非常事態宣言はかつて朝鮮人と日本共産党らが起こした阪神教育事件でGHQが発令した例がある。


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彩希
戦後、唯一非常事態宣言が出されたのは阪神教育事件の時ですが、共産党と朝鮮人が起こした蛮行テロ事件なら、これだけではありませんね。随分前に保存した資料のこと思い出してまだあるかしらと探したら残っていました。終戦後、焼け野原にされた日本で、こんな目に遭わされながら日本人はどうやって生き抜いたのかと思うと悔しくて涙が出ます。そして、護衛も付けずに全国津々浦々、御巡幸された昭和帝のことも思います。例の人権が~差別が~と被害者ぶって制定された川崎条例や大阪のヘイト法ですが、帰国事業で帰国しようとしなかった在日朝鮮人が、戦後の密入国者達が居残って居座っているのです。犯罪者は追われることなく奪った土地に住みついたままで、しかも大半が生活保護を受けて遊んでるのに、人権が~差別が~と加害者達が大威張りですから。
▽永久保存版 「日本共産党と在日韓国朝鮮人が引き起こしてきたテロの数々」/在日犯罪者
・朴烈事件(大正12年):民潭創設者・朴烈が起こした天皇暗殺未遂テロ
・直江津駅リンチ殺人事件(昭和20年):満員列車で起きた在日による日本人リンチ殺害
・大阿仁村事件(昭和20年):在日鉱山労働者が栗林に無断侵入&警官と乱闘
・生田警察署襲撃事件(昭和20,21年):山口組成長のきっかけとなった在日による警察署占拠事件
・首相官邸デモ事件(昭和21年):生活物資の優先配給を求めた在日が暴徒化
・坂町事件(昭和21年):闇市の取締りに反発した在日による暴力事件
・新潟日報社襲撃事件(昭和21年):坂町事件の記事の撤回謝罪を要求した在日による暴行
・富山駅前派出所襲撃事件(昭和21年):犯罪人解放を狙った在日による警官襲撃
・長崎警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人釈放を目的とした在日集団テロ
・富坂警察署襲撃事件(昭和21年):犯罪人逃亡を企てた在日による警察署占拠
・尾花沢派出所襲撃事件(昭和22年):闇米を摘発された在日が派出所を襲う
・阪神教育事件(昭和23年):GHQが戦後初めて非常事態宣言を布告した大規模テロ
・評定河原事件(昭和23年):北朝鮮国旗掲揚を巡った在日と米軍憲兵との乱闘
・宇部事件(昭和23年):山口県宇部市における在日による生活保護要求テロ
・益田事件(昭和24年):密輸入物資隠匿で摘発された在日を巡る襲撃テロ
・枝川事件(昭和24年):集団窃盗犯逮捕に絡んで起こった在日による警察官暴行拉致事件
・高田ドブロク事件(昭和24年):密造酒醸造犯による脅迫暴行デモ
・本郷事件(昭和24年):朝鮮人地区の地図作成に対する在日の集団暴行
・下関事件(昭和24年):韓国政府の在外国民登録に反発した在日が暴徒化
・台東会館事件(昭和25年):朝連解散&朝連会館接収を拒否した在日が起こした公安事件
・連島町事件(昭和25年):朝鮮解放5周年集会に集まった在日による暴動
・長田区役所襲撃事件(昭和25年):在日が生活保護を要求して襲撃
・四日市事件(昭和26年):朝連支部接収に反対した在日が起こしたバイオテロ
・王子朝鮮人学校事件(昭和26年):東京朝鮮学校による違法印刷物を巡った在日の暴動
・神奈川事件(昭和26年):神奈川県朝鮮人学校PTAによる暴力事件
・下里村役場集団恐喝事件(昭和26年):生活保護と強制送還阻止を求めた在日が村役場を占拠
・東成警察署催涙ガス投擲事件(昭和26年):警察が同胞を殺したとデマを流し暴徒化した在日によるテロ
・軍需品製造工場襲撃事件(昭和26年):東成署事件の追悼集会で在日が再び暴徒化
・半田一宮事件(昭和26年):密造酒取締に抵抗した在日が警察署を占拠
・日野事件(昭和26年):在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊による違法デモ&暴動
・万来町事件(昭和27年):生活保護増額を却下された在日が集団で福祉事務所を襲撃
・木造地区警察署襲撃事件(昭和27年):日本共産党の指示で在日が起こした襲撃事件
・姫路事件(昭和27年):民潭と総連間の抗争事件
・血のメーデー事件(昭和27年):左翼団体と在日による皇居外苑における騒乱事件
・上郡事件(昭和27年):日本の公立学校入学を巡った在日の内ゲバ暴行事件
・八坂神社事件(昭和27年):在日デモ隊が大阪東成・八坂神社に無断侵入
・宇治事件(昭和27年):在日による複数の派出所占拠
・多奈川町事件(昭和27年):密造酒一斉摘発に抵抗した在日が集団暴徒化
・田川事件(昭和27年):日本人花見客と在日グループとの争いで死亡者が出た暴行事件
・大村収容所事件(昭和27年):韓国が強制送還引取拒否した在日犯罪者達が収容所内で暴徒化
・広島地裁被疑者奪回事件(昭和27年):裁判中に在日放火犯を奪還し逃走
・桜井町事件(昭和27年):旧朝連系在日よる民潭系在日への襲撃事件
・奈良警察官宅襲撃事件(昭和27年):桜井町事件検挙に反発した在日が警官宅を襲撃
・高田事件(昭和27年):旧朝連系在日による民潭&派出所襲撃事件
素浪人
答えは一つ
今日は。往古の我が国は戒厳令が出せた普通の国でした。それを踏まえれば…
ニフォン酷拳法下に成立した政府を打倒、換言すれば、大日本帝國憲法と皇室典範とをきちんと元に戻して、その下に『大日本帝國』の新政府を作りましょう、ということでしょうね。それ以外はイラネ、というのが、今回のコロナ一件で再確認された愚生の心境です。
おまけ:帝國の名称は、明治時代に当時の列強世界情勢から名付けられたものであり、大日本の国号さえ冠すれば、例えば『大日本皇國』を正式名称に変更しても我が国の國體を損ずることなく問題無いと考えています。
目覚め
No title
おばちゃん様
いつも楽しく読ませていただいてます。
以前、大学の公開講座で講演された方(クリスチャン)が、ホームぺージ(神戸支縁機構)に阪神教育事件(神戸事件)を載せてます。
ちょっと恐ろしくて、ぞっとしますね・・・。
長いですが、この場をお借りして転載させていただきます。
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獄やにあって愁いは多く 夢はなお果たせない
晴れわたった空の月が 刑務所の建物を照らしている
故里の村に雲の湧き
高い木の梢に 鳥が啼いて 日の傾くのを想う
いまはむしろ死すとも 富貴をむさぼるときでない
自分は獄中の身だが 憤りの声は世にあふれている
教育闘争の四・二四
年々歳々 その心は忘れられることがない
(朴 柱範 1948年11月30日 )
敗戦後,70余年前の神戸で行なわれた「神戸事件」について語られることはほとんとどありません。忘れられています。「阪神教育事件」,「阪神教育闘争」,「4・24(サイサ)教育闘争」とも呼ばれます。米軍占領下で一度だけ非常事態が神戸で宣言されたことがあるのです。1948[昭和23]年1月24日,文部省学校局長は各都道府県知事に対して,「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という通達を勧告。同年4月10日,兵庫県岸田幸雄県知事は朝鮮人学校に対して,閉鎖するように命じました。全国各地で民族学校を死守するために在日コリアンは立ち上がりましたが,神戸と大阪の抵抗は最も熾烈を極めたから,「阪神教育闘争」と言います。やっと自分たちの民族の言葉で勉強できる学校を期待していた在日朝鮮人たちはがっかりしました。抗議のため,全国から日本人を含めて[主に日本共産党員],神戸市湊川公園に4万5千人が集まりました。4月24日午後23時,戒厳令が出されました。知事や市長などの権威を無視して,アメリカ軍は軍隊を発動し,日本の警察動員にも介入し,非常事態宣言を行なう戒厳令があったことを歴史で教えるべきでしょう。
朝日新聞号外 1948年4月25日付け
地元の人たちの外出は禁止されたのです。25日から29日までに,兵庫県内だけで1590人[全国では7295人]が検挙されました。日本人9人と在日朝鮮人8人が,重労働4年以下の判決を受ました。この数字からも戦後すぐの日本共産党の活動の中核をなしているのは在日朝鮮人たちであったことがわかります。在日朝鮮人に対して,最高重労働15年の判決も出されたのです。刑期終了後は本国に強制送還されることになりました。在日本朝鮮人連盟県本部委員長を務め,尊敬されていた64歳の朴柱範[パク・チュボム 1885-1949]さんも病身のまま,神戸刑務所に投獄されました。1949年11月,拷問と老体のために仮釈放の4時間後に他界しました。大阪では,学校閉鎖の反対のデモに加わった金太一(キム・テイル)少年(16歳)が大手前公園で1948年4月26日午後3時40分に警察によって射殺されたりしました。
3月31日 岸田幸雄兵庫県知事と小寺謙吉神戸市長は朝連が運営している灘初等学院,東神戸初等学院,西神戸初等学院と建国青年同盟が運営している4校に立ち退きを命令。
4月10日 県知事は,朝鮮人学校に対して,封鎖命令を出した。
4月14日 朝連は,兵庫県庁を訪れ,知事との交渉を要求。
4月23日 警官隊とMPは,朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖。
4月24日 封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が,兵庫県県庁前に集結。9時30分 兵庫県庁知事室で,岸田知事,小寺謙吉神戸市市長と検事正ら15人は朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と,在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。朝連は兵庫県知事室での密談の情報を入手し,約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後,壁を打ち破って知事室になだれ込み,岸田幸雄やMPを監禁。在日朝鮮人や日本人約100人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち,「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを知事に要求。
17時 知事は「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を誓約。
22時 岸田知事,吉川副知事,市丸検事正,田辺次席検事,出井兵庫県警察長,古山神戸市警察局長らはアメリカ占領軍兵庫県軍政部に招集。
23時 兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令。日本の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入った。兵庫県庁への乱入者の徹底検挙が命じられ,知事が誓約した「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などはすべて無効とした。
4月25日早朝 アメリカ軍憲兵と日本警察官は兵庫県庁への乱入者を検挙し始めた。
朴さんは1927年来日し,神戸市東灘区に住んでいました。30年代はじめには関西学院神学部出身の金英哲牧師とともにキリスト者として働いています。賀川豊彦から始まった阪神消費組合の設立にも参与され,後に理事に就任しています。村会議員を2期務めています。1948年に,自分たち民族の言葉で教育することを許可して欲しいと立ち上がりました。当時,朝鮮半島はまだ北と南に分かれていがみあっていない時期でした。※
※[大韓民国(48.8.15)/朝鮮民主主義人民共和国(48.9.9)成立]。
「神戸事件」の責任を問われた朴さんの墓は日本のどこを探してもありません。しかし,朴さんの命がけのねばり強い嘆願によって,同年5月,朝鮮人団体と文部省が「朝鮮学校は私立学校として認可する」などと調印しました。朴さんは自分の死と引き換えに,朝鮮学校はなくならず,今でも残っています。朴さんは,在日同胞が差別,偏見,抑圧により,うめき苦しんでいるのを見て,モーセのように立ち上がりました。来日した朝鮮人にまず言葉を教えました。身寄りがない朝鮮人のために身元保証人に喜んでなりました。裁判事件になったりすると,釈放のため自ら保証人を引き受けたりしました。在日朝鮮人の間では指導者として信望が篤かったのです。
50年を経た1998年に次女朴再禮さんが神戸に招かれました。その際,「こんなかたちで亡き父を追悼していただき,本当にありがとうございます」と語ったのです。
ただし,アメリカ連合軍は,朝鮮民族学校に義務教育を適用しませんでした。自動車学校などと同じように各種学校扱いのままで今日に至っています。
現在,200万人以上の外国人が日本に住んでいます。毎年1万人以上の外国人が日本の国籍をとっています。国際結婚も増えています。国籍が二つある子どもも珍しくなくなっています。しかし,日本は「多民族・多国籍」の人たちが住むのにふさわしいとは言えません。学校でのいじめや,友だちができないなどの理由で就学していない子どもの割合は約7%にもなっています。日本には朝鮮学校,中華学校などは100校ほどあります。ところが,海外諸国とちがって,日本だけがいまだに外国人という理由で助成金を出しません。ですから通学定期券がとれないとか,授業料の消費税などの不自由が多くあります。チマチョゴリを着ているだけで,通学の時に日本の学生たちから,「朝鮮人なんて皆死ねばいい」「チョゴリを着たやつは殺す」と謂われない侮辱を今でも受けたりします。差別がなかなかなくなっていません。(2008年司法書士人権フォーラム作文最優秀賞)。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/03/0803j1215-00002.htm
多民族・多文化の問題を真剣に考え,共生することができるようになった国にカナダがあります。カナダから小中学校の教師が神戸に来て,人権について日本の教師たちと交流します。多民族・多文化共生はできるのでしょうか。
2009年4月20日~25日の神戸滞在中,小学校,中学校などを精力的に訪問。4月24日の神戸事件[阪神教育事件]を記念する日に,神戸バイブル・ハウスでシンポジウムが開かれます。「主権国家」,「固有の領土」(英語にできない)などを主張すればするほど問題が山積する中で,多民族・多文化共生が日本でもどのように定着するかをご一緒に考えてみましょう。
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miku
コロナより恐ろしい令話恐慌
令話恐慌が始まります。
コロナよりも、経済困窮での自殺者の方が増えると思います。
政府は、本来なら消費税をゼロにし、社会保障費も当面の間徴収せず、
企業や個人の負担を減らすべきなのですが
安倍さんが提言したのは「無利子にするから、借金してください」
これでは借金で首が回らなくなり自殺をするか、廃業に追い込まれ自殺をするか?
最低でも10兆円規模の財政出動が必要なのに、安倍さんが使うのは「予備費」の2300億円のみ
いくら財務省の抵抗があっても、今財政出動しないということは、国民を守る気がないということ。