今日は大嘗祭。これが何で一宗教の私的な行事やねんな。日本の神話とつながる国家的行事やで。

自転車小


 今夜から明日にかけて、大嘗祭が行われますね。産経新聞ではわりと詳しく紹介してましたが、反日かつ日本国民の敵、朝日新聞はどうなんかな?(笑)。祭祀の内容は基本的には秘儀なので、公開でけへん部分があるというのは当然やと思いますね。それが千何百年も続いて来たことは、日本だけやのうて、世界史上の奇跡やな。

 結局、板葺きを茅葺きにはでけへんかったようですね。産経ニュースでは
 <主要三殿の屋根は平成まで茅葺(かやぶ)きだったが、今回は経費削減と短い工期を考慮して、板葺(いたぶ)きに変更された。ただ、梁(はり)や柱の建材に皮付きの丸太を使う伝統は令和でも受け継がれている。>と書いてましたね。

 柱だけ皮付きの丸太にしたんかいな。ふうん。伝統をこうやってなし崩しに簡素化していって、いつかは無くしてしまう、と。そう考えると何やら陰謀論ぽいけれど、実際のところは宮内庁はただの寄せ集めの二流、三流官庁やから、波風立てずに無事に終えることだけを考えてることでしょう。後世でその不明を指摘されたところで、もう自分はおらへん、と。あー恥ずかし。

 私が日ごろ思うてることを、今日の産経新聞では主張(社説)でも、正論でも出てました。まずは主張(「令和の大嘗祭 陛下の祈りは国民と共に 日本の公事と位置づけよう」)。実は私も前に「秋篠宮殿下には国民へのお心遣いはまことに有難くも、残念なご発言でした。」で書きましたが、皇室の祈りに関する行事はどれもこれも、国民の安寧を祈るもんやから、私的なものであるはずはないやん、と思いますね。

 <そもそも政教分離は宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教を分離しようとした規定だ。天皇陛下や皇族方は権力者ではなく宗教団体も擁しておられない。神道の形式をとる宮中祭祀を、政治権力と分離すべき一般の宗教と同列視する必要は全くない。>
と産経新聞の主張では書いてはります。

 私は「覚醒」前は興味もなかったんですが、いろいろ知ってしまうと、そもそもGHQの「神道指令」が無茶苦茶なもんやったということですね。神道が一宗教とされてしもた、と。ここ一連の天皇即位の儀式を見てると、日本人にはものごっつい自然に受け入れられてるし、何にも難しいことを言う必要なんかあらへんやん、と思いますね。

 ちなみにWikipediaで「国家神道」を見てみると、
 <国家神道は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的概念である。皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道」(神社を中心とする神道)を指す語である。1945年(昭和20年)のGHQによる神道指令において「国家神道」の廃止が命じられており、「国家神道」という言葉はこの時に初めて使用されて広まったものである。>

 ふうん。(国家)神道は、アマテラスオオミカミを祖先神とする単なる宗教なんかいや。そしたらキリスト教やらイスラム教やら、果ては創価学会やらオウム真理教なんかとも同列かいな。そんなアホな!いやいや、神道は日本の神話と皇室がつながる、日本そのものやんか。何が宗教法人や。

 そしたら同じく今日の「正論」で、小堀さんも書いてはりました(「令和の大嘗祭を迎えるに際して 東京大学名誉教授・小堀桂一郎」)。実は30年前の平成の大嘗祭のときにも議論がされていて、その時の議論の詳細な記録を神社新報社が編纂して資料集にして、発行しはったんやそうです。当時においても、有識者会議でも言論界においても「政教分離」を言う人と、これは宗教やない、という人の2つに分かれていたんやそうです。

 <一方は現行憲法の持つ政教分離原則と戦後民主主義特有の「国民主権論」に呪縛されて、大嘗祭といふ宗教儀式を国家の公的行事として斎行する事に反対する立場であり、他方は古代の律令制度下に発祥し千数百年余の皇室祭祀伝統と国民の総意とに支へられて来た即位儀礼には、現行憲法の束縛を超える伝統の重みがあり、その意義の無視は許されない、とする立場である。>

 ふむふむ。そして小堀さんはもちろん、後者の立場ですね。ところが現憲法では20条で政教分離を言い、89条で宗教に公金を支出したらあかんと書いてある、と。せやから実は、これを変えるのは9条を変えることよりも、ものごっついエネルギーが要るんとちゃうか、と書いてはります。

 つくづく、GHQはいらん憲法を作ってくれたもんやと思いますね。小堀さんの最後の文を貼り付けときます。

 <今回の大嘗祭斎行といふ機縁に際し、国内草莽(そうもう)の有志達は一つの選択を迫られてゐる。現憲法の持つ政教分離原則は、その淵源を辿(たど)れば是亦米占領軍が日本国弱体化政策の一環として国民の血肉に深く突刺しておいた棘(とげ)である。この棘を抜き捨てない限り、我々は悠久の古代以来培つてきた精神生活の根幹を守り通す事が出来ない。>

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ナニワの激オコおばちゃん
Posted byナニワの激オコおばちゃん

Comments 6

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でゅーぷす  

実は陛下より先に、新米を口にしてしまった・・・(ごめんなさい)
でも、美味しかった・・・(感謝いたします)

先日、仕事関係の方と話していて、天皇陛下の話題となりました。その方に、昭和天皇の玉音放送について聞いてみると、案の定「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び ”敗戦を受け入れた”」、と理解していたようです。
そこで私がお言葉を、このまま戦争を続ければ、無辜の人々が命を失なってしまう、そこで敗戦を受け入れることにした。この先、どんな苦難があっても「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び ”心をあわせてこの国を作っていこう”」、そんな感じの意味だと説明すると、その方は驚いた様子でした。

以前の私は、戦争責任が頭をよぎり、君が代を歌ったり、国旗や愛国心という言葉に、違和感がありました。しかし、本来の玉音放送の意味を知り、その時、初めて昭和天皇陛下を心から尊敬できるようになりました。私の場合、棘を抜くのに半世紀あまりかかったということです。

今では、こころおきなく国旗を掲揚しますし、先日の祝賀式典もテレビの前で、君が代こそ照れくさく控えめでしたが、そのあと、ばっちりそろって万歳三唱いたしました(手の平は内向きに 笑)。実に、気持ちが良かった。

2019/11/14 (Thu) 17:45

彩希  

読まれた産経ニュースの記事って、これとは別でしょうか?今朝の遠藤さんの記事にリンクされてた記事を読みました。松明の明かりだけで行われる儀式で神々しいですね。47都道府県からもお供え物が届けられていることも知らなかったです。 〉はリンク記事。

►天照大御神から伝わる重要祭祀「大嘗祭」はこのように行われる 産経新聞
2019.11.13 14:22ライフ皇室

《画像》平成の大嘗祭に臨まれる上皇さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
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 皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」は、稲作を中心とした日本社会に古くから伝わる収穫儀礼に根ざした儀式だ。戦国時代の前後に中断した時期もあったが、江戸時代に再興され、現代まで受け継がれてきた。近代には「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる全国の特産品などもお供え物に加わり、国民との接点も広がった。大嘗祭で天皇陛下は国民の命の源である自然の恵みに、深い感謝を示される。(篠原那美)

《画像》拝礼のため悠紀殿わきの帳殿へ進まれる上皇后さま=平成2年11月22日、皇居・東御苑
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皇祖神・天照大御神から伝わる収穫儀礼

 毎年11月、宮中では「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる。天皇が新穀を神々に供え、自らも口にし、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧を祈る重要祭祀だ。特に即位後初めて行うものが「大嘗祭(だいじょうさい)」で、一世一度の儀式とされる。その起源はどこまで遡れるのだろう。

 日本最古の歴史書「古事記」と「日本書紀」には、皇祖神の天照大御神や古代の天皇が「新嘗の祭」を行ったとする記述がある。宮内庁は大嘗祭を「新嘗の祭」に由来すると説明。これらの歴史書が編纂された奈良時代より前から伝承されてきた収穫儀礼に根ざした儀式としている。

 7世紀半ばまで、毎年行われる新嘗祭と大嘗祭との区別はなかったが、7世紀後半の第40代天武天皇、41代持統天皇のときに区別されるようになったという。以後、大嘗祭は重要な即位儀礼として歴代天皇に継承されてきた。

 ところが、室町時代に転機を迎える。戦乱や朝廷の困窮などを理由に、1466年の第103代後土御門天皇を最後に、大嘗祭は221年間、中断した。

《大嘗宮》の内部見取図
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 再興したのは江戸時代、第5代将軍、徳川綱吉のとき。当時在位していた第112代霊元天皇は譲位を申し出て、後を継ぐ東山天皇の即位に際し、大嘗祭の復興を幕府に強く望んだ。

 当時の幕府は、国内統治に儀礼を重視しており、1687年、東山天皇の大嘗祭の挙行を認めた。続く中御門天皇の即位の際には行われなかったが、その次の桜町天皇から現代まで続いている。

 明治以降の大嘗祭では、亀の甲羅を用いた占い「亀卜(きぼく)」で決まる悠紀(ゆき)地方、主基(すき)地方の新穀だけでなく、「庭積(にわづみ)の机代物(つくえしろもの)」と呼ばれる農産物や海産物も供えられるようになった。

 特に大正以降は全国から特産品が寄せられ、令和の大嘗祭では、47都道府県から3~5品ずつ野菜や果物、海産物の干物などが供えられる。

〉大嘗祭にむけ各地から特産品が納品

 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏は「庭積の机代物は自然の神々から賜る食べ物の豊かさを示す。大嘗祭は国民生活に不可欠な『食べ物の祭り』でもあることに注目してもらいたい」と話している。

《庭積の机代物として全国から届くお供え物の一覧》
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最も神聖なご装束

 数ある宮中祭祀のうち、大嘗祭が重い儀式とされているのは、天皇陛下のご装束からもうかがえる。

 陛下は大嘗祭の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」に臨むため、まず身を清める「廻立殿(かいりゅうでん)」に向かうが、その際に「帛御袍(はくのごほう)」を身につけられる。「即位礼正殿(せいでん)の儀」の10月22日朝、これに先立ち、宮中三殿で行われた儀式で着用された白い束帯だ。

報道陣に公開された大嘗宮=13日午前、皇居・東御苑(桐山弘太撮影)
その他の写真を見る(5/5枚)

〉完成した「大嘗宮」を報道陣に公開

 陛下は廻立殿に入ると身を清める潔斎をし、最も神聖な白い「御祭服(ごさいふく)」に着替えられる。この御祭服は精練されていない絹「生絹(すずし)」で仕立てた装束で、陛下が自ら、「神饌(しんせん)」と呼ばれる新穀などのお供え物をささげる大嘗祭と新嘗祭のときにだけ着用される特別なものだ。

 皇后さまは白い十二単姿、皇族方は即位礼正殿の儀で着用した古装束の上に、清浄を表す「小忌衣(おみごろも)」を身につけて臨まれる。

〉大嘗祭で供える麻織物「麁服」 調進の人々「立派な物ができあがった」

 儀式は14日、各地の特産物「庭積の机代物」を供えるなど準備が整えられたうえで、午後6時半に陛下が東側の「悠紀殿(ゆきでん)」に入られるところから始まる。

〉14日に「大嘗宮の儀」 儀式の詳細は「秘事」

 皇后さまは「帳殿(ちょうでん)」、男性皇族は「小忌幄舎(おみあくしゃ)」、女性皇族は「殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)」でご拝礼。その後、神饌を準備する「膳屋(かしわや)」から新穀などの神饌が悠紀殿へと運び込まれる。陛下は悠紀殿内の内陣の御座に座り、「采女(うねめ)」と呼ばれる女性らの手伝いを受けながら、神饌を自ら供えられる。続いて拝礼し、五穀豊穣と国家安寧を祈る御告文を奏上した後、ご自身も米、粟、神酒を口にされる。

 西側の主基殿でも日付が変わった15日午前0時半から、同様の祭祀が行われる。

2019/11/14 (Thu) 17:47

彩希  

ごめんなさい。貼り忘れです。リンク先も、其々興味深かったです。何しろ何十年に一度しかない皇室の神事ですから。

https://www.sankei.com/smp/life/news/191113/lif1911130027-s1.html

2019/11/14 (Thu) 18:05

ナポレオン・ソロ  

 大甞祭の挙行が無事終了してよかったですが、その儀式の内容
に、大幅な割愛が含まれている事は、仰る様に大変遺憾な事でした。

 抑々、政教分離と言う考え方自体、政教を混同して居た未熟な
欧州社会の経験知から出たものでしょうが、日本は1200年前から、
威力分離「=権威者と権力者を分ける」を、王政の中に持ち込んだ
独自のシステムを取って来たので、固より、政教分離は成されてい
たと、考えるべきです。

 是が現実に一番即したシステムだったから、1200年もの間継続
して来たのです、其れを全く読み取れなかったGHQの民政局の左翼
は、端から、日本の政体を、全く理解して居無かった、と考えるし
かありませんね。

 智慧の足りないモノは、優れた智慧の結果を理解できない、と言
う、科学的には、当然過ぎる現象が起こって居たと言う事ですね。

 是も、彼らが、歴史を軽視して居た上に、白人至上主義に凝り固
まって居るカラ、現実を冷静に観察して居無いし、比較しようにも、
抑々、自身の歴史を知らないので、判断しようが無い、知性が働か
ず、マルクスの宗教否定に従って終い、世界に他に類を見ない優れ
た政体をみのがして、無くそうとして終った。

 智慧を世間に開示して、以て、先人の経験知や知恵を、人類の
将来の為に資するのが務めの筈の学者にしては、致命的な失態だ
と私は思います。 愚かな事です。

2019/11/15 (Fri) 06:57

小雀  

日本人固有の宗教です

宗教という自覚は無いのですが、日本人のアイデンティティを形成する価値観につながっていると思います。
これは、外国人には無い価値観ですし、一般的外国人に説明して、理解できるとも思いません。
そもそも、神道に布教活動の教義はありません。
その時点で、キリスト教やイスラム教とは違います。
日本人固有と言っていいのではないでしょうか?
だから、無差別にご皇室を開く必要はないと思ってます。

現代日本人が受ける教育のせいだと思いますが、日本人は、人類は共通の価値観を持ってるような錯覚を持ってます。
しかし、日本で生まれ育った外国人を含めて、日本人と共通の価値観を持ってるとは思いません。
ご皇室には、内政干渉やリベラル系進歩的知識人の意見も必要ないと思いますけど、今の皇室会議のメンバーって、どうなってるんでしょうか?
経済系知識人なんかが入ってたんじゃないでしょうか?
この手の人をご皇室の重大なことを決める会議に入れるのが良くないと思います。

2019/11/15 (Fri) 11:08

あ  

おおなめさい

これも間違いではないのではないかと。
新興宗教と勘違いされそうですが、これもあり。
制と制度の物言いの違いに目くじら立てるのと同様とも思います。

J,Q,k と来て
Where the Jokers are ?
と。

あ、八、九割はまともで、
残り、怪しいのは、読んでないよ、ここんとこ。
そのうち、憑きとめてやる,、、?キリ !





2019/11/15 (Fri) 18:34

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