マッカーサーは昭和天皇を好きになったんとちゃうか?実は日本国憲法が國體を護った?え?


彩希
昭和天皇は戦後、皇室に代々受け継がれて来た皇室最大の私有財産であった御料林を全て国有化にされました。日本の復興と餓えに苦しむ国民の為にされたことでした。大化の改新という国家成立後、昭和帝は私有財産を放棄された世界で唯一にして最後の君主であらせられたことも今は忘れ去られています。よく皇室のことを税金で暮らしているなどと言う人がいますが、昭和帝が放棄された私有財産を豊かになった日本がお返ししているだけです。皇室費の大半が警備や宮内庁の職員や、お仕えしてるスタッフの給料や経費なのですから。(多分ですが、王室私有の資産としてはタイ王室の方がお金持ちではないかと思います)
✳昭和帝とマッカーサー元帥の会見、その後の経緯が書かれているので出典付きのが有りました。
🔻マッカーサーを親日に変えた昭和天皇とのエピソード
1945年8月15日、昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言受諾を表明し、日本は敗北を受け入れ、大東亜戦争(第二次世界大戦)は終結した。
出典 日本の世界一
同年8月30日、日本の運命を握る一人の男が厚木飛行場に着陸した。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーである。
出典 昭和天皇とマッカーサー会見の時
太平洋戦争中は、極東軍司令官として日本攻撃の責任者。一度は日本に奪われたフィリピンを奪回した。そして、日本の敗戦と共に、日本に対する占領政策を遂行する権限を手にすることになった。
出典 昭和天皇とマッカーサー会見の時
来日したマッカーサーは十日余りで、日本軍の無条件降伏調印、また日本政府に事前通告なしに東条英機ら39人の戦争犯罪人の逮捕を命令など行う。
出典 民主化の促進(日本の占領、ポツダム命令、天皇のマッカーサー訪問)ーエピソード高校日本史(265-02)
9月10日、昭和天皇を戦犯として裁くことがアメリカの政策であるとの決議案が、アメリカ議会に提出され、いずれ天皇や皇族も、戦争犯罪人として逮捕される可能性があった。
出典 昭和天皇とマッカーサー会見の時
9月27日、暗殺や逮捕の恐れもある中、昭和天皇はマッカーサーに会うために通訳一人だけを連れて、アメリカ大使館公邸を訪れた。大使公邸の玄関で昭和天皇を出迎えたのは、マッカーサーではなく、わずか2人の副官だけだった。
出典 日本の世界一
昭和天皇の訪問の知らせを聞いたマッカーサーは第一大戦直後、占領軍としてドイツへ進駐した父に伴っていた時に敗戦国ドイツのカイゼル皇帝が占領軍の元に訪れていた事を思い出していた。
出典 昭和天皇とマッカーサーの会見秘話 | HRPニュースファイル
カイゼル皇帝は「戦争は国民が勝手にやったこと、自分には責任がない。従って自分の命だけは助けてほしい。」と命乞いを申し出たのだ。
出典 昭和天皇とマッカーサーの会見秘話 | HRPニュースファイル
同じような命乞いを予想していたマッカーサーはパイプを口にくわえ、ソファーから立とうともしなかった。
出典 昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー|新時代のキリスト教
そんなマッカーサーに対して昭和天皇は直立不動のままで、国際儀礼としての挨拶をした後に自身の進退について述べた。
出典 ひだまり
「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります」
出典 昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー|新時代のキリスト教
「しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
出典 昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー|新時代のキリスト教
この言葉に、マッカーサーは驚いた。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていた。自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王など、世界の歴史上殆ど無かったからだ。
出典 日本の世界一
マッカーサーは咥えていたマドロスパイプを机に置き、椅子から立ち上がった。今度はまるで一臣下のように掛けて昭和天皇の前に立ち、そこで直立不動の姿勢をとった。
出典 昭和天皇を心から尊敬したマッカーサー|新時代のキリスト教
マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。「私は大きい感動にゆすぶられた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」
出典 日本の世界一
35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていた。わさわざ予定を変えて自ら昭和天皇を玄関まで送った。これは最大の好意の表れだった。
出典 昭和天皇とマッカーサー会見の時
この年11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請したがマッカーサーは、「戦争責任を追及できる証拠は一切ない」と回答した。
出典 ダグラス・マッカーサー - Wikipedia
マッカーサーと昭和天皇は個人的な信頼関係を築き、この後合計11回に渡って会談を繰り返し、マッカーサーは昭和天皇は日本の占領統治の為に絶対に必要な存在であるという認識を深める結果になった。
出典 ダグラス・マッカーサー - Wikipedia
昭和天皇の態度に感動したマッカーサーは自ら天皇助命の先頭に立った。
出典 日本の世界一
また当時、深刻な食糧不足に悩まされた日本に対してアメリカ本国に何度も掛け合い食糧物資を支援させることに成功し日本の危機を救っている。
出典「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」小麦キャンペーン始まる—学校給食の農村普及事業 - 正しい食事を考える会
1951年、4月16日、マッカーサーは日本を離れることになった。日本を占領するため来日してから6年後のことだった。そして1964年、マッカーサーは84歳でこの世を去る。
出典 ダグラス・マッカーサー - Wikipedia
後に戦争について語ることがあった昭和天皇だがマッカーサーとの会談のみ「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと約束を交わしたことですから。男子の一言の如きは、守らなければならない」と生涯語ることはなかった。
出典 昭和天皇とマッカーサー会見の時
羅実
【拡散】在日支配システムについて_国会議員
https://www.youtube.com/watch?v=gNtOldW5OEU&feature=youtu.be
コメント覧
ぽこ石川
帰化すれば国会議員になれるという日本のシステムはおかしいんじゃないのか?
(名前不明)
>ところが天皇は、自分のことはどうなってもいいから、どうか国民を飢えさせないでくれ、自分の(皇室)財産も出してもいい、と言わはったそうですね。それを聞いてマッカーサーはぶったまげた、と。「天皇とはこういうものでありましたか」と感激した彼は、お帰りになる時にはちゃんと車寄せまで見送ったんやそうです。たぶんその瞬間に彼は、この人を戦犯にはしたらあかん、と決心したんでしょう。
これが事実としたら、やはり日本の天皇は諸外国の王や皇帝とは完全に違うと言うことですね。日本の天皇は国民と共にあるってことですかね。
昭和天皇については数々のエピソードが見受けられます。
感銘させられた一つを記述してみます。
「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるのです。どの植物にも名前が合って、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一夫的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」
昭和天皇の人柄が偲ばれます。
羅実
先程の動画と同じ方の動画なんですが
【拡散】在日支配システムについて_総理大臣・党首
https://www.youtube.com/watch?v=oIyngw2U0FQ
この動画の内容が全て真実かどうか分かりませんが、ショックでした
噓であって欲しいです。
羅実
>日本で罪をおかしても刑が確定したら受刑は韓国でも可能と聞いたことがあります
もしかしたらこれでしょうか?
受刑者移送制度について
http://www.moj.go.jp/kyousei1/kyousei_kyouse29.html
羅実
過去の事件ですが
日本経済新聞
許永中受刑者、韓国に移送 国際条約に基づき
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1404O_U2A211C1CC1000/
2012/12/15付
大阪の中堅商社から巨額の資金が流出した「イトマン事件」などで実刑判決が確定し、服役していた韓国籍の…
同省によると、同条約は日本や韓国など64カ国が締結している受刑者移送条約。受刑者本人が本国への移送を申
し出て、余罪がないことなどの条件を満たした場合、法相が社会的な影響を考慮した上で是非を判断する。受刑
者は移送先で残りの刑期を服役する。
みかん
証言映像があります
昭和天皇とマッカーサーの会見で通訳を務められたバワーズ少佐の証言を、
YouTubeで見ました。滂沱と涙が…
確かにマッカーサーは陛下に魅せられたのだと思いました。
しかし極東委員会は天皇を処刑したがっており、マッカーサーは天皇を守るために
憲法制定を急いだという説を、私も何かで読んだことがあります。
どこの国にもコミンテルンが入り込み、スターリンに操られていたようですから
危ういところでした。
「生田のいくバズ Part15 –③」で、江崎道朗さんがソ連の恐ろしさを語っていました。
ご著書『日本は誰と戦ったのか』より。
そもそも第二次大戦は、独ソ不可侵条約(リッペントロップ協定)を結んで
ポーランドとバルト三国を侵略したドイツとソ連が始めた戦争である。
ソ連は敵であるドイツをそそのかして、ヨーロッパを混乱させた。
でもみんなそのことを忘れている。
そのように賢いソ連は、戦後ずっと対日工作(作戦名はコリャーク)をしてきた。
日本の政・財・官に対し、以下の宣伝工作を今も続けている。
●北方領土をソ連から奪い返すのは無理だと思わせる。
●日本人にソ連の戦争責任を追求させない。
●ソ連と友好関係をとることで利益があると思わせる。
●本当に悪いのは中国であると思わせる。
因みに生田よしかつさんのお祖母さんのお兄さんが、
尼港事件(コミンテルンが結成された翌年、大正9年の惨劇)で
亡くなっているのだそうです。
我が国はずっとこういう国と対峙してきた歴史に学び、早く9条2項の削除をしなくては!
ちちんぷい
忘れるべきではない、日本の奇跡の行い
マッカーサーが遅まきながら気づいたのは悪いことではありませんし、それでかろうじて日本を完全破壊から救ったのも僥倖というべきなのかも知れません。
しかし、彼ひとりが昭和天皇陛下の高潔さに気づいても、大きな流れは変えられなかった。日本だけではなく、すべての有色人種が完全に支配される一歩手前でした。
米国を含む白人社会が、自分たちの非道と傲慢さに気づかねばなりません。それはまだ道半ばです。
有色人種も、踊らされたり我欲に塗れて紛争していては、元の木阿弥です。近隣の特あ諸国のような、容貌が比較的日本人と似ているようで実は中身がまったく別種の者らがあのざまでは、昭和天皇と日本の先人の労苦が台無しになってしまいます。
キリスト教のイエスの受難のように、日本の犠牲が人類の反省を促せればいいのですが。
(名前不明)
To (名前不明) さん
一般記事へのコメントをお控え下さい。
Bell
ユダヤ人の「日本人に謝りたい」
マッカーサーと昭和天皇の話ならいい本が出てますよ。その本を紹介しているサイトが下記です。
『日本人に謝りたい』モルデカイ・モーゼ著
(日新報道/1979年出版)
著者はユダヤ人で戦時中にルーズベルト大統領のブレーンとして日本を研究し、戦後の対日処理立案(GHQ政策)にも加わったという話です。
日本人に謝りたい ~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~
──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe800.html
第1章 戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
第2章 二元論的思考法 ~典型的なユダヤ的思考パターン~
第3章 日本人の知らない東京裁判の本質
第4章 日本国憲法はワイマール憲法の丸写し
第5章 共産主義はユダヤ人が作った
第6章 GHQのニューディーラーの戦後処理計画の秘密
コブシ
国連
危惧してたけどやはり出た。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6330036
確かに日本製だろうけど、韓国製なんて元々何にも無いんじゃ無い?
お金を渡せば国連は護ってくれるからね。
そこつモン
空想ではありません
トランプ大統領と安倍首相のタッグの重要性が見えてきます。
EMP(電磁パルス)とブラックアウト、それに対抗するための電磁シールド。
もはや空想ではなく、現実の世界。しかしながら、日本では去年初めて関連する防衛
予算がついたばかり(汗)。
3月の大統領令「EMPに対する国家的復元力の統合について」、6月のシャナハン
米国防長官代行来日は、EMPに先行するロシア(兵器)、中国・北朝鮮・イラン
(意図的な空中核爆発)への対抗策を協議するため。
ウクライナのクリミア侵攻にロシアのEPM兵器が使われたとも言われている。など
【生田のいくバズ】Part20-③ 時代は制脳権 電磁、情報を制する者が戦争を制する?
https://www.youtube.com/watch?v=ZR34GTxilaA
半島有事に備え、朝鮮戦争で日本が情報と兵站で何をしていたのかをおさらい。
軍は解体されても、人は残っていた。
仁川上陸作戦前に、機雷を除去したのは、海上保安庁下に残された旧日本軍の掃海部隊。
21歳の若者が、掃海作戦中に亡くなっている。
朝鮮戦争で日本はインテリジェンスと在日米軍への兵站、労務作業で活躍。
日本が残し破壊された通信・鉄道インフラの再構築に協力した。従軍看護も日本が担った。
朝鮮戦争に反対する野党・マスコミを「日本を護るためだ、ふんっ」と一蹴した吉田茂。など
【生田のいくバズ】Part20-④ 朝鮮半島有事の前に知っておきたい 朝鮮戦争での日本人の在り方!
https://www.youtube.com/watch?v=3WiIAf75MTs
日本の異次元の金融緩和が中国を助けているという田村秀男氏の解説は、単純な図式にもかかわらず気づかない人が多い。なぜか。
https://www.youtube.com/watch?v=whGh-Xscvhw
そこつモン
サンフランシスコ講和条約締結を控えた昭和26年の年頭、マッカーサー元帥が、国家安全保障は「当然な自己保存の法則」とまで言及し、講和後の昭和28年に来日したニクソン副大統領は、日米協会で日本の非武装化の誤りを認め再武装化を迫りました(ttp://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1574.html)。
朝鮮戦争勃発直後の昭和25年8月、日本は占領軍の要請を受け警察予備隊を創設し、翌年講和条約と同時に旧日米安全保障条約を結びました。その後警察予備隊を保安隊に改編し、朝鮮戦争停戦後の昭和29年には自衛隊に再改編しますが、その間憲法9条を改正しようする気運は生まれませんでした。
昭和25年6月、国内の治安もままならぬ中で朝鮮戦争が勃発したため、講和の締結と主権回復を急ぐ日本に、憲法改正の勢いはなかったようです。当時の国会議事録を見ると、新憲法の元でいかに日本の治安と国民の安全を守るのか、吉田首相が苦心する様子がうかがえます。野党からは再武装化に釘をさされ、「非武装中立」を思わせる文言も出てきます。
(第10号 昭和25年7月29日)
○国務大臣(吉田茂君) お答えいたします。
私が国連のこのたびの朝鮮事件に対する行動に対して協力するということは、は
なはだ不謹愼なりというお話でありますが、私はそう信じないのであります。憲法
にもある通り、日本国民は平和を念願する、平和を愛する諸国民の公正と信義に信
頼してわが安全と生存とを保持するということが憲法に明記してあるのであります。
すなわち、日本はあくまでも世界の平和に協力する、貢献するという考えをもつて
終始すべきであり、またこれが国民の念願である、こう私は信ずるのでありますか
ら、このたび国連のとつた行動、これは平和を擁護し、平和を増進する行動である
のであります。ゆえに私は、憲法に明記してある通り、その精神に従つて国連に対
しては協力すると申すのである。(拍手)
中立云々ということでありますが、おかしい話で、憲法のどこに中立ということ
が書いてありますか。
(略)
しかるに、ただいまお話によると、わが内閣は一に関係方面の力のみを借りて云
々と言われておりますが、私は、それならば何がゆえに全面講和を主張せられて早
期講和に反対せられるか、社会党の諸君の気持がわからないのであります。(拍手)
なるべく早く自主権を回復し、独立を回復して、いわゆる関係方面のおさしずによ
らず、自主的政治をいたしたい考えから、私は早期講和を主張するのであります。
(略)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/008/0512/00807290512010a.html
最近、トランプ大統領が日米安全保障条約は不公平だと発言して波紋を呼びましたが、応分の負担を求められてもなお、日本国内で憲法9条改正の気運が高まらないのは、今も朝鮮戦争勃発の頃と変わりません。これは、米軍(国連軍)が半島から撤退し、朝鮮戦争が終結するまで続くのかも知れません。
(参考)
自民党について > 党のあゆみ > 保守合同前史
https://www.jimin.jp/aboutus/history/1945-1954/