半島に花開いた文化ではあっても、韓国人の先祖の文化ではないのだ。

中国なんか王朝が代わる度に民族が入れ替わっているのですから、民族が違う、人種が違うことを別に何も隠さなければいけない恥ずかしいことではないと思いますが、古代朝鮮との継続性を主張しなければ、李氏朝鮮民族としては何も語るべき歴史がなかったからだということに尽きると思いますね。

2019/11/04 (Mon) 05:55

キラーT細胞  

私も此の本を贖入して讀んでゐるところです。
仰る通りの良書ですが、舊字舊かな則ち正統表記が略字新かな則ち占領表記に改竄されたのは洵に殘念です。戰後の國語改革は國語破壞であり、我國の文化破壞以外の何物でもありません。國語は皇室と共に日本文化の中核ですから。自衞隊も國民の生命財産ではなく皇室と國語を守る爲にあるのです。改憲を叫ぶ保守派の人達も國語に對しては無頓着なのが悲しいです。

2019/11/04 (Mon) 07:31

Bell  

歴史教科書もですがもっと大きな話で、戦後、『教育業界』という場においても日本は外国勢力にやられてきました。
その結果、バブル経済の発展もあって『お金』『マネー』の力が支配する世界となり、戦前の日本にはあった義理人情という美徳も失われていきました。
金儲けに走った人間が多くなったわけです。

戦後、日本国・日本人の復活を恐れた共産主義GHQは、大蔵省や文部省へも介入し、教育業界へも介入しました。
自分たちの息のかかった共産主義に同調する役人を送り込み、抵抗する役人たちを追い出しました。

皇室制度をつぶし、日本の共産主義化をねらっていました。

戦前の学校教育には普通にあった、神道などから来ている教えも、GHQが教育内容から排除していったのです。

中国や朝鮮が歴史を改ざんする習性は、中国や朝鮮の歴史を見れば明らかです。当然、日本に入り込んできた中華朝鮮工作員は日本の歴史教育にも介入してきました。
今の文部科学省にもまだ親中親韓派がおり、補助金などの問題で炎上したりしています。

『シニア左翼』という言葉がありますが、今60歳代あたりの人たちがそれにあたり、QHQが介入した自虐歴史史観教育の呪縛を受けています。
反戦運動やデモなどをやっているのも彼らが中心です。

最近の歴史教育では『聖徳太子』も消されるらしい。

2016.06.16 現代ビジネス(講談社)
聖徳太子が歴史から消える日~『世界一受けたい授業』河合敦さんが教える、日本史教科書のミステリー(河合 敦)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48884

2017.3.20 産経ニュース
次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活
https://www.sankei.com/life/news/170320/lif1703200006-n1.html
>文科省は改定案公表後にパブリックコメント(意見公募)を実施。呼称の変更に批判的な意見が多かったほか、

パブリックコメント(意見公募)が実施されたときは、私たち日本人もはっきりと声をあげたほうがいいですね。

2019/11/04 (Mon) 12:02

ナポレオン・ソロ  

宇山さんの歴史は画期的です

 ご紹介の宇山卓栄さんの宮崎さんの書評は、3日の「縦椅子の
ブログ」でダイジェストが上がって居ましたので、感想をコメン
トしました。

 色々、有りますが2点程、先ず1点目は、ブログ主が言って居る
様に、日本の成り立ちについて、ですが、魏志倭人伝をベースに
して、大和朝廷成立前を語るとか、実はアナクロニズムそのモノ
なんです。

 と言うのは、年代測定に使う炭素の同位体をC12→C14に変えた
だけで、其れ迄の年代が500年以上遡る事に成り、Bc2~3世紀だ
とされて居た弥生時代の始まりが、BC6~7世紀に、遡って皇紀の
2678年は正当で有る事が判りました。

 すると、魏と言うのは、三国志に出て来る曹操が創った国でAC3
柄4世紀に存在した国ですカラ、約千年の差が生じて居ますよね。

 ダカラこの時点で、魏志倭人伝は、第1級資料処か、史書としての
価値は無い事に成ります。 随い、邪馬台国も卑弥呼も、後年の創作
で有る可能性が高い、と言う訳です。

 そして、もう1点、白村江事件ですが、この前提として朝鮮半島の
南半分「=今の韓国」には、任那・百濟・新羅の三国があって、任那
が、他の2国を日本の代官国てきな立場で、統治して居た。と言う事
を書いて、実は、仲哀帝と神功皇后が行った三韓征伐の三韓とは、後
着けの話で、任那・百濟・新羅の事だったと言うものです。

 大体、仲哀帝は即位したばかりの帝でしたが、大和朝廷の故地である
九州の地で、熊曾族が背き三韓と共に朝廷に反旗を翻して居る、と言う
一大事が勃発、熊曾の平定は、父君日本武尊の遺業でも有ったので、忘
れ形身でも有る帝としては、否が応でも、張切らざりを得なかった部分
があったのでしょうが、岳父の遠征軍の将軍を務めて居た、武内宿祢の
「三韓征伐を先にすべし」と言う進言を抑えて、熊曾との戦いに臨みま
すが、敵の矢に当たって終い薨去されます。

 三韓征伐自体は、この後、身重の皇后が、軍勢を率いてうにを渡り、
見事平定されたのですが、固より、三韓の反乱は、熊襲の陰謀で有った
可能性が高い、武内宿祢は、其処を読んで三韓征伐を先に片付ける事を
進言したのだった。

 結局、故地の九州には、反王朝勢力が存在して居た、と言う事でしょう
この後も、磐井の乱や隼人大乱が起っていますので、九州は倭国大乱の舞
台にもなった処で、カナリあと迄、難治の地であった事は、大宰府に鎮守
台があった事で分りますね。

 其れで、白村江ですが、時間の経過と共に、シナの王朝がクルクル変り、
とうとう鮮卑族の王朝である隋や唐が現れるに至って、日本の半島統治も
任那任せでは、無理になって居た様です。

 殊に、唐の侵略が咋になり出して、都度、百濟と新羅から、応援の要請
を受けますが、この百濟と新羅自体が犬猿の仲、ある日、新羅が突如、唐
に寝返って百濟を攻撃し始めたとの報を受けた、日本に人質で居た百濟の
王子は時の帝、斉明帝(女帝)に援軍を出してくれる様に哀訴しました。

 すると、斉明帝は、既にかなりの高齢だったのも拘わらず、御自ら、軍を
率いて、九州へ向かいますが、途中で病に倒れ、福岡で薨去されます。 是
は、神功皇后の前例に倣ったものかもしれませんね。

 そして、この後、帰国した王子は、くだらの重臣達が籠城を主張するのに
激高して重心を斬り殺して、勝手に兵を動かして終います。 それが原因で
日本・百濟連合軍は総崩れとなって、百濟は滅亡しますが、当の王子は、そ
の後、高句麗に匿われて、余生を送って居ます。

 此処で、何故、斉明帝が御自ら出陣為される様な無謀な真似をしたのかと
言高札で、宇山氏は「其れだけ、自国の領土であると言う意識が強かった」
と解説して居ます。

 そして、後継の帝である天智帝は、半島から全ての日本の軍勢を引き揚
げて、爾後、朝鮮海峡を国境とするのですが、是も、斉明帝出陣と同じ位
吃驚する新説ですね。 そう言う意味で、画期的な本だと言えます。





2019/11/04 (Mon) 17:50

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